大歌舞伎:プロの歌舞伎を特に区別する場合の呼び方、戦後は松竹が主催(一時は東宝も主催、幸四郎等は一時東宝所属だった)
農民歌舞伎:農村歌舞伎、地歌舞伎、村芝居、地芝居とも、幕末から高ノ掛けて農民達が創始した歌舞伎、又、その伝統を復活/継承した歌舞伎、高度成長以前農村地帯だった都市周辺の人口密集地域での今後の伝承が課題(村芝居、地芝居は軽演劇を指す場合有)
都市型地芝居:幕末からの都市部に於て農民歌舞伎の伝統とは無関係に発足したセミプロ、又はアマチュアの歌舞伎、曳山わらべ歌舞伎は、その古典例
時代物:安土桃山時代以前を題材にした作品、衣装、化粧、大道具等が絢爛豪華である事が特徴、江戸時代の大名家の事件も直接脚色が禁じられた事から鎌倉〜室町時代に移し、時代物として製作、時代考証は殆ど無視
世話物:江戸時代の庶民の生活を題材にした作品、写実的、特に、幕末の荒廃した世相から採った物は'生世話物'と呼ばれる、時代物中にも、'世話場'と言う写実的な場面が挿入される
所作事:いわゆる歌舞伎舞踊、と言うより本来の姿、江戸中期以降は1人の役者が複数の全く異なる役柄を踊り分ける'変化舞踊'が盛ん、祭りの山車踊り、舞踊発表会に登場する作品は、殆どが'変化舞踊'に由来
荒事:非常に勇壮な男性、白塗りに派手な赤い隈取り、過剰な位に大振りの鬘、衣装で登場、(初代)市川團十郎が創始、農民歌舞伎では余り多くない;和事の性格を併せ持つ場合も有る
>梅王丸(菅原)、曽我五郎(対面、矢の根、雨の五郎、他)、助六(助六)、他
和事:20代以下の若い優しい男性で、荒事とは対象的に写実的、恋愛の主役、(初代)坂田藤十郎が創始、農民歌舞伎への登場頻度が高い;荒事の性格を併せ持つ場合も有る
>十次郎(太功記)、桜丸(菅原)、久松(お染久松)、他
実事:30から50位の、いわば中間管理職、大変重い責任を持つ役柄
>光秀(太功記)、熊谷直実(熊谷)、大星由良之助(忠臣蔵)、他
女方(女形):歌舞伎ならではの男性が演じる女性の役、歌舞伎の創生期に女性の出演が禁止された事に依る、(初代)芳村あやめが創始、更に以下の様に分れる、農民歌舞伎では女性が演じる場合が多い
娘役:和事に対応、恋愛の主役、愛らしい外観と裏腹に情熱の塊;赤姫、町娘、村娘、等
>初菊(太功記)、お染(お染久松)、お七(櫓のお七)、おかる(忠臣蔵・道行)、他
遊女:今では信じられないだろうが、昭和初期まで人身売買されてた、そういう境遇の女性、その中でも特に艶麗で芸も高水準の女性を、楊貴妃の故事から傾城と呼ぶ
>梅川(冥土の飛脚)、虎御前(対面)、おかる(忠臣蔵・七段目)、他
立女形:実事に対応、実事の妻、貴人の嫡子を育てる役、等、非常に重い役
>政岡(先代萩)、操(太功記)、相模(熊谷)、他
長唄:小歌(短い歌詞の小歌曲)の連結に由来、実際、そういう構成の曲が多い(例外も有る)、舞踊以外では下座(BGM)として使われる、農民歌舞伎では使われない場合が多い
浄瑠璃:牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語に由来、後、三味線で伴奏の語り物の総称、以下に分化
原始浄瑠璃:文弥節、説教節、源氏節、等、義太夫以前から有った浄瑠璃、原始的な人形芝居に付随の場合が多い
義太夫:竹本義太夫が創始、人形芝居と密接に関係、歌舞伎にも大いに影響を与えた、太棹という大型の三味線で独特の音色を奏でる、プロの世界では文楽の太夫(大夫)と歌舞伎の竹本連中に更に分化;農民歌舞伎にも不可欠(アマチュアでは歌舞伎と人形芝居で兼任の場合が多い)
清元、常磐津:各々、清元延寿太夫、常磐津文字太夫が創始、江戸浄瑠璃の流派、聞いた感じは長唄と区別困難、農民歌舞伎とは無縁だが祭りの山車踊りや舞踊発表会には頻繁に登場
わらべ歌舞伎:子供歌舞伎、稚児歌舞伎とも、本来、青年が上演する歌舞伎を、全員が中学生以下で上演するもの、江戸時代から町内組織で上演するもの、農民歌舞伎の後継者育成の為、戦後に学校等のクラブ活動等で伝承開始したもの、資産家が設立した財団が企業等からの寄付で都市部で運営のもの、等、形態は様々、今後の広がりに大いに期待
人形は、元々、神仏への祈願用として発生といわれる、その人形で物語を演じたのが人形芝居の発生と見られる
原始的1人遣い:近松門左衛門の時代まで有った、単純な人形を1人で操る形態、幕末以降も、東北から関東で流行した
文楽系3人遣い:近松門左衛門の没後に発明された、1体の人形を3人で操る形態、大変精密な動作が一世を風靡し一時は歌舞伎の人気を奪った程、農民歌舞伎の作品の殆どは、この人形芝居の作品の移植(丸本物)
文楽系1人遣い:文楽系3人遣いの人形を1人で操れる様に工夫した形態、明治、大正期に発生、車人形芝居(台車に腰を下ろして操る形態)、乙女文楽(肩、又は腰に人形を固定、人形の頭を、垂髪に結んだ紐で操る形態;巫女ファンは要注目)が有る
糸操り人形芝居:西洋のマリオネットに相当、上の器具から垂らした糸で人形を吊下げ、操作する、西日本に多かったが、絶滅、及び絶滅危惧の所が多い
飴屋(粉屋、万作)踊り:江戸中期頃、千葉県芝山町白桝で発生と見られる、始めは単純な踊りだったが、後に歌舞伎の影響で段物(万作芝居)に進化、千葉、埼玉、東京、神奈川に多い、おしゃらくと呼ぶ地区もある
嫁獅子(獅子芝居):三河地方に発生とも、伊勢大神楽に由来ともいわれる、歌舞伎の女方が獅子舞の頭を被る他は全く歌舞伎その物というものも有る、愛知、岐阜、長野に多い
沖縄芸能:沖縄県に由来する郷土芸能の総称、能や歌舞伎の影響受け乍ら独自に発展、昭和初期に沖縄県から川崎、横浜、大阪、等に移住した住民と、その子孫が本土でも伝承
国風歌舞(くにぶりのうたまい):古来から有る、神楽歌、東歌、大和歌等と、それに舞を付けた、東遊(東舞)、大和(倭)舞、巫女(巫子)舞、五節の舞、等、男性は白地に青摺の衣冠束帯で、女性は十二単、巫女装束、白拍子装束、等で舞う;浦安の舞は近年の作品だが、此の流れを汲む
唐楽・左方の舞:中国・インド・ベトナムに由来する雅楽と、それに舞を付けたもの、本国では失われたと言う、中国風の感じが残ってると言う、装束は朱色系が多い
高麗楽・右方の舞:韓半島・中国東北部に由来する雅楽と、それに舞を付けたもの、笙を使わず、高麗笛と言う、音程の高い笛を使うのが特徴、装束は緑、茶色系が多い
本邦楽:唐楽・高麗楽の作風を真似て日本で作られた雅楽と、それに舞を付けたもの
謡物:催馬楽、朗詠、今様、等、平安時代以降に作られた歌曲
童舞:迦陵頻、胡蝶、等、小学生以下の少年が舞う事を指定された舞楽、原則として仮面を付けず、白塗りの化粧で登場、その可憐な舞姿は大変魅力的、近代以降は少女が舞う場合も多い
わらべ舞楽:童舞の他、本来、青年が舞う舞楽曲も小学生以下の少年が仮面を付けず、白塗りの化粧で舞う舞楽、山形、新潟、富山、静岡、等で、郷土芸能として伝承されるものが多い
巫女装束:普段の給仕等の時は、白衣に、朱の袴(スカート型(行灯)が普通だが西日本ではズボン型(馬乗り)も見られる)、舞を奉納の際はその上に千早(白地に青摺で直垂が変化したもの)を着用(千早と白衣の間に朱の衣(下重)を重ねる場合有)、花の髪飾りか烏帽子、天冠を着用する;神社に依っては、アルバイトの巫女さんは作務衣(上が白、下が赤)の場合も有る
白拍子装束:水干(本来、糊付けしない絹布、後、狩衣の少年版)、袴(ズボン型)の配色を巫女装束と同じにし、袴を長くした衣装、水干の裾を袴の中に入れる場合と入れない場合が有る
女性の袴:室町以降に廃れたと言われるが、皇族、公家では衰退を免れ、壕ネ降、皇族、公家が前面に出る様に成ると、その影響で再び女性の袴が一般化、特に女教師、女学生では主流となる、近年では大学等の卒業式、純邦楽(琴、三味線、等)の発表会、等に多い
たっつけ:ズボン型の袴の一種、脛の部分が脚絆の様に成ってる、元々旅行用、現代では、おかめひょっとこ踊り、手古舞(山車、又は神輿を先導する白塗りの女性、関東に多い)が主に着用
広島県内の神楽:農民歌舞伎に相当する役目を持つ為、歌舞伎並みの衣装、鬘、白塗りの化粧(姫&勇者)、激しい動きに特徴が有り、大変個性的(その為か農民歌舞伎は県内では東広島市だけ、それも、長い中絶の後の近年の復活)
≧以上の表記に就いて中田太三様(雅楽HP)から'誤記が多い'という御指摘を頂きました
当方の意図としては、以上の芸能が郷土芸能として伝承される地域の住民、小中学生、教職員に、関心を喚起する事にあり、中央から隔絶された状態で100〜600年以上に亘って伝承されて来た関係上、本来とは異なる用語が伝承されてる場合が多い事から、これに配慮したものです(標記の揺れ等も同様)
(赤:で書いたのは当方が提案する用語)
(C)1985-2007 まほうのたね 最終変更 : 2006/11/28 |