棟梁について

  建築界に詳しいコラムニスト山本夏彦氏(インテリア情報紙『室内』編集長)の言葉をはじめに引用させていただく。

山本 ……昔は大工の棟りょうなんかには威風あたりを払うような男がいた。……

----戦後職人が消えつつあるのはなぜですか。

山本 世間の敬意がないとねぇ。あの棟りょうは諸職の頭なんですよ。大工の中の知恵、才覚ある者なんです。鳶、左官、建具屋たちに指図し動かすのが棟りょうです。最後は庭師。……金は彼らのほうが取るんでしょうが、棟りょうのほうが偉い。総指揮官、責任者ですから。

――威厳がある。

山本 ただ、立っているだけで威厳があるのは、分業じゃないからです。諸職を束ねているからです。四十を過ぎたら自分の顔に責任があると言いますが、そんな人いますか。サラリーマンを三十年、四十年やったって、あたりを払うような人なんていない。極度の分業になったからです。経理をやったといっても伝票ばかり書いていてはだめですよ。職人は束ねます。それでいてだんなには謙遜します。分を知っているのです。

……

(産経新聞95年8月6日)

  これ以上私が付け加えることはない。とても旨く言い当てられている。職人社会は学歴社会ではない。ということは「実力の世界」である。実力で生きる清々しさが木材の匂いに重なっている。職人というと人間文化財の細工師がひろく認知されているようだが、職人の基本は大工であろう。我々が毎日生きている住空間。物のなかで最も必要且つ充実しているもの。しかし邪魔になってはならないもの。私たちは正確には家に住むのではなく、家が囲む空間に住んでいる。家自体はひかえめなのである----職人とはそういうものだろう。

  人を束ねる、指図する、指揮できるのは実力がそうさせるのであるが、自然にそなわっている威厳の裏には男気が使われる者たちに対して発揮されていることを見逃してはならない。力ある者がそれ以下の者(以下というより棟梁の方が飛び抜けている)を助けるところに侠気(おとこぎ)の原形があると思われる。

  大工としての技量・腕だけではなく、全体を目配りする責任感、建築現場のきびしい管理・監督能力。完成までの時間を緻密にスケジュールする段取り。手際のよさ。営業する能力。間取りのみでまったく新しい家を頭の中で描ける想像力。構想を現実化する意志ならびに実行力。どんなトラブルにもひるまず事にあたる解決力。時に政治力も必要だ。完成まで何かと不安になる建て主に対する気配り、威厳や威風がその不安を吹き飛ばしてくれるだろう。家を建てる諸事情を相手の立場に立って考えられる思いやり。豪快で頼り甲斐があり、それでいて仕事は繊細、細心の注意を払ってくれる二面性。判断力。交渉力。世情や人情に通じていること。算段する力(頭の回転の速さ)。勉強家であること。努力を惜しまないこと。そして何よりも必要な信用と信頼感。その他、あらゆる能力が要求される。厳しい修行ののちにはじめて得られるものばかりにも思えてくる……人間としての総合力だろう。それでいて高飛車なところはない。謙遜というより分をわきまえているからだ。なぜか?……実力からくる余裕だろうか。いや例えば体操の選手にとって宙返りが朝飯前のように、ごく当たり前のこととし て難なく重責をこなすのである。こう書いてくると控え目なスーパーマンのようになってしまうのだが、町のどこかにそんな棟梁が今も働いていることを想像するのは楽しいではないか……世紀末的な世の中にあって。

(文責 茂与志)


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