Ktat's Web Page Last Update:2000/4/7
name:加藤敦(e-mail)
handle:Ktat
sex:male
birth year:1977
weight:63
height:173
used PC: PC-9801M
PC-9801DA
vaio PCG-733
Webの黒板 羽曳野藤井寺おやこ劇場 Ktat's Web Page
当初英文法のみを載せていたが、 現代文にも手を出すようになった。 作っていて面白くないので、 自分の趣味の紹介 をするようになった。 それでも飽きたらずに、日頃の愚痴や考え事をするようになった。 そのうち、前々から興味があったCGIをやり始め、公開するようになった。 ネタが無くなったので、日本史に手を出すことにしたが、 一度載せてから更新していない。最近は、CGIばかり更新していて、 他は放っている。 最初に作ったページ。更新をさぼっている。 全国にある子ども劇場・おやこ劇場という団体の一つで、 NPO-非営利組織:Non Profitable Organization-。 この劇場は、まだNPO法人にはなっていない(なっている劇場もある)。理念は、 「地域の文化向上と、子どもの健全な育成」と固いが、 具体的な活動は、演劇鑑賞・音楽鑑賞キャンプ・スキーなどである。 劇場関連サーチエンジンとして、gekijyo.netがある。 他のページも満足に更新していないくせに、新たに作ったこのページ。 貰えるものは貰っておこうという性格でもないのだが・・・。まぁ、どうせ更新することもないだろうから、 更新しなくてもいいデータを置くことにする。具体的には、自己紹介ということになろうか。 他のページでも多少書いているが、もう少し詳しく書いてみようかと思う。というか既に始まっているのだが・・・。
もともと作ることが好きなので、こういうのは幾つ作っても飽きない。 ただし、一度作ってしまうと、あまり面白くないような気もする。 デザインに関してはお世辞にも良いとは言えないと思う。 たまに誉められるが、あれはお世辞であろう。 尚いっそう精進することにしよう。 画像を使わないのは、重くなるのが嫌なのと、下手くそだからである。 羽曳野藤井寺おやこ劇場では、画像を使っているが、 恥さらしでしかないような気がする。
NEC PC-9801M NEC PC-9801DA NEC PC-9821V7
記憶が確かなら、1984年頃の機種である。ちょっと古いPCゲームをやったことのある人なら、 VM以降というのが書かれたものを見た人が居ると思うが、その前の機種である。 VM以降でないためにやりたいゲームが出来なくて涙を呑んだこともしばしば(嘘)。 当時、誰も持っていなかったPCだが、ゲーム機のない家庭にとって、それはゲーム機の代わりになっていた。 N88BASIC(86)というプログラム言語を、参考書に書いてある通りに打って、面白がっていたが、 まるで理解していなかったので、無意味だった。光栄の信長の野望(全国版)がよくバグって面白かったのを覚えている。 いい加減PC-9801Mが使い物にならなくなってきた-ソフトに対応できなくなった-ので、 父親が新しく購入したものである。いつ頃かは記憶にないが、未だに現役である。 筺体の上には、何故かNANAOの17inchモニタが乗っている。もっとも愛着のあるPC。 Windows95と、FreeBSDで稼働する。CPUも、ODP-Over Drive Processer- で、Cyrix 5x86である。486 120MHz相当といっても通じないかも知れないが・・・。 このPCで、N88BASIC(86)を軽くやり始める。ちょうど中学生の頃である。内輪で受けたゲームなどもあったが、 すぐに廃れた。そのうちPerlに移植してやるか・・・。 いい加減PC-9801DAが使い物にならなくなってきたので、 父親が新しく購入したものである。いつ頃かは記憶にないが、当然現役である。 Windows95で稼働する。CPUは、ODPで、結構速くなった。正確な数字は覚えていない。 ただし、ビデオカードがないので、ゲームには向かない。拡張しすぎでかなり不安定である。 起動すれば動くのだが、起動するまでが大変である。2回に一回は起動できないと言っても過言ではないかも知れない。 父親は、このほかに、東芝のサテライトという、Pentium100MHzの中古ノートを知らぬ間に購入していて職場で使っている。 液晶がかなり見にくいが、なかなか使えるようだ。東芝のノートは評判がいいらしい。
↑→便利なものというのは一度使うと、手放せなくなってしまうので、 困りものである。もしかして無精なのは、子どもの頃からこんなものが存在していたせいでは無かろうか。 文章を書くにも一太郎がないと、難しくなってきている。 ワープロの編集機能無しで、文章を作るときっと苦痛であろうな。 しかし、忘れっぽいのはどうしたらよいのだろうか、 エクセルのマクロはかなり忘れてしまったな。 今は、Perlにはまっているが、そのうちCとかもやってみたいな。 と思うほどの時間はあるのだろうか・・・・。
Sony vaio A4note PCG-733
両親と祖父母に借金して購入した。正真正銘の自分用のPCというと、これになる。 悲惨なPCであると言える。いや、PC自体はそれほどでもないのだが、基本セットが腐っている。 2.1Gの不足しがちなHDD容量に要らないアプリケーションを詰め込んでいる。 初期状態はPCの性能を殺していると言えるだろう。 このPCは、今までに数回フォーマットしている。 どうも調子が悪いから、根本から直そうという考えである。 「フォーマット→リカバリディスク→要らないアプリケーションの削除」という手順だが、 一向に調子が良くならない。 DOS上からWindowsの再インストールは、数え切れないほどやった。 諦めて、長い間使っていたのだが、LANがおかしくなったので、 意を決してWindowsの再インストールを再び決行する。 今回は趣を変えて、Windowsの設定ファイルを消して、再インストールを試みる。 つまり、user.datなどの、重要なファイルを削除して再インストールを行うのだ。 vaioには、``c:\windows\option\cabs\"にキャビネットファイルとsetup.exeが存在する。 それを使用して、再インストールを行うわけだ。 レジストリデータが消えるので、使用していたアプリケーションも再インストールしなくてはならない。 準備を整えて行うが、原因不明のエラーが出た。PC-9801DAで慣れきっていた作業なので、 まさかエラーが起きると思わず、バックアップを取っていない。しかも、バックアップメディアはこの状態ではFDのみ。 さすがにそれは勘弁して欲しい。冷や汗をかいていたが、ふと思い出し、Windwosフォルダの名前を変更することにする。 これで成功。以後軽快に動いている。おそらく、cabsフォルダを上書きするので、エラーが起きたのだろう。 ただし、付属アプリの殆どを使えないと言うのは少しイタイかも知れない。 結論を述べておこう。諸悪の根元はリカバリディスクであった
←↓ スポーツは嫌いではないのだが、運動神経があまりないようだ。 他にもスキーなんかをやったりもする。 最近は体力的にしんどくなってきた。 それにしても、やはり球技は苦手だ。
ソフトボール 剣道 サッカー
小学校1年生の時に始めた。その当時野球についての知識は、グローブとバットとボールであった。 キャッチボールなどしたこともない。ライトに行けといわれてもライトがどこか分からない。 結局、1週間ほどでやめてしまった。 小学校1年生〜6年生まで続けた。年数で言えば、一番長く続けたものになるが、 週1回日曜日だけであった。かなり楽しかったが、あまり腕は上がらなかったような気がする。 多分気のせいではないだろう。自分の竹刀だけ妙に重かったのを覚えている。重りでも入っていたのか? いつかは忘れたが、やっていた。サッカーは好きだったが、技術的なことはまるで出来なかった。 当時、リフティングは3回くらいしかできなかったと記憶している。ヘディングは、額は怖いので、 脳天でやっていた。厳しかったので、知らぬ間にやめたような気がする。 ちなみに、今でもリフティングは3回くらいしかできない。
「雀百まで踊り忘れず」とか「三つ子の魂百まで」とか何とか言うが、 思うに、あまり役立っていないような気がする。勿論3歳の時に習い事をした覚えはないけれど。 書道はに関しては悲惨なほど字が下手だ。確か、準5段まで行ったと思うのだが、気のせいだろう。 やはり、「継続は力なり」だな。 それにしても、抹茶はおいしい。
陸上 柔道 草野球
中学1年生〜3年生まで。友達がたくさん入ったので入ったというそれだけ。 長距離は結構速くなったが、短距離はからっきし駄目である。 このクラブ先輩・後輩関係が希薄で、アットホームな雰囲気でやっていた。 ちなみに、2日に一度休んでいたような気がする。 あと、グラウンドがガタガタで、かなり足を痛め、長期間病院に通う。でもクラブは続けていたが。 学校に医療費請求できたはずだがしなかったのが悔やまれる。 高校1年生〜3年生まで。もう少し肉体的に強くなろうかと思ってはいったかどうかは定かではない。 単に漫画に影響されたのかも知れない。 中学とは違って、上下関係が厳しい。しかし、中学の雰囲気で入ってしまったので、 最初、先輩たちには、悪い印象をもたれたようだ。同じ中学出身の先輩に注意を促されて、改めるように努力した。 なかなか黒帯がとれず、3年になってやっと取る。かなり情けない部類である。筋トレのおかげで長距離が速くなったので、 そちらの方が個人的には嬉しかったりした。 高校の友達がチームを結成した際に、頭数を揃えるために入った。 ソフトボール以来、野球とは縁の遠い生活をしていた。 キャッチボールも素振りもまともに出来なかった。 今はましだと思うが、キャッチボールについてはまるで自信がない。 どうも投げ方がおかしい模様。 ちなみに、今でも、セカンドとショートはどっちがどっちか分からなくなる。 せめてフライを何とか取りたいものだ・・・・。
勉強に必要なのは良い先生と 良い環境であろう。と深く思う。 家で勉強する気には、なかなかなれないな。 後何事も好きにならねば仕方がない。 とりあえず、ポジティブシンキング。 わたしは、ネガポジシンキング(謎)。
書道 算盤 茶道
小学校低学年の頃から5年生まで通っていた。家のすぐ近くにある書道教室で、 近所の子がたくさん行っていた。先生は、母親と祖母との年齢を足して2で割ったくらいでは無かったろうか。 先生と仲が良く楽しかったのを覚えている。 小学校5年生の時に始めたと思う。1年行かないうちにやめたような気がする。 どうも性に合わなかったようだ。もともと、計算は嫌いである。苦手ではなかったが。 苦手になったのは高校に入ってから。 と書くほどやっていたわけではない。単にもう一つ欲しかったので、追加しただけ。 母親が先生をやっていたので、小学生の頃たまに教えてもらった。 作法その他細かいことも多少習ったが、ややこしいので忘れてしまった。 というか、まともに覚えていないかったと思う。
小説に関しては外れるが、音楽や絵画に関しては、 自分の想像力のなさを実感してしまったりする。 歌を聴いて涙したり、絵を見て立ちすくんだり、と言った経験は ・・・・絵はあるかな。
阪神受験 向学塾 天予備 代ゼミ
中学受験をしようと思って通い始める。 教育大天王寺付属という無謀な志望は、 無惨に破れる。 しかし、それなりに楽しかったので良しとしよう。 ちなみに勉強を苦痛と思ったことはない。 中学2年から中学3年まで通っていた。 英語の学力については結構伸ばしてくれた。 中3の10月に成績不振を理由に突然やめる。 その後五木の通信講座を始めた。 この行動は妙だと言われるのだが、そんなことはないと思うぞ。 「終わってる」と書きたいところだが、英語の先生については、 なかなか熱心で好感が持てた。 現代文・古典に関しては良い先生はいないというのが感想。 もちろん、良い先生に当たらなかったのかも知れない。 ただし、環境が悪いと言えよう。 やはり、予備校は本科より単科である。 この予備校で受けた授業は、1学期2科目。2学期3科目である。 私立志望ならそれで十分であると言える。さすがに夏・冬は結構受けたが。
◆これほど退屈なページはなかなか無いだろう。 全てが自己紹介である。ここまで読み進んだあなたは暇人の仲間入り。
小説 絵画 音楽 芸能
現実味のない話が好きである。 フィクションならフィクションらしい設定で、 その中で現実味を持たせてくれればいい。 抽象画は理解できない。 もっと具体的なものが好きだ。 油彩より透明感のある水彩が好きだ。 あまり熱狂的になれないが、良い詩はある。落ち着く音楽もある。 音楽が無ければ生きられない種類の人間ではないようだ。 狂言だろうが、能だろうが、三味線だろうが、抵抗は無い。 なんでも聞くし、見る。ただし金がない。
言語とは、論理であり、抽象化である。 とでも言ってしまおう。 へっぽこプログラマーの言うことですから、流して下さい。
N88BASIC(86) Visual Basic Perl
最初の方で触れたが、結構はまった。 非常に簡単で分かりやすかった。 と言ってもこの言語の出来ることの5割くらいしか使えていないだろう。 今や誰にも使われていないだろうな。子どものおもちゃ程度にはなると思うのだが。 一浪目の終わりに買ったのですねぇ。落ちるような予感をしつつ。 結果落ちたので、殆ど使わないまま家にあります。 融通が利く言語。やり方は何通りでもある。 確かに何通りもある。 学んでいくうちに、きっと、効率のいい方法が見つかるんだろう。
一度、犬の事を書いた本を読んだことがあるのだが、 その著者は一日中、自分の犬を監視してみたのだが、 結構つまらなかったと言っている。 それというのも、殆ど寝ているのだそうだ。 やはり動物というのはたいがい寝ているのだろうか。
記憶にない頃に2匹の猫を飼っていたそうだ。 1匹は、細く長い尻尾で、その尻尾をよく捕まえて遊んでいると、 そのうち逃げてしまったそうだ。 記憶にございません・・・。 もう1匹は、どこかに挟まって死んでしまったそうだ。 やっぱり記憶にない。 三歳の頃というのは、引っ越ししか記憶に残っていない。 近所の子が持ってきた犬である。 毛は茶色で短足。かわいい犬だった。 2回出産し、2匹の子がうちにとどまることになった。 最初が、クロで、その次がシロ。 クロはがっしりした感じだが、甘えんぼだった。 シロはやせっぽっちでみっともないと言われていたが、 なかなか俊敏な奴だったと思う。 雷が鳴ると、泣きわめいて大変だったのが印象に残っている。 アドルとクロはフィラリアで亡くなり、 シロは鎖がフェンスに引っかかり首を吊って死んでしまった。 アドルの晩年にうちに来た「ふう」。 ホントは一晩預かるだけだったのだが、 かわいいので飼ってしまった。 それ以外に何の理由もない。 その当時、生後1ヶ月だった。 この頃の子犬や子猫は、ホントにかわいい。 誰がどう見てもかわいいと思う。 それにしても、小さかろうが、大きくなろうが、寝てばかりいるような気がする。 そう言えば、食事制限があるのになんでも食うのはやめて欲しい・・・・。
Ktat's Web Page Last Update:2000/4/7