Hottokes日常雑感


Hottokesの日常雑記は批判的で建設的でないかもしれません。また,表現力に欠けた貧しい文書ですので,何を言いたいのか理解出来ないかも知れません。舌足らずな文書で誤解されやすい表現があるかと思いますが 他様を攻撃・中傷する目的では書いていません。読んで下さる方の,スケールで判断して頂ければそれで良しとしたいと思います。Hottokesの”思い・つぶやき”として読み流して下さい。
そして 「Hottokes君はそう思っているの。私はこう思う。」というご意見がありましたらHottokesBoardの方に淡々と書き記して下さい。
少しばかり真面目なページとしたいと思いますので、放言?はご遠慮下さい。
但し、思わずニヤリするような落書きは(最初にビールを作った人にノーベル賞今日は一杯やるかやらずに帰るか?=男の哲学的思考)の類いは許容範囲にしたいと思います。
教養の上にたつ上品なユーモアとは言いません。


失われつつある日本人としての心

花火見物客・歩道橋・圧死事故 子供や老人という弱者が圧死した事故は、まだ薄れた記憶ではない。圧死の第一原因はそこにいた人間の集団としての行動であり、 「花火は見た早く家路に・・・」という人の思いが事故にへとつながった。 集団心理が働いた行動での事故では1人1人には罪を問えないものらしい。が、しかし 何とも やるせない気持ちになるのは 私だけだろうか?

■私は周囲に歩調を合わせ歩いただけよ あの時あの場で もし私が「押さないで」
と立ち止まったりしたら 将棋倒しになってそれこそ大変よ

■押したのは私だけじゃない 後ろから押されたから当然前に身体が流れていったま
でで圧死事故(の予測)なんて・・・考えもしなかった。  

■事故防止の為に警察官や誘導員がいるのでしょう 誘導を含めて警備体制が十分機
能して いなかったのではないの 役所の方もいい加減な仕事をするから 役所がしっか
りして いたら今回の事故は起きていないわよ

■それに あんな人混みの中に小さな子供を連れてきて行くなんて非常識よ 万一事
故が 起きたらどうするのよ

*原因の1/4000は私にある と反省の弁は聞こえてこないようです
*見物客1人1人がしっかり・・・ではなくやはり役所ですか・・・・ ・・
*この理論だと管理者を誘導する仕組みが必要ですね

そうですか。もしあなたと同じ考えの人を歩道橋の上から間引きしていったら 歩道橋の上には 人はいなくなってしまうのでしょうか? 同じ場に居る者どうし「前がつかえていますから」と前から後ろへ情報の伝達が出来ない この国民性は何処から生じたのでしょうか。何時から人は集団になると自己の行動規制の枠をはずし群牛になるようになったのだろうか 人は集団となった場合己を失い思慮が浅くなり周囲の人の 行動情報により  同化した行動をとってしまうのでしょうか?刃物や銃・拳銃という凶器はなかったが集団行動という凶器が存在し間違いなく人の死があった。 子供をなくされた親御さんは、”怒り””悲しみ”をどのようにう静めたのだろうか 鉾先は市役所や警察や誘導員に向けられたのではなく歩道橋上にいた人ひとりひとりに 

”あなたが ただ花火が観たいという目的だけしか持たない牛にならず 人として集団行動なるが故 他様を思いやる心を持った人でいてくれたら 吾子は死なずにすんだ。あなたが後ろから押さなかったら・・・”

と 心の叫びを ぶっつけたいのではないだろうか?
新聞などの報道では警備の不備については多く報道されたが 誘導・警備の不備のみが事故の原因とするなら 何とも寂しい人間社会である。私の心の片隅でもやもやとした不快感・すっきりしないものとして存在する ”集団の罪人”に触れた記事や集団 の 一人一人に問いかけ 反省を促す記事は見られなかった。
この事故での教訓は、集団を形成していた人 一人一人にはどのように生かされるので あろうか(何を学び取ったのだろうか) 来年の夏は、誘導・警備強化の下に花火大会が開催されるであろうが、一年を経た見物 客には今回の事故はどのように位置付けされているのであろうか。来夏は 事故のニュースでなく、ボランティアの誘導員の申し出が殺到するといっ 明るいニュースにあって欲しいものである。

米 同時多発テロ事件 世界貿易センタービルの避難者インタビューで 非常階段では 避難者は 声を掛け合い励まし合いながら避難したという報道があったが 同じ集団 でもこの違いは何なのだろうか 同じ被災者という一種の連帯感によるものだろうか。

怒り

下位(敢えて ここでは下位と表現する)の者を目の前に 大声を出し怒りを露わに している人物(やつ)が居る。

彼は部下を叱っているのか・・・・・・
彼は自分の怒りを 立場の弱い者(部下)に向けているだけだ。彼には 部下を叱るなどの指導力はないね。
不都合な結果にならないように常日頃から指導してきたと言う自負が怒りとなって表れたのか
そんな人物ならいいのだけど 自分にとって不都合な結果の 発生に対し 自分の指導力なさに怒っている訳でもなく、唯 それが 起きたということに 怒っているのだ
 
じゃー、あの怒りは 結果として何かを生むのか。
何も建設的なものは何もないね
彼自身 自分のやるべきことを認識していないから当然 反省もないと思うよ。
不都合な結果を招かないために 自分がどう関わってきたか
どう関わるべきであったか と 反省が必要だ

話は変わるけど ドリフターズの いかりや長介
 彼って 結構リーダシップ 持っていたんだね

それにしても もう少し 各人の心に 余裕があれば

今 思うに 私が子供の頃は 親から学び取ることが多々あった様に思うけど
親は飼育(?)学校は教育 と言えば 極端だけど
役割分担・分業化した感じで 教育の場は充実したが
学問の場が少なくなってきてるのではないか
どのように定義づけされたものをゆとり教育というのかは承知しないけど
心に余裕のある人間に育つ為の教育が必要と思う。
心の余裕がもてる社会的なシステム(仕組み)が構築されていれば
子供の虐待も少なくなるのでは・・・・・・・・・・



地球の陸地の土厚は平均すると 18cm だそうです。
農地の“土”は自然の土と遠くかけ離れたものとなりつつあるミミズさんや、微生物が住んでる(暮らせる)“土”でなく、作物を受ける“モノ=場所“となっているようです。土を土に還すことがこれからの農業の課題かも


地球に優しい

これ程 人の驕り といえる言葉はないと思っています。
人が開発の名の下 地球にしてきたことは 破壊が80%かも。人に都合の良いことを開発と定義つけするならば,長スパンでみれば今までの開発は人にとっても(地球にとっても)決して開発とは言えないように思います。
地球上で人間がやってもよい”領分”て、あると思うのですが。これからも人間が地球のお世話になるつもりなら地球上で人間がやってはいけないことを、もっと勉強しなければノ私も、1941年〜2016年(?)の間 地球上に住んでいましたがノノノ.その頃でも地球の”荒れ”のことは言われていました。


工程表の作成ソフト

かなりの業種で 工程表作成という業務があると思われるのにネットにも意外と少ないです。汎用性は高いと思われるのに。
皆で知恵だして 作ろうよ !!
・俺は 嫌だね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勿論 出来たら 使う
(お前らとはレベルが違うよ)
・そりゃ いい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・口だすけど手はださない
(俺が指導したんだ)
・いいネ頑張って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やんなさい。出来た頃教えて
(教えてやるわさ お前の奥さん浮気してるぞ)
・他人の作ったものに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケチつけるのは上手
(単なる耳年増 解ってない輩)


長女の結婚式での失敗
花嫁の手をとり、ともに歩かされました。「♪右足で1歩進んで、左足をそこに運んで♪今度は左足で1歩進んで,右足をそこに運んで・花嫁と足を揃えて下さい」 と案内の方の説明 ハイハイ ワカリマシタところが本番では 娘と足は揃わない舞い上がって ♪右足で1歩進んで(左足は後方のまま)♪今度は左足で1歩進んでと無様にもロボット歩きを演じてしまった。
娘はロングドレスだからどちらの足なんて分かりゃしないのに
親娘して歩くのは本当に久し振りでした。


こんな話を聞いたことがあるけど

ある職場で1人を(以後A君という)ターゲットにした悪戯を目論んだ
職場の各人がA君を見掛けたら一声掛ける悪戯である。
その内容は 
B(同僚)「A君お早う!! どうしたの? 顔色悪いよ」
C(上司)席についてるAを呼びつけ「元気無いな。大丈夫か?」
D(先輩)「A、顔色良くないけど風邪か?」
以下 E・F・GとA君が病気みたいに見える言葉をかける
2・3日続けて、この悪戯を行うとA君は本当に病気になる?
(精神的 → 肉体的)

人は自分が思っているより、うんと弱いものらしいです。
一人一人の言葉は、私は、こう言っただけと言える些細なことなのですが、それが多人数ですと、受ける立場のA君にとっては強力なストレス(外力)となるのでしょう。学校のいじめも、これに似ていて、いじめが集団的であるだけに 受ける側は、精神的に滅入り死を考えるようになるのではないでしょうか。
私は、いじめは文句なしに犯罪と思います。


報道記者殿の考えは少し理解できないことがある。

中高生が事件を起こすと 学校長の取材を行うようですが、人としての教育は 学校に、その責があるとお考えでしょうか。もし事件を起こしたのが、自分の子供 だったら、それでも学校に取材に行くのでしょうか?
他人様は どう考えているかは知りませんが、私自身は【どこそこでこんな事件が起きました】という類いの情報は欲していません。【だから○○・・・】という報道を期待しています。

この世に不幸なことは原因・再発防止への道標・対策・高遠の理想の下、道を説き 現社会環境構築者である読者へ思考の場を呈してもいいのではないか。
時として 報道記事も 人を苦しめる言葉の暴力(刃物)となることがあるが、多くの人に求められている道具としての力を発揮してほしいものである。


子供の言葉は心の洗濯機

小川のせせらぎ・・・「お水さんが お話し してるの?」 
雨 雨 雨 雨・・・「お空が 泣いてるの?」
三輪車に乗った子供・・・「おじちゃん 危ないよ」・・・単に私が邪魔だけかも?


一人涙してる人がいたら

「そっとしておいてあげたら」
「私にできることなら慰めてあげたい」
私には その場その時に応じた沢山の選択肢が考えられ一言ではこれとは言えない 。


国会議員(先生)

先生は選挙によって選ばれた人である。ところが先生方は ”選ばれたのだから国民より上位”という意識があるようで与えられた権限を自分の為に行使(優越的地位の乱用 権限以上のこと)することは厭わない様である。与えられた権限は 条件つきであり 国民の代行者としての 責務を果たすために与えられたものであり 国民の代行者としての使命(責務)を忘れてはならない。


サラリーマン・会社

部下は上司を選べない キャリアの問題はなにも警察だけのもんだいではない
部下の意見・提案に耳をかさず かといって 原状の問題点を把握していない
長期的な展望や経営的な視野に欠け,目先的なジョブの処理に追われ、問題認識に欠け、意思決定・決断能力に乏しく 率先垂範とは縁遠く、そこにあるのは現状維持の姿勢(極めて内部志向・自己保身)のみ。改革・改善する意欲はなく変に偏った自信だけは強く必要な情報を自分のところで止め、それをパフォマンスとし部下への情報提供が少ない
(2000.5.16 朝日新聞 くらし 記事を捩って)

嗚呼、私もこんな上司になりたい。