8月24日


 最後のお食事会



荷物と一緒
 オレが村に行くのは今日が最後。いつもどおり5時に起きて村に向かう。今日は車の量が極端に少なく、ヒッチハイクには苦労をした。
 やっと捕まえたオンボロのトラックは、荷物が満載で座る場所もない状態。荷台の端っこに、なんとかしがみついた。金井さんは助手席である。道がでこぼこなので何度も振り落とされそうになったけど、必死でしがみついていた(写真:この写真じゃオレがどういう姿勢でしがみついているかわからないのが残念)。
 このオンボロトラックは平坦な道でも荷台がやけに揺れた。荷台ごと落とされんじゃないかと思って怖かったが、運転手は親切な人で、途中でコーラをおごってくれたので許してやった。

 今日は、スペイン語の家庭教師も最後の日である。お礼に、と思って、夕食に誘った。ついでに、金井さんと、大家さんちの娘2人も誘って、女性4人にまとめてごちそうすることにした。最後のお食事会だ。この日記では、大家さんちの娘たちがよく登場するけど、彼女たちは、おそらくオレと同世代である(年齢を聞いたことはない)。家庭教師の先生は、オレより年下だった。
 「どこのレストランでもいいよ」と言ったら、女性軍団はホテルのレストランを選んだ。このとき、オレの財布には、オレが普段食べる夕食(ビール付)4日分ぐらいの金が入っていた。
 ホンジュラスの人たちは、朝食、昼食、夕食のうち、もっとも豪華なのは昼食である。夕食は、あまりたくさん食べない。おまけに、家庭教師の先生は、「最近ダイエット中で夕食は食べてないの」なんてことを言っていたので、まあ、たいした金額にはならないだろうと踏んでいた。
 ところが、ちょっと高めのホテルのレストランで、女性軍団は、フルコースで料理を注文しやがった。ラテン系の皆さんは遠慮を知らない。「先生、あんたダイエット中じゃなかったんかい! ホンジュラス人のくせに夕食をそんなに食うなよ!」と心の中で叫んでいた。
 結局、財布の中の金の3倍の金額になってしまった。万が一のときのためにUSドルを持っていたので、仕方なくそれで払った。思わぬ出費だ。でも日本で飲み食いするより、ずーっと安かったから許してやった。

 そして、明日の夜、この町を離れる。この日記も明日が最後。



Seiji OHMORI 1999