πνευμα _ Take into consideration


Written by Suzuki, since 2000








Modification in this site

Download of my products

Support of my products

Take into consideration

Profile and others...

Link of other site


Return to menu page

Return to index page


私の考えとして・・・


「 武道 」の視点から・・・



最近の風潮として、軟弱な弓を用いて見かけ上滑らかな射が引ければそれで良しとする「日弓連流」なる流派が蔓延しているようで、私のように20kg台後半の弓力の弓を使っていると偏屈モノ扱いされてしまうようです。

たしかに強い弓を滑らかに扱おうとするには半端な気持ちでは対処出来ませんから、軟弱な弓を使った方が手っ取り早いというモノです。

また、強い弓は肘に対して半端では無い負担を強いる事になります(私も一度肘を壊して、6kgの弓を用いるというリハビリの日々を重ねました・・・号泣)。



そんな思いまでして、私は何故そこまで強い弓にこだわり続けるのか?

それは武道としての醍醐味の表現手段として、必要不可欠なモノだからです。





強い弓を扱う事で得られるメリットとして、「弦音」については、弦に強いテンションが加わっているほど冴えのあるモノになる事は弦楽器でお判りいただけるでしょう。

音色についても、音の大きさの面でも、より優れたモノになります。



「矢飛び」については、視覚上の迫力は言うまでも無いでしょう。



それに加えて、「弦音」から「的の的中音」までのタイムラグの短さも重要な点です。

感覚というものは、五感の中の拾い取る信号の種類が複合する事によって、発せられた信号に対しより強いモノとして印象付けられるモノなのです。





「昔は『弦音』に冴えを出すために耐久性に劣る極細の弦を用いる事が『粋』とされていたんだよ・・・」と、年配の先生に聞かされました。弓力についても当時(先生方の若い頃)は20kg台の弓を使っていたそうです。

そして、「でも今時の若いモンは見た目でしか弓を見ないからみんな弱い弓を使う。だからみんな弦音が『ビヨヨ〜ン』としかいわない。あんなじゃ弦音とは呼べない!」と、おっしゃっていました。





古来、日本人には音を愛でて侘寂とする文化があったハズ。

それなのにいまの弓道というモノは、見た目でしか価値を判断出来無い貧しいモノになってきています。

それだけ弓道そのものの文化レベルが落ちている、そして感受性の鈍い不粋なヒトが弓道の世界に蔓延してきている、という事なのでしょうか?
悲しいものです。



また、弓力の反作用に裏打ちされた「離れ」の鋭さも重要です。そもそも「離れ」から「残心(残身)」への右腕の移動とは、弓力の反作用で起きるという事は誰もが理解されている事でしょう。

そんな訳で当然の事ながら弓力があればあるほど鋭い離れが「自然に」出せます。



ただ、世の中には弱い弓を引いていても鋭い離れをされる方も中にはいます。
でもそれは意図的な作為が働かなければ成り立ちません。

本人も気付かないうちに、条件反射的として離れを「創り出している」、という事に他ならないのです。



これらの強い弓による作用が複合して初めて「力強さを感じるダイナミックで迫力のある射」となるのです。





「力み」ではなく「力感」。





本来、弓道は武道なのですから、武道が持つ固有の醍醐味がなければおかしいのでは無いしょうか?

他の武道であれば、体力のある年齢でなければ第一線に立つ事など出来無い訳ですし、体力が衰えたらそれを自ら認め、指導者としての責務を果たす事に専念するのが筋というモノでしょう。

それなのに、弓道では体力の衰えた大先生方が第一線にしがみついて、「衰えた体力でも出来得る射」を正当化するために「ミテクレでしか価値を捕らえない『日弓連流』」なるシロモノを広めている。 これが果たして正しい武道の有り方でしょうか???



そして「日弓連流」なるシロモノの指導における問題点として、軟弱な弓を初心者に使わせてしまうため正しい骨法を会得しなくても筋力によって弓を引けてしまう、という事があげられます。

未熟なうちに強い弓をあえて使わせる事で、正しい骨法を身に付けさせる事が出来るのです。

「弓とは、筋力ではなく骨で引くモノ」という基礎にある通り、貧弱な体格であっても正しい骨法さえ出来ていれば強い弓をきちんと扱う事は出来るのです(アーチェリーの世界では常識)。

この文章をお読み下さっているあなた!自分が正しい骨法を身に付けていると思い込んでいるだけではないのですか?

正しい骨法が出来るのであれば、男性なら20kg代前半、女性でも10kg代後半の弓力の弓を普段と変わりなく引く事が出来るハズです(周りの先生の中で、21kgの弓を難無く引かれている女性の方もいらっしゃいます)。

ただ、それ相応の筋力が無ければ「矢数を掛ける」事は出来無いため、的中率の点だけで捉えれば強い弓を扱う事によるデメリットは当初は大きいモノがありますが、筋肉の組織はどんどん環境に順応する( 3ケ月で50%、半年で100%入れ替わる )訳なので長期的には問題は無くなります。





また、弓道における最終目標として「真・善・美」がよく言われます。
それはそれとして正しい事だと思うのですが、もうひとつ忘れてはならない事があるのでは無いでしょうか?

弓道とて武道の中の一つです。
「心・技・体」をともに修練させていく、その姿勢が重要でしょう。

肉体面の修練を積まずして、それが武道の修練と言えるのでしょうか?



弓道の世界では、なぜか「心」と「技」だけしか重要視しないのは非常に不可思議ですし、どの武道でも用いている「心・技・体」というこの言葉を、弓道だけはまったく使わないという事もおかしな話です。

「柔をもって剛を制す」のが武道の醍醐味の一つである事は疑いようの無いところではありますが、オリンピックの試合を見ていても、剛柔の両立した選手が勝ち残り、また見る者への圧倒的な印象を与えたのもまた事実でしょう。

最近の弓道における「的中至上主義」からしたらこんな事は意味が無い事なのかもしれませんが、もっと武道としての側面を大事に考えてくれる方が少しでも増えればいいのですが・・・。





最後に。

弓力があるほど的中は上がると考えているヒトも中にはいるようですが、私の場合はあまり関係ありませんでした。

上がりもしないけれど、下がるという事もありません。

ただそれ以外の面で私なりに考えると、強い弓を扱う事での苦労はそれなりにしてきましたが、それに見合うだけの自己満足は得られてます(苦笑)。

自分が住んでいる土地以外の場所への射会へ参加すると、周りの方が「凄いねぇ」と関心してくれたりするんですよ。

実は、それが自己満足を満たさせてくれる一番の要因かもしれません(冷汗)。