錆について


しずか



しずかだ




暗闇は、こころのきぶん





さむい





いろいろなイメージが湧きあがって現れては、

そらにのぼってはじけてゆく

そのすべてが、とても愛しく、はかなく見える

そう感じてしまうと、手をのばしたくなる


すべてつかみ、回収し、保存したくなる



でも法則は曲がらない

それが当たり前だと言わんばかりに、すべてが失われる

つぎつぎと失われる

これ見よがしに、ひとつずつ。

指より少し先を、通りすぎてゆく。




――――――――――それは、リアルな感触を想起させなくてはならない






不満はありません

とくに、希望はありません

つらいことは、忘れました

体調と天気だけを気にして、しずかに生きてます


トントン

誰かがドアを叩いた

どなたですか

「わたしです」

知ってるよな、知らないよな。

「わたしです、ってば・・・・・ホラ」

ドアを開けた

そこに立っていたのは、




――――――――――それは、少しだけ不快さも混じっていなければならない



だれかの死が、次の生につながる

としたら

今のぼくは、たくさんの死によって構成されている

ほかのみんな同様、いろんな景色を見てきたであろう家系の、その末裔。

祖先が触れたほとんどは忘却され、ぼくという結果だけがここにある

その祖先も、いろいろな死に支えられてきた


ぼくらを生かす、おびただしい数の、死


生同様、死にも、意味は無い・・・はずだ

意味はないと断じると、悲しくなって、結局意味を感じてしまうのはどうしてですか


でも死ぬ いつか死ぬ 死ぬということをどう捉えてても、やっぱり死ぬ
物質だけが、正直だ





――――――――――それは、しかし懐かしさを伴ってなくてはいけない



みんな死ぬ

みんな死ぬよ

一人一人が、死ぬ

国も死んで

種族も死に

星も死んで

物質も死んで

何が残る

何も残らない

その予感だけがある

確実さと説得力を伴って、終わりの日は近づいてくる



――――――――――それは、誰もが知っていなくてはならない


説得力より強い力が、あるか?
説得力さえあれば、どんなものでも許され、肯定され、助力を得る。
人は説得力に説得される。


心がうごくことよりも凄いことが、あるか?
凄い、とはどういうこと?
それは、心が決める
凄いかどうかは、心が答えを出す
凄いとはつまり、心がうごくことそのものだ
凄さは、論理も愛も、すべて圧倒して心を壊す


――――――――――それは、ゆるやかな変化を伴っていなくてはならない



街の中心のてっぺんで、不幸の鐘の音が鳴っている

その憂鬱な音を聞きながら、ぼくらは日々をやりすごしている


・・・その子は、抱きしめてあげたくなるほど弱い子だった

恥ずかしがって、伸ばした髪の中にその顔を隠して。
ときどき見える目は、どこか寂しさを訴えていて
その寂しさは、ぼくの寂しさにも似ていて、だけどそれよりずっと深くて。
どんな体勢でもいづらいのか、いそいそと落ち着かなげで。

手をさしのべたくなる・・・そんな子だった


その子と一緒に、鐘の音を聞いたよ
「いやな音だね」
「うん・・・・」

いっしょにため息をつくやすらぎを、ぼくらは知っていた。

憂鬱な音が、ぼくらをつなぎ、ささえていた。



――――――――――それは、表面を這うものでなくてはいけない


ぼくにはあの子しかいなくて、

あの子にはぼくしかいなくて、

そのことがぼくらを守っている・・・・・


そう思ってた。


だけど、ちがった。

現実はぼくにつめたかった。

ぼくとあの子は、同じではなかった。



あの子は笑っていたよ・・・

ぼくの知らない笑顔

ぼくには見せなかった笑顔

ぼくはあの子の唯一じゃなかった

あの子は幸せを知っていた

だきしめてあげられるのは、ぼくではなかった




――――――――――それは、意図的なものであってはならない


その日ぼくがいつものようにあの子を訪ねると、

あの子はいなかった

いなくなってた

遠くへ

この街を出ていってしまっていた



――――――――――それは、しかし意味を見出せなければならない


風景が流れていく

窓の外、通り過ぎる木々

まるで時間のように、近づくものが遠ざかるものに変わる

列車に揺られ、ぼくは一人でため息をついた

馬鹿だ

馬鹿なことをしている

彼女を追うのか

追いついて、何を言うんだ

困惑した顔を見て帰るのか

ぼくが彼女に何を与えられると言うんだ

あきらめる方が大事なのに

こうして藁にすがっている


となりの老人が、ゴホ、と咳をした

老人は眼鏡をかけていた





列車が止まった

着いた

音楽が聞こえる バルーンが浮かんでいる

楽しげな街だった

悲しいくらいに、楽しげな街


――――――――――それは、優劣とは無縁でなくてはならない



今日は、

絶望を見つけたよ


不幸なんてないよ、楽しいことばかりだよ、と
しつこく言い寄ってくるノイズのなかで、それを見た。

ぼくではない誰かに手を引かれ、賑やかな町並みの中を歩く、あの子

落ち着かないあのしぐさは、あの時のまま。

キョロキョロと、町のすべてに見入っている

希望に満ちたその顔に、ぼくは絶望を見た




――――――――――それは、小さいものの集まりでなくてはならない



風景が戻っていく

窓の外、通り過ぎる木々

まるで時間が逆行するように、近づくものと遠ざかるものが反転する

帰路の列車に揺られ、ぼくはまた一人でため息をついた

馬鹿だった

やっぱり馬鹿なことでしかなかった

彼女は満ちていた

たとえ追いついても、言えることなんてなかった

困惑した顔すら見ずに帰ることにした

ぼくは彼女に何も与えられない

あきらめる方が大事なんだ

藁にすがるのは、もうやめよう・・・・


となりの老人が、ゴホ、と咳をした

来たときと同じ、眼鏡をかけたあの老人だった




――――――――――それは、普遍なるものとの結合でなくてはならない

老人は言った

「でも、お前はもう分かっているはずだ。

お前は、誰かに信じてもらっても、

それが何の足しにもならないと知っている。

誰かに信じてもらうことを望んでいるようでいて、

それより遥かに、孤独であることを強く望んでいる。

望み通りにありながらさらに望むのは、

お前、贅沢というものだよ。

自分だけは自分を信じたいんだろう?

だったら自分に嘘をついてはいけないよ。

お前は負け犬で被害者だが、にも関わらず救われている。

お前の心はどこを漁っても輝くものばかりで、

暗く深い絶望を支えるだけの器はないよ。

不幸を気取るのはやめなさい」



列車が止まった

着いた 故郷に

ぼくは降り際に、その老人に礼を言った

もちろん、一発殴ることもした




――――――――――それは、他の何かに似てなくてはならない



鐘の音が鳴っている

不幸の鐘の音が。

いい気分だよ

とても、いい気分だ

でも、どうしてだろう

風が冷たい

ほほに染みる

濡れたほほに、染みる

ぼくは泣いてるんだ

いい気分なのに

どうしてだろう


ぼくは、ぼくの寝床に帰った


――――――――――それは、暗く切ない感情でなくてはならない



不満はありません

とくに、希望はありません

つらいことは、忘れました

体調と天気だけを気にして、しずかに生きてます



――――――――――それは、折れ曲がった線で描かれなくてはならない




トントン

誰かがドアを叩いた

どなたですか

「わたしです」

知ってるよな、知らないよな。

「わたしです、ってば・・・・・ホラ」

ドアを開けた

そこに立っていたのは、









あの子だった





――――――――――それは、階段を踏む音でなくてはならない



「・・・ひさしぶり」

彼女は笑った

あの笑顔だ

十分だよ。足りてるよ。 そんな気持ちで喜んでる、あの笑顔。

ぼくを必要としない笑顔!!


「うわあああああああああ!!!!」


ぼくは手当たり次第、物を投げた

コップとか、本とか、クラリネットとか、いろいろ。


「帰れ!!」


ぼくは絶叫した

怖かった

あの子は、怖い

彼女は希望だ ぼくの恐怖だ

叶わないことが分かりきってる夢が、ぼくを傷つける

「・・・どうして?」

彼女の表情は曇った

悲しげに曇った

あの顔だ


ぼくを虜にした、あの顔だ


コワイ

「ねえ、どうして?」

彼女が近づいてくる

ぼくは後ずさった

コワイ、コワイコワイ

「怯えてるんだね・・・・かわいそうに」

どん、と背中に壁が当たった


コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ
コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ


ふっと――――――――――――――――

動けなくなった

やわらかな感触が、ぼくを拘束した

「つらい思いを、させちゃったんだね・・・」

あたたかかった

「もう、大丈夫だよ」

彼女が、ぼくを抱きしめていた

「大丈夫」

抱きしめてくれていた

ぼくは、ヘナヘナと力を失った

彼女はそっと教えてくれた

「怖がらなくてもいいんだよ」

本当に?

「うん」

知らなかった

「ほんとうだよ」

ぼくの知らないことだった




ゴーン

聞いたこともない、まるで幸せのような音が聞こえてきた



――――――――――それは、生命になる一歩手前でなくてはならない




かつてぼくらは、不幸の鐘の音に、しあわせを見出していた・・・・


不幸にしか聞こえなくても、ちゃんと分かっていたんだ


軽やかな、天国から聞こえてくる鐘の音を。


時計塔の鐘は、錆びていた


この街の歴史、長い年月が鐘の音を変えていた


そのいびつで汚い音は、もうぼくらの心にすっかり染み込んでいた


彼女は知っていた


ぼくらが、鐘の音なしに生きていけないことを


水を飲むように、当たり前に享受しなくてはならないことを


彼女が遠くまで出かけて買いにいったのは、錆取りだった









――――――――――それはつまり、錆について。


[おしまい]

こっちにおいで。