第二章 水面下の日中アヘン戦争



2 中国東北部に蔓延する関東庁アヘン



●アヘン市場の激戦区 中国東北地方

 「満州国」が建国する前の東北軍閥時代、奉天や瀋陽など中国東北部の各都市はアヘン市場の激戦区で、各地からアヘンが集積した。代表的なものを挙げると、熱河アヘン、北満アヘン、朝鮮アヘン、そして関東庁からのアヘンが流入してきており、ともに中国東北部という巨大市場をめぐって競争していた。
 各勢力は獲得した市場を守り、権益を拡大するために自らの利益そ脅かすアヘンに対して厳しい態度で臨んだ。例えば関東庁関係の警察が、鉄道などの中で関東庁以外のアヘンや麻薬の密輸送を発見した場合は、アヘンや麻薬を没収した。もちろん、関東庁のアヘンはお咎め無し、あるいはいくぶんかのみかじめ料を取って没収することは無かった。
 アヘンの密輸送を取り締まっているのは何も関東庁警察だけではなく、地元の軍閥や有力者など多数いるので、密輸送はその手口を巧妙化させてきた。アヘンのにおいを消すために味噌樽に入れたり、時計や大工道具に細工をして二重底を作ったり、食品に混入したりするなど、さまざまな手口で摘発をすり抜けてきた 。
 関東庁は出来高制の奨励金制度を使って警察に密輸送の摘発をすすめ、さらに警察が没収したアヘンを今度は自らの息がかかった商人に売り下げることで利益を得た。詳しくは次に述べるが、張学良も自らの管轄下で日本関係者に対する出店禁止や店舗貸し出し禁止などの措置を行うことで、日本・朝鮮人商人の進出を食い止めて、それぞれ自らの利益確保に躍起になった。

●関東庁のアヘン専売の仕組み

 関東庁の専売局の仕事は、三井物産からペルシャ産アヘン、トルコ産アヘンを入手し、更に警察が各地から没収したアヘンを生アヘンのまま州内の小売業者や州外販売を受け持つ特許商人に売り下げるだけの単純作業であった。仕事がそれだけで済んだのは、アヘンの内陸部への通り道であった満州鉄道(以下、満鉄)で関東軍が関東庁のアヘン麻薬販売商人を守って商業活動を保護しており、「売りやすい」環境を確保していたからだろう。
 しかし表向きは禁制品のアヘンを空手で保護するわけにはいかず、警察や関東軍はいくらかのみかじめ料を得て業者を見逃していた。要するに袖の下である。まとめると、警察が関東庁が管轄する以外のアヘンを没収すると、奨励金が警察個人のボーナスとなるだけでなく、関東庁は奨励金と警察の人件費だけでアヘンを手に入れることができる。更に警察は関東庁のアヘンをいくらかで見逃せば自らの収入になる。いずれにしてもアヘン密輸送の摘発さえ成功すれば関東庁が儲かるうまい仕組みが出来上がっていたのだ。

●「満州国」と関東庁の対立

 しかしながら、これによって「満州国」がアヘンを購入し満鉄で満州に運ぶ時に、ひとつの問題が噴出することになる。それは、「満州国」関係者が満鉄でアヘンを輸送している最中に、関東庁の警察に没収されることがあったということだ。この事実が何を物語るかというと、少し後の話になるが、同胞であるはずの「満州国」の専売アヘンすらも関東庁の専売アヘンにとっては市場を争うライバルのひとつでしかなかったということだ。おりしも戦争の準備にどの勢力もおわれ、軍資金はどれだけあっても足りない時代である。こともあろうに、日本人どうしが裏で争うという事態が起きてしまったのだ。
 ところが「満州国」は、関東庁を裁く手段を持たなかった。というのも、「満州国」は基本方針として1932年3月9日に「暫く従前の法令を援用するの件」を公布していたので、法令等一切張学良政権を継承して同じとしていた。そのため、「満州国」としては日本・朝鮮人は治外法権によって守られて手が出せない状況だったために、「満州国」警察として関東庁側の人間を裁くことはできなかった。

 中国東北部近辺ではアヘンの需要は豊富であった。それは前章で見たように、軍閥などがケシ栽培とアヘン取引を奨励してそこからあがる税金などを財源にした上に、アヘン吸飲を野放しにした影響である。それが原因で、満州にはありとあらゆる産地のアヘンが進入することとなり、関東庁からのアヘンも利益を求めて進出する余地があった。「満州国」としてアヘン専売を確立するために障害になったのは、満州に流入するアヘンが実に様々な地域から来ていることだけでなく、特に厄介だったのが治外法権を盾にして取締りを逃れてきた日本・朝鮮人と、同胞ながらも市場を争う関東庁だった。「満州国」は巨大市場で需要が十分にあるにもかかわらず、「満州国」が専売体制を確立するためには、関東庁との確執を超えるという大変な課題が残った。
 

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