三章 「満州国」アヘン専売開始

第3節 アヘン獲得に奔走する「満州国」

  
4 熱河作戦の真の意義

●湯政権の継承

 「満州国」は当初から熱河の占領とアヘンの獲得を同じ意味で見ていた。熱河作戦はともすれば日中戦争の一部で、北京に進行するためのステップとして見られがちだが、「満州国」のアヘン獲得という裏の意味も持っていた。朝陽寺事件以来すっかり熱河アヘン獲得は暗礁に乗り上げていたため、アヘンを手に入れるための強硬手段に出たことになる。熱河作戦に際して「満州国」は、奉天の政府機構接収に失敗した痛い経験を反省して、アヘンを入手とスムーズな機構接収を目指し、阿片工作班を派遣して熱河のアヘン政策を接収しようとした。まず工作班は湯玉麟政権の禁煙善後管理局−もと禁煙総局−を接収して、熱河でのアヘン政策を受け継いで熱河における栽培の実態を把握し、専売公署承徳弁事処を設置して「満州国」の専売公署の支配下に置いた。
 ところが禁煙善後管理局は「ケシの栽培地を拡大し」、「ケシ栽培税を農民から徴収する」機関であったため、「満州国」とは違ってアヘンを政府が直接買い上げてはいなかった。また熱河ではアヘンは規制されておらず、販売も吸飲も自由であったために、「満州国」は敢えて阿片法を熱河では適用せず、これまでどおり吸引は自由とした。このほうが、熱河の民政を行ううえで有利だと考えたのだろう。ただし熱河省のアヘンに対する方針は「省境出入の阿片はすべて専売公署の命令で処理する。各地に専売公署の収納機関を設置し、阿片の収納統制を強化し専売効果の貫徹をはかる。阿片関係各機関は一般設治工作班と密接な連絡を保持すべし 」と定めており、最終的にはアヘンの流通をコントロールするという意思がはっきりと示されていた。

●商人に流れる熱河アヘン

 熱河の農民はもともと直接商人にアヘンを売って収入を得ていた。ところが「満州国」が入ってきて、専売公署が直接アヘンを買い上げるという方針に大きく転換すると、変更を熱河の農民に告知するため、専売公署は収買を知らせるために伝単を飛行機でばらまくなどして宣伝活動を行った。ところが熱河では1921年のケシ栽培解禁以来、すでに強固なアヘンの土着流通ルート形成されている上に、「満州国」の阿片法を実施しないで従前のように自由で取締りを行わないというので、奉天などのフリーマーケットのように緝私隊が押収することも取り締まることもできずにいたため、なかなか農民たちは収買に応じなかった。更に、禁煙分局が禁煙善後管理局の機能を引き継ぎ、湯と同じ方式で「比額」を割り当てて栽培の目標を達成しようとしても、実施のための十分な財力が無く、人々の信頼もつかめなかったのでスタートと同時に、熱河のアヘン事情は八方塞がりの状態に陥った。これを解決するには、アヘンを実際に手にしている在来のアヘン商人を取り込む必要があった。

●きっかけは関東庁の取り締まり強化

 ところが、関東庁の政策の転換が満州の専売公署に熱河のアヘンを大量にもたらす契機となった。張学良政権が倒れ、アヘンのフリーマーケットが中国東北地方各地に形成されると、満州鉄道付属地を経由して汽車で多くのさまざまな地区の密輸アヘンが流入してきた 。そんな折の33年1月に「満州国」が阿片法施行するに当たって、懸案であった満州鉄道付属地のアヘン取締りを関東庁に要請した。関東庁は専売を強化する意味と、要請を受けて40名の業者を特許小売人に指定し、その上で関東庁アヘンの公然販売を続けたが、同時に専売アヘン以外すべてのアヘンの徹底して没収しはじめた。
 それには当然関東庁が満州の市場を確保しようとした意図が見て取れる。これらのアヘン商人はもちろん関東庁のアヘンだけを扱っていたわけではなく、商売の規模が大きくなるにつれて北満産・熱河産をはじめとして多くのアヘンを取り扱っていた。この結果として関東庁専売アヘン以外を取り扱っていたために、指定商人からもれた商人は、指定からもれただけに留まらずとたんに取り締まられる立場に陥った。

●敵の敵は味方 商人と協力体制を結ぶ

 関東軍の保護を離れたために、「満州国」に協力を申し出ることで生き残りを図る商人が出現した。その中の一人である張玉軒は、熱河にパイプを持っていたために、関東庁からの指定商人からこそ漏れたものの、熱河のアヘンを取り扱う能力を持っていた。ここで熱河アヘンを買い集めたい「満州国」とアヘン商人として生き残りをはかりたい張玉軒らの商人の利害が一致してた。「満州国」は彼に熱河アヘンの収買を委託して、ようやく熱河のアヘンを2ヶ月で44万5000両買い集めることにようやく成功した。ここに熱河作戦の目的はようやく完遂することができ、「満州国」の専売アヘンが出揃うめどが立ったことになる。

●まとめ

 東北軍閥の市場統制・封じ込め政策の反動として、軍閥崩壊後に政府の市場統制の力が弱まると満州の各地でフリーマーケットが出来上った。「満州国」が専売公署といった官制をまず公布して収買と販売の機構を制定しても、力及ばず満州には無法状態のままに各地からアヘンが流入するに任せる状態が暫く続いた。アヘンの無法な流入は市場争いをますます激化させ、関東庁としても自らの市場を確保するために規制の強化に乗り出さざるを得なかった。それがもとで「満州国」に協力を申し出る商人が出現した。張学良が行った日本の封じ込めは、アヘンの市場占有を巡って行われた綱引き合戦、換言すれば武力を伴わないアヘン戦争ともいえよう。仮に張学良が封じ込めを行わなかったとしても、アヘン商人たちは占領の混乱を利用して関東軍占領後の各都市において、新政権下で利益をいかに獲得できるかを争ったことだろう。それゆえに密売アヘンは市場に氾濫して、およそ強制手段を伴う対策を講じなければ、販売ルートとアヘン入手のルートを政府が独占して、専売するということは難しかっただろう。「満州国」は前政権のままを行わず、あえて専売を行おうとしたので、いわば専売の「産みの苦しみ」を味わったともいえる。



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