おわりに


 それでも 人は生きる



 勉強すれば勉強するほど、勉強不足を痛感する。この卒業論文を執筆していた当時は、「とにかく早く終わらせて寝たい」とか、「なんとかまず卒業だよ!」とか考えていて、歴史的な意義や文章の完成度などは全く考慮に入れていなかった。要するに単なる「書きなぐり」の集大成といっていいのか、怠惰な大学生の4年間の成果(あるいは象徴)というべき代物だった(こうしてWebで発表しても「論文」とは程遠い代物ではありますが;)。今回敢えて全体を見直して、加筆修正をすることで…前提知識の圧倒的な不足を痛感した。
 そもそも、こんな論文をえらそうに書いてはいるが、満州事変というものの実質を私は知らない。どこでどのように戦争があり、誰が争い、どのような経緯で溥儀が擁立されたのかも、私はよく知らない。もちろん、張学良政権が行おうとした近代化も知らなければ、張作霖・張学良・湯玉麟以外の軍閥は名前すらもよくわかっていない。これで論文なんかかこうとした「身の程知らずさ」をいまさらながら思い知って、なんだか笑えてきた。

 よく、論文には「今後の展望」ということが最後に書かれるが、敢えて私が展望を書くならば…「もっと日本に満州を!」というところだろうか。知らない以前に「無関心」という少し恐ろしい事態が起こりつつある。日本人にとって「満州国」とは何だったのか…そんなことを考えてしまう。中国にとって満州は「偽満州」と表記されて、「満州国」の存在そのものを認めていない。ワタシが「満州国」と括弧書きにしているのも、私なりの「配慮」なのである。
 「満州国」は単なる軍国主義の象徴なのだろうか?ワタシには、まだその問いに対する答えを持たない。悔しいが、勉強不足とはそういうことだ。ワタシに知識の量が圧倒的に不足している以上は、この論文もその程度の意味しか持たない。しかし、今自分が持てる知識は搾り出したつもりである。この論文をわずかでも読んでいただいて、満州という土地を少しでも知っていただいて、アヘンと財政について興味を持っていただければ非常に幸いである。



 さて、現在日本はアジアでも「儲かる」の「麻薬市場」と米国の議会で言われている(マクキャンベル国務副次官)。事実、今の日本では麻薬や覚せい剤は興味半分で若者が手を出すこともあれば、あるいは暴力団が財源として使われることもある。また、よく密航船の船底から麻薬何キロが発見されるというニュースも耳にする。
 これは「満州国」時代でもアヘンやモルヒネの常用者が町にあふれ、馬賊などの匪賊がアヘンやケシの栽培を財源にしたことと、そして満鉄を利用してアヘンが密輸されたことと本質は何も変わらない。

「満州国」は滅んだが、アヘンは滅んでいない。それでも、人は生きなければならないのだ。




 繰り返しになるが、ワタシはこの論文で日本の戦争犯罪をうんぬんとする気はない。ただ、知っていなければならないのである。日本の教科書には2章で取り上げたようなアヘン戦略は全くといっていいほど取り上げられていない。しかし中国の歴史教科書では日本のアヘン戦略について取り上げられている。日中の溝は明らかである。
 念のため再び断っておくが、私は日中友好のためにアヘン問題を知っておくべきだと強調したい。「知らない・無関心」では相手と同じ土俵に立つ資格すらない。日中が過去を振り返り、友情を築くには…こえなければいけない壁がある。もちろんそれは中国側も同様であると、念のため釘を刺しておく(笑)


 最後に、この研究は「生」の資料がほとんど残っておらず、困難を極めた。しかしそれに対して、適切な資料をいただき、ご指導いただき後押ししていただいた先生には(敢えて名前は出しませぬが;)感謝の念を禁じえない。また、このホームページを作るにあたって応援いただいた皆様方にも御礼を申し上げたい。
 願わくば、このクソのような研究が、わずかばかりでも世の役に立たんことを…(了)

2007年9月25日   バブジャブ・マトゥイ 奇しくも23歳の誕生日…

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