「俺としても優秀な官を他国にやるのは惜しい事なのだが、
まぁ本人が望んでいるのだ、仕方あるまい。よろしく頼む」
「はぁ」
慶東国宰輔は、いつもどおりの気の抜けた返事をした。
akatuki no so-kyu
暁 の 蒼 穹
-雇用編-
赤楽三年、
和州の乱から一年、慶にも暖かな春の日差しが差し込んだ、平和な昼下がりだった。
またお忍びでやって来た延王が、珍しく延麒以外の人物を連れてやってきた。
その様子を見た時、景麒は嫌な予感がしていた。
そもそも延王の姿を見るだけで、その悪寒は働くのだが。
「字をと申します。よろしくお願い致します」
「おい、俺がやった姓名は言わんのか」
「…忘れました」
延王を相手に、しれっと答えるその風貌に、またしてもこの手か…と景麒は頭痛を覚えた。
どうも慶には、礼を尊ぶ人材が少ない。
初勅があんなものになってしまってから、さらに加速したその様子に、慶国一お堅いとも言える麒麟は頭を悩ませていた。
「こんな奴だが、司裘を任せていた。まぁ…今の慶には必要ないのだろうが、
一応大学が出ているので、なんにでも使えるだろう」
「一応とはなんですか、一応とは」
司裘―御庫の装身具の管理をする官…
必要ないわけではないが、ただでさえ人不足であり、
現在御庫は祥瓊がよく把握しているので、他に人材を回すべきと言える。
「わかりました。主上に相談します」
「まぁ女御あたりが妥当だろうな」
「…」
景麒はまた苦い顔をした。主上付きの女御といえば、鈴、そして女史に祥瓊…
景麒はあの2人には頭があがらない―それがもう1人増えると言うのか…
「ぷ…いいえ、私は春官で動物の世話でもしていたほうが良いでしょう」
「だそうだ。なかなか察しの良い奴でな、お前の女御にするのも良いだろう」
「! そんな滅相な」
「…どうやら早速台輔に嫌われてしまったようです…延王のせいで」
「とまぁ、口は減らん奴だから、話し相手には持って来いだろう」
「延王!」
「ではな、陽子によろしく!」
の背をドンと押すと、延王はスタスタと出て行ってしまった。
「…」
「…」
目を見合わせて、黙り込む残された二人。
沈黙を破ったのは、景麒だった。
「…主上は明日戻られる予定なので、とりあえず内朝に留まっていただいてよろしいか?」
「内朝? いえいえ、私など外朝に捨て置きください」
「…いや、内朝にお通しする。延王からの頂きものであるし…」
「…し?」
「…骨の髄まで図々しいわけではないようなので」
「…言ってくれますね、台輔…お変わりないようで、なによりですが」
「…? どこかでお会いしただろうか?」
「ええ…まぁ少しだけでしたから、お忘れで当然だと思いますが」
景麒は、苦笑を浮かべる少女を見る。
齢16、7だろうか…主上と同世代のせいか、どこか似た面がある…
「―もしや、あの時の海客?」
「ええ! 思い出してくださって嬉しいです」
にこりと笑った笑顔は、記憶のそれとよく重なった。
あれは、陽子が慶国王として登極したばかりのことだった。
官に人形のように操られていた頃、呼び出され出向いた地で偶然見つけた海客。
陽子は酷く哀れみ、延王の元へ送った海客がいた。
普通(慶国の)海客は、やつれ、怯えきってるのが普通であるのだが、
その海客は一風変わっており、血色はよくないものの、目は死んでおらず、明るかった。
「陽子さん――私、必ず貴方に恩返しを致します」
物思いにふけっていた景麒は、目の前であの時と同じ言葉を言われ、我に返った。
「まさかお助けいただき、しかもその恩人が王様だとは、思いもしませんでした」
「そうか…」
改めて、まじまじと少女を見る景麒。
あの時はボロを纏い、血色も悪かったので、とても同一人物とは思えぬ変わりぶりだが、
その表情や明るさは、同じものであった。
「それでは、存分に恩返ししていただこうか」
「ええ、よろこんで」
景麒は、いつの間にかこの少女への嫌悪感をなくしていた。
義理を忘れず、舞い戻ってきた一人の海客――
それは、一から国作りをはじめ、わずかながら蒔き始めた種の開花を予期するような、そんな出来事に思えた。
このようなことが続けばいい――そう、景麒は心の中で少し微笑んだ。
のちに、遠甫の示唆により田猟となったは、いい意味でも悪い意味でも、
景麒の期待を裏切っていくのであった。
[ 雇用編 END ]
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