「中には王が自国を軽んじておられる、と言う者もおりました」
「やはりそうか…」
「主上、何度も申し上げますが、決して主上の判断が―」
「冢宰、もうその話は耳ダコですよ」
「み、みみだこ?」
いつも冷静な浩瀚が訝しげに聞き返す様に、陽子はぷっと笑ってを見た。
akatuki no so-kyu
暁 の 蒼 穹
赤楽三年、泰麒が帰還し、慶を出てから、しばらく経った。
無論、その後どうなったかもこまめに調べているようだが、ただでさえ生まれたての国なので、
今回のことでどのような風評がたっているか、田猟であるが報告をしたところだった。
そもそも田猟は人民を管理し、納税のための台帳を整備する官。このような仕事はあまりしないのだが、
人民と接する機会が多いということから、たまたま外の話を陽子にしたところ
海客であった、という共通点もあり、そのわかり易い内容はえらく気に入られ、それ以来直接報告をするようになった。
王に奏上できる立場ではないが、現在は内宮への出入りを許され、
冢宰などの高官にも一目置かれるようになっている。
「冢宰は本当に主上がお好きですね。勿論私も大好きです。ですが、あるものをあるのです」
「しかし、そのような戯言、主上のお耳に入れる必要があるのか、まず私に報告し、それから――」
「本当に冢宰はお優しい。ですが主上は人民の声を聞きたいとおっしゃっているのです。隠し事など、それこそ戯言!」
「で、田猟…いくら信をおいているからといって、言って良いことと悪いことが―」
「いや、いいんだ」
実質的には「私のために喧嘩しないで」と止めに入った陽子は、やはり少し赤くなっていた。
「ですが主上――」
「主上、冢宰の愛は歪んでいます、はっきり言っちゃいましょう!」
「あ、愛って…」
「歪んでいるとは、どういうことか。私は主上に私を信じていただきたいと―」
「だったらなんで隠したりするのよ!」
止みそうにない売り文句に買い文句。陽子がはぁとため息をもらしたときだ、バタン、と部屋の扉が開く。
「もう、いい加減にしてください!」
「助かった…」
陽子が安堵をしたのは、そこに祥瓊の姿があったからだった。
こういった官の揉め事が始まると、だいたい祥瓊が言葉巧みに片付けてくれる。
「これは女史、ご機嫌麗しゅう」
「やめてちょうだい、寒気がするわ」
くっくっくと笑う。わざと笑いを誘ったのは、もどうやらこのやりとりに飽いてきたようだ。
「冢宰、どちらの愛が上か、それは二人で決着をつけましょう。もう夜も遅い、主上の体に障ります」
「そのように誤魔化して何度目になる…しかし後者には賛同する。失礼いたします、主上」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「それでは」
浩瀚とはそろって会釈をすると、部屋をあとにした。
「それにしても、…例の話、受ける気はないのか?」
部屋を後にし、それぞれの部屋に帰る途中、浩瀚はにそう話しかけた。
「ええ…ありませんね」
「最近では泊り込んでいると聞いているが? せめて内朝に移り住めば、行き来しやすくなるだろう」
「そんな理由で、朝士になっていいんですか?」
朝士と言えば、過去に浩瀚が抜擢された地位であり、秋官の下大夫、諸官の行状を監督し、王に奏上できる官である。
その地位への推薦を、は受けていた。いわゆる大抜擢である。
「すでに同等の特権を持っているのだから、名前と住む場所がかわるだけだ」
下官は雲海の下にある下朝に住んでいるが、朝士ともなれば、内宮にならび雲海の上にある内朝に移り住むことなる。
「…田猟の仕事、結構好きなんですよ」
「台帳の管理など下に任せっきりで、ほとんど出歩いていると聞くが?」
「それがいいんですよ…それに出歩くのは主に昼間で、夜は真面目に―」
「主上に告げ口、私と喧嘩、か」
「酷い言われようですねぇ」
「一部を除き、私は君を高く評価している」
「それはそれは…一部を除きありがとうございます」
しれっと答えるに浩瀚はため息をつく。
「、わかるだろう。この前も主上が内宰に殺されかけたのだ。それほどにこの金波宮は未だ不安定だ」
「…なるほど、そういう意味でしたか」
「先日は主上も居られたので、はっきりと申さなかったが…
主上が信をおいている官はまだまだ少ない、万が一があると困るのだ」
「…結局、主上なんですね〜冢宰」
ふふふ、と笑いかける。
それはいつもどおり、冢宰の主上への惚れっぷりをおどけて言っただけだった―しかし。
「…やきもちなら、お相手しようか?」
怜悧な笑顔で、浩瀚はそう返した。そんな浩瀚には少し驚いてしまった。
「冢宰もそんなこと言うんですね…」
「…人を何扱いしているんだ?」
「冢宰って、先々代のころから官だったんですよね? 私から見れば、えらいおじいさんですよ」
「君が昔仕えていた延王はどうなる?」
「いやあの人はもう病気というか…」
他国とはいえ、名声の高い王を病気と罵るに、浩瀚はふっと笑った。
「私は君のそういうところが、まさに朝士に向いていると思うのだが」
「…腐った官を見るより、土臭く生きようとする民を見ているほうが、精神衛生上良いんですがねぇ」
「…きりがないな」
「ええ、だから諦めて―」
ください、と、が浩瀚の方を向いたときだった。
浩瀚はじっとは見て、迫ってきていた。
「え…」
後ずさるの背に、廊下の壁があたる。
追い詰められたを、さらに浩瀚は腕を壁につき、逃げ場をなくす。
「君は内朝の良さを知らない。私の部屋でよければ、案内したいのだが」
「…こ…っ」
「…?」
「こんなことして、冢宰は官を管理してきたんですか?」
あきらかに真意が伝わっていない様子に、浩瀚は心の中でガクっとなった、勿論表には出さないが。
君が心配で、出来れば自分の近場にいてほしい。
ただそう言ってしまえばいいのだろうが、明らかに自分を意識していない相手に
そんなことを口走ってしまうほど、さすがに浩瀚も若くなかった。
冗談だ。
そう言おうと思ったときだった。
「でもせっかくだし、冢宰様に案内してもらおうかな」
「…」
腕の中で、少女が珍しく、年相応の笑顔で笑っていた。
浩瀚は腕にかかる衝動をおさえ、壁から腕を放し、後ろを向いた。
「そうか…では後日、時間を見つけて案内しよう」
「…ええ…あ、冢宰」
必死の思いで、そう言い、前を向いて歩き出した浩瀚に、は声をかけた。
「…なんだ」
「もし私が朝士になったら、一応それなりの身分ですし、冢宰のこと名前でお呼びしても?」
「…!」
「ふふふ…おやすみなさい、冢宰!」
そう、は笑って浩瀚の横を走り去った。
やられた…
その背をみながら、浩瀚は自分が相手をしていた能吏の強かさに息をのんでいた。
あの純粋な笑顔を見つけたとき、惹きこまれると同時に、扱えると思ったのも事実だった。
それがすぐに虚をつかれてしまった。
あれで本当に実年齢が20にも満たないというなら、末恐ろしいことだ…
そう、浩瀚は頷きつつ、とはいえ、そのような人物が、この慶に、そして身近にいることに
微笑まずにもいられなかった。
[ END…? ]
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