羽毛の色には鮮やかな青や緑があるから、人間の髪にも漫画のように青や緑や、
ツートンカラーなんかあっても不思議ではないのではないか、とふと思った。
一方で、思えば哺乳類の体毛は、白〜茶〜黒の系統以外には思い当たらないのが気になった。
調べた所、哺乳類の多くは色を見分ける能力が弱いことが関連してるとか。
これは、夜行性を強いられた恐竜の時代に退化した影響と言う話を聞いた事がある。
しかし、人類は3色を見分けられる程に色覚が戻ってるから、もう少し永い時が立てば、
そういう人種も生まれ得るのではないかと思う(無論、遺伝子をいじれば早いとは思うが)。
漫画でカラフルな髪が一般的になってるのは、そんな遠い未来を、人々が予見しているゆえかもしれない。
或いは、色素が退化しなかった人間の姿のイメージを、本来の人間の姿として持っているのかもしれない。
2022.12.11
寒色暖色というものがありますが、これは色そのもの(或いは色のクオリア)に秘められた性質と言うよりは、
色から連想されるものが関係していそうに思います。
例えば、人が赤色に対して注意を払うのは、それが血や火の色と類似しているためではないかと。
また、青系の色を涼しく感じるのは、海などの色を連想する所から来てると思います。
一般的な血の色(ヘモグロビンによる)と火の色が共に赤系なのは、ちょっと奇遇だと思います。
赤くない血の生物も居ますし。
そこで、もしこれらの色が異なっていたら、赤色の印象はどう変化したのか少々気になってます。
火の色は赤と呼ぶには微妙かもしれませんが、少なくとも赤系の色を暖色と感じるのは、
火(あるいは朝日?)を連想する事によるのではないかと思います。
寒色と暖色の中間にあたる色に、緑と紫がありますが、
これらの間にも大きな印象の違いがあるのも興味深く思います。
緑はどちらかといえば安心感を、紫は不快感をもたらすとされています。
前者は森林を、後者は死体か何かのイメージに結び付くのかもしれませんが、
緑は「寒色でも暖色でも無い色」、紫は「寒色と暖色を併せ持つ色」と言えるのではないかと思ってまして、
それも関係しているように思います。
一方で紫も緑には、毒の色を表現する際に用いられ易いという共通点が存在する事も興味深く思います。
紫が高貴な色とされたり、逆に安心感をもたらすとされることもありますが、
これは黒色が持つ性質に似てるように思います。
紫は闇の力を表現する際にもよく用いられていますが、それとも関係してるように思います。
紫については、複数の波長の光を混ぜたものとしか存在していない、という特性もあります。
例えば黄色なら、赤い光と緑の光を混ぜる事でも表現できますが、虹の中に見える黄色は純粋な黄色の光です。
両者は同じ見た目ですが別物です。
紫も虹の中に見えますが、実際には大分青寄りであり、それ以上に赤寄りの紫については、純粋な紫色の光は存在しません。
ただ、この話とはあまり関係無さそうにも思います。
寒色暖色による印象の温度を「色温度」と言う事があるらしいですが、色温度と言うと通常は、
恒星の色などで有名な、本当に温度によって色が変わる現象の話になって来るようなので、
それと区別できる表現が欲しく思います。
2008.8.25-2022.12.31
警戒色を持つ生物には毒を持つものが多い。
一方、毒を持たない生物も、警戒色で身を守っているケースがある。
前者については、毒も無いのに目立った生物が駆逐された結果なのではないかと思う。
警戒色を持つという事は、目立つという事であり、それは捕食対象として狙われ易いという事なので、
普通なら生存に不利なわけである。
毒があれば捕食者を巻き添えにできるため、同じ捕食者に仲間が食われる事を阻止できる。
後者については、警戒色という概念が自然界で成り立っている事を意味しており、興味深い所がある。
なぜ警戒色が自然界で成立するのかという事については、あまり語られていないように思う。
それについて、自分はこう考えている。
警戒色を警戒するものが生き残った結果なのではないかと。
警戒色と毒を併せ持つ生物というのは、種の単位で見れば、目立って積極的に食われる事によって、
より効率的に自分たちを捕食対象とするものを駆逐できる。
人間界において、髪を染めたり、露出の高い格好をしたりする事が、
一種の警戒色として成り立ってる事も興味深い。
特に露出の高い格好なんかは、むしろ誘う格好であるはずなので尚更。
目立つ格好、誘う格好というものは、「かかってこいや」という
自信の表れに繋がるのかもしれない。
ゲームなどで、女性キャラクターが敵味方共に挑発的な格好をしている事についても、
基本的には恐らく男性受けを狙ったものであろうが、警戒色という見方で見ると意味深にも思える。
2020.7.15
全ての色が赤青緑の三つの光を混ぜる事で実現できるという事は常識のようになってると思いますが、
どっこい、それは誤りのようです。
虹の色の中には、赤青緑の組み合わせでは実現できないものもあります。
よく色空間の話で、楕円を切ったような図が出て来ると思いますが、あれがそれを示してます。
赤青緑の組み合わせ表現できるのは、あの図から三角形を切り取った範囲のみです。
なぜこのようになってるのかというと、我々が色を識別する仕組みはデジカメなどと同様、
視細胞に赤・青・緑それぞれに反応する赤錐体(L錐体)、青錐体(S錐体)、緑錐体(M錐体)
というものがある事によるらしいのですが、緑色の光に対しては緑錐体のみならず、
赤錐体や青錐体も反応してしまうようで、それが原因なのではないかと考えられます。
パソコンで出る赤緑青は以下のようになりますが、この内、緑だけやけに明るく見えるのを不思議に思った事はないでしょうか。
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なぜ緑が一番明るいのに、青や赤を混ぜて白になるのかと。
でも以上によれば、我々が緑だと思っている色には、赤の成分と青の成分が含まれている事になりますので、明るいのは当然です。
これは例えば、明るい青(8080ff)+暗い緑(008000)+暗い赤(800000)でも白になるのと同様です。
我々が見ている緑は、白が混入して薄まってしまったものと言えるわけです。
そして、緑錐体だけを刺激した場合、赤や青に近い明るさの、もっと鮮やかな緑が浮かび上がるはずです。
その時に現れる色も色空間の図に含めれば、これは綺麗な三角形になるはずです。
どうも、この時の緑色は「超緑」と呼ばれているそうで、マゼンタの画面を数十秒見つめた後に、
緑の画面を見ることによって、一時的に見られるようです。
ただ、「超緑」という語は、調べた限りでは英語版Wikipediaの「Hyper-Green」の直訳のようで、
正式名称かどうかはよくわかりません。
なぜ緑色の光に赤錐体と青錐体も反応してしまうのかについて、その方が生存に有利だからという可能性もあるかもしれませんが、
個人的な予想としては、哺乳類の色覚の退化が関係してるのではないかと思います。
主流説によると、我々哺乳類の色覚は、恐竜の時代に夜行を強いられた中で一旦退化してしまったらしく、
人類は色覚を再生した状態にあるとの事ですが、未だ未だ再生の途上の段階なのかもしれません。
折角鮮やかな緑を感じることが可能なのに、それが封印されているというのは、非常に惜しく思います。
日本語で青と緑がしばしば混同されたり、青とシアンが日常では殆ど区別されなかったりする辺り、
青と緑の区別は微妙に思いますが、その原因もここにあるのかもしれないと予想してます。
他、脳を直接刺激した場合は、これよりも更に色の範囲が広がるのではないかと思います。
これに関して気になってるものの一つは心理四原色です。これは光の三原色に黄色を加えたものとなっています。
赤と青を混ぜて紫やマゼンタになったり、青と緑を混ぜて青緑やシアンになるのは想像できるのに対し、
赤と緑を混ぜて黄色になるのは想像し難くないでしょうか。
もしかしたら、黄色は本来は四番目の原色なのではないか、脳には四原色を感じる基盤があるのに、
目がそれに対応できていないのではないか、と思ったりもします。
もし黄色が四番目の原色として確立されたら、赤と緑の混色はまた別の色として感じられるようになり、
黄色と青の混色もまた更に別の色として感じられるようになるのではないかと。
生物には四原色を見分けられるものも居ると言われ、人間の中にもそれが出来る人が存在すると言われます。
機械なら、何原色だろうが識別できて不思議はありませんが、生物となると、
それがクオリア的にどのように感じ取られるのか非常に気になります。
2008.8.25-2024.8.14