今週も特別企画、「日曜ホームページ管理者1周年を振り返る」をお送りいたします。前回は立ち上げるまでを題材にしていたので、よくよく考えると1周年以上振り返ってますが(^^;Aまあ気にしないでいきましょう。
先週に引き続き登場人物は狂言回しKです。このKのおかげでずいぶん表記が楽になっています。いいたいこと書けてますねえ〜ペルソナってやつですね。今後は日誌のくせになぜかKばかり登場しそうな気が(^^;Aそ、それはともかく、今週も「日曜ホームページ管理者1周年を振り返る〜サイト管理はつらいよ?〜」をお送りいたします。最後までごゆっくりご覧くださいm(__)m
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〔日曜プログラマーの部屋〕 kr_ryo's Home Page 毎週日曜更新
Space War Game最新版はいったいいつでるのでしょう???それはこのサイトでわかります!
(CM終わり)
2001年の8月19日。はじめてインターネットの世界に生まれ落ちた「K's Home Page」であったが、この他にも生まれ落ちたサイトはきっと膨大にあるのであろう、その中の1つである。ウェブサイトが生まれるのは意外に簡単である。最近では学校の授業で作られたり、他にも「ホームページを作ってみよう!」といった雑誌や通信教育でのネタで作られたりするサイトが無数にあるはずである。このうち何割かがその後手入れもされずに死んでしまう。サーバ管理者の方で更新されていないサイトを消去してしまい、跡形も残らないこともあれば、屍をさらし続けることもあるであろう。まあサイトを作ったもののアクセスカウンタが伸びなければ更新することをやめてしまったり、やる気をなくしたりすることはよくあることである。
「K's Home Page」は、というと、そもそもKの開発したゲーム「SGW」の宣伝&置き場所(^^;Aからはじまっている。当初はそうそう新しい出来事が起こることもなく、更新のしようがなかった。ところが「K's Home Page」の家主「doorlive」は、更新されない(家賃払わない?)借主は容赦なく叩き出す方針のようで、3か月程度更新されない場合は追い出すという条件をつけていた。小心者のKは追い出されないようにとりあえず何か変えようとちょこちょこコンテンツをいじっていた。たとえば、トップページの「前口上」を1〜2週間に一度変えてみたり(当時は光ファイバー常時接続に変える変えるといっていたが…)、「プログラム制作日誌」をちょこちょこ追加訂正したりしていた。
ところが、「SGW」が「VECTAR」に掲載されると、そこそこ「K's Home Page」へのアクセスも増え、さらに「SGW」ユーザのお便りも来るようになった。その結果登場したクリアランキングや、バグレポートがサイトを賑わすこととなった。
「SGW」自身も、ユーザからの各種バグや改良希望を取り入れ、バージョンをあげていった。Kも少しずつ伸びていくアクセスカウンタを毎週見ていくのが楽しみになり、サイト内容をいじり、掲載する「SGW」を改良していった。さらには「VECTAR」だけでなく「K's Home Page」への客寄せとして「SGW」追加シナリオ集まで開発し、「K's Home Page」のみに掲載し、アクセスを延ばそうとしていた。
このころはまだ毎週日曜更新ではなかった。しかし、ウェブサイト管理に関するエッセイなどを読むと、アクセスを伸ばす最大のコツは「定期的に更新すること」とあり、実際Kはほぼ1〜2週間に一回日曜に更新していたこともあり、毎週日曜更新と銘打つことにした。さらに日曜更新にかけ、タイトルに〔日曜プログラマーの部室〕を追加して、〔日曜プログラマーの部室〕「K's Home Page」が正式名称となった。そしてこの時からはじまった最大の苦労、それは毎週日曜更新することとなったのである。
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〔日曜プログラマーの部屋〕 kr_ryo's Home Page 毎週日曜更新
Space War Game追加シナリオ集vol.2はこのサイトでしか手に入りません!
(CM終わり)
ユーザからのお便りによる「SGW」最大の改良、新型ダイアログを開発・登載しようとしていた10月。「SGW」の更新ネタもあり「K's Home Page」もようやくアクセスが1000を超えるなあ〜(^-^)と思っていたある日、いきなりアクセスが3000を超えていた。Kは何かの間違いか??(¨;)と思っていたところ、日を追うに連れ5000を超え、8000を超え、とうとう10000を超えてしまった。「窓の森」の「SGW」の記事掲載である。この後Kも「窓の森」メルマガを講読することになるが、当時は何のことかよくわかっていなかった。その後さすがに東証1部上場のマスコミの影響力は甚大であるとつくづく感心することになった。
このころから、各雑誌社から「SGW」のKのもとに掲載依頼が届くようになった。10月から3月にかけて、「SGW」が掲載された雑誌が届き、Kはただで雑誌が手に入る〜(TOT)と感涙にむせぶことになる。念願の「WindowsPawor」にも2か月連続で掲載されたり、特集ページに掲載されたりと、ただただ感激するばかりである。もっとも、「SGW」の戦闘シーンのグラフィックはいかにもしょぼいのに、雑誌の特集ページにカラーで大きくでていると、Kはちとはずかしかったりした(;^_^A
しかし、よくよく考えるとKが8月に「WindowsPawor」に投稿した当初の「SGW」は落選していたことになる。ウェブサイトを立ち上げていなければ「窓の森」にも掲載されず、雑誌社の目にとまることもなかったのね〜と考えると、これも「K's Home Page」のおかげであろう。
例の「3ちゃんねる」にも「SGW」の書き込みがあった。当初予想よりおもしろい、とか、2も期待、とかプラス内容でKもほっとした。
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〔日曜プログラマーの部屋〕 kr_ryo's Home Page 毎週日曜更新
最新言語Delphi6で作成予定の三國志 開発状況が週間単位でわかるのはこのサイトだけ!!
(CM終わり)
「SGW」の陰に隠れていたが、新作「参國士」の計画は、「K's Home Page」の誕生と同時にはじまっていた。その後、「SGW」の改良や「K's Home Page」の更新にまぎれ、なかなか前に進まなかったが、こちらの製作状況も「K's Home Page」に掲載されていった。年が明け2002年に入ると、本格的に「参國士」も開発がスタートするが、「SGW」と異なり大作指向の「参國士」はかなりの難産であった。あまりの難産&Kがプレイした中でもっとも長い間楽しんだ名作ゲーム「コサックダンス」を手に入れたため(「コサックダンス」で遊びすぎて時間が足りなくなり)2001年には「K's Home Page」最大のネタであったプログラム製作状況の話題がほとんど掲載できなくなってしまった。
また、「K's Home Page」には文章を読ませるネタ、というのもあまりなく、毎週日曜更新の結果消されてどこにも残らない情報や文章がやや気になりだした。せっかくKが毎週書いた内容もほとんど蓄積がなされていないのである。たとえば「K's Home Page」はある時イメチェンを図り、各ページ背景を、紫一色からグラフィックをつかった現在の見た目に変更したのであるが、「前口上」に変更しましたと書いたその文章はいまはどこにもない。この特別企画の際にもいったいいつ変更があったのか記録がないのでいつ変更したのかわからないのである。ほとんど案内だけの現在の「前口上」と異なり、以前は変更内容が「前口上」だけということもあったため、どこかに残しておけばそれなりの記録になっていたのに…と思うKであった。さらに、Kの友人のサイトは文章ネタメインということもあり、触発されて「プログラム開発日誌」を現在の「徒然日記」に変更し、ネタを貯めていく形式とした。現在は毎週新ネタと過去ネタをいつでもご覧いただけます。。。(^^;A
「参國士」開発が滞る2002年は、「K's Home Page」も「徒然日記」中心の更新となっていった。Kのアプリケーション使用体験記や「コサックダンス」リプレイなど、開発記から体験記へとシフトするとともに、1ページの文章が長くなり、「K's Home Page」の家主「doorlive」の広告表示の重さもあいまって、ページ表示速度がいらいらするほど遅くなってきた。そこで4月、とうとう「doorlive」から「VECTAR」に引越することにした。残念なのはアクセスカウンタがリセットされてしまうことであった。当時約16000ページビューもあったが、あえて1から「VECTAR」で出直すこととした。「SGW」だけに頼らない経営(?)ながら毎週ご覧いただいている読者の皆様のおかげをもちましてm(__)m無事1周年を迎えることができた「K's Home Page」、「VECTAR」と「doorlive」あわせて1年間の通算約20000ページビューはKの大きな支えとなっている。
しかし「SGW」開発開始1周年の2002年4月を迎えても、やはり「参國士」は牛の歩みであり、「SGW」発表&「K's Home Page」誕生1周年の2002年8月を迎えてもやはり「参國士」は開発目処がたっていない。「K's Home Page」のメインはやはり良質のゲーム製作&紹介であり、新しい言語に挑戦して心機一転、再開発をめざす所存である。「K's Home Page」の誕生2周年のメインネタは、「参國士」バグレポートか、はたまた「SGW2」のバージョンアップか、もしかして屍となっているか(T-T)2年目の〔日曜プログラマーの部室〕「K's Home Page」をどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m
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前回続かないで…と書いていたんですけれども、結局続くことになりました。タイトルからお分かりのように、あわれ充電池は死んでいたようです(T-T)事件記者Kによりますと・・・
・・・うんともすんとも言わなくなった愛機「VAOI」の「充電池」を「曽爾井」に送り届けた後、留守電に連絡を受けたK。日曜送付の水曜日。早い!しかしお盆の最中だ。もしかして…
その時Kが連絡した時間が遅かったため、担当者不在ではあるが、やはり劣化のためもう使えないということがわかった。新しい電池は例によって35000円。別の新型電池で25000円程度だという。さすがに詳しい事情を聞きたくなったK、もう一度連絡をもらうよう依頼する。
土曜日。連絡を受けたK。
修理窓口「やはり劣化でございまして、最後まで充放電をせずに何度も継ぎ足し充電を繰り返されることでどうしても劣化が生じてしまいます。」
K「いわゆるメモリ効果というやつでしょうか」
修理窓口「そうでございます。」
K「(VAOIの)充電池はリチウムイオン電池でメモリ効果に強いはずですが…」
修理窓口「いえ、やはりメモリ効果は生じまして、特に充放電を完全に行わない場合の継ぎ足し充電が繰り返されると急激に劣化してしまいます。」
K「うーん、以前のニッケル水素電池よりもメモリ効果が生じにくく継ぎ足し充電に強いと聞いたことがあるんですが…」
修理窓口「ニッケル水素よりも継ぎ足し充電に強いというよりも、効果が生じにくいんですけど、生じた際には急激に生じてしまいまして…」
K自身の知識とやや異なる情報である。つまり、ニッカド電池やニッケル水素電池のように、継ぎ足し充電の結果すぐにメモリ効果が生じて容量が減少するのではなく、リチウムイオン電池はすぐにはメモリ効果が生じず、容量はなかなか減少しないが、生じた際は急激に生じてしまい、一気に容量が減るということのようである。結局どちらかというと、リチウムイオン電池といえどもフル充電〜フル放電を繰り返していた方がメモリ効果が起きにくく、電池の寿命は伸びるということである。
確かにリチウムイオン電池を使っている携帯電話も、ある程度使用後、急に電池が減りやすくなったという声を聞く。そのため私も用心して携帯電話はぎりぎりまでなかなか充電しない。
K「それで、電池は強制放電すればもとに戻りますか?」
修理窓口「いえ、お客様の充電池はすでに容量が0となっており、放電できない状態でございますので、申し訳ございませんがもとには戻りません」
が〜〜ん!( ̄□ ̄;)確かにどうしようもないかもしれないと思っていたが、やはりどうしようもないか…もはやゴミとなった充電池、引き取ってもらいリサイクルに廻してもらおうと思ったのだが…
修理窓口「いえ、こちらでも処分するしかございません」
…これはちと疑問の残る回答である。「VAOI」のマニュアルの最後のページにも、電池のリサイクルにご協力ください、とあって、リサイクル協力店の問い合わせ先が書いてあった。こちらはわざわざリサイクル店に持ち込まねばならないが、大「曽爾井」社なら日常的にリサイクル団体や店ともつきあいがあるはずなのだが…ないのか?
いずれにしても予想どおりとはいえ結構Kにとってはショックである。日常的に携帯電話や電子手帳、ハンドヘルコンピュータ(MSDOS版モバギ)で充電池を使っているK、常に完全に放電してから充電する徹底ぶりで長持ちさせていた。「VAOI」の前の「竹下」の「Let's Notebook(初代)」に至っては、日常は充電池(この時はニッケル水素電池)を入れずに使い、充電池で使う際もたとえ継ぎ足し充電ができる状態になっても使い切ってから充電していたのに、この「VAOI」に限っては入れっぱなしで日常継ぎ足し充電を繰り返す状態になっていた。その原因は…
K「メモリ効果が原因ということはよくわかりますが、マニュアルには電池を常につけたままという風に表記してありますよ」
修理窓口「申し訳ございません、現在の科学ではメモリ効果がどうしても生じてしまいます」
話がなかなかかみ合わなかったが、Kの言いたいことはこうである。
すなわち。「VAOI」のマニュアルの「電源を入れる」の項目。
1 バッテリを取り付ける。
停電や誤ってAC電源がはずれ、作業中のデータが失われてしまうことのないよう、付属のバッテリを取り付けます。…バッテリ取付方の説明…
2 AC電源をつなぐ。…
3 ディスプレイパネルを開く。…
4 パワーボタンを押し、…
当然電源はWindows2000から終了させ、自動的に切れるという指示。
このマニュアルのどこを読んでも、バッテリを取り外して使うことは掲載されていない(そもそも取り付け方はあっても取り外し方は掲載されていない)。このマニュアルを読めば、普段からAC電源を使うユーザであっても、電池は入れっぱなしで使うことが推奨されているように感じるだろう。最近のリチウムイオン電池を用いるノートパソコンはどれも入れっぱなしで使うような指示になっているのかもしれないが、少なくともKが会社で使っている「シャンプ」の「メビウシ」のマニュアルには充電池にメモリ効果が生じると書いてあり、メモリ効果が起きた場合の対策まで書いてあった。「VAOI」のマニュアルにはメモリ効果についての記述は一切なく、そもそも充電池を取り外して使うことは想定されていないようだ。Kが指摘したかったのはこのことである。つまり、
メモリ効果が生じることがわかっていながら、メモリ効果について記述をせず、不意の事故や停電に伴いデータが失われてしまうという指摘だけして(うがった見方をすれば、それにより恐らく本体の電源ユニットの損傷に伴う故障の原因となることを避けるために)、電池を入れっぱなしで使うことを推奨しておきながら、AC電源をメインで使うユーザが2年程度でメモリ効果によって電池を劣化させてしまう結果を生むのは情報不足じゃああああああああ!!(▼□▼メ)!!
PL法施行に伴い、やたらと注意事項や警告を掲載しておきながら、これでは…購入当初、リチウムイオン電池はメモリ効果が生じにくいということは知っていたが、その上マニュアルに何の記述もなかったことで、技術の「曽爾井」の技術は非常に優れた技術で、その技術力でほとんどメモリ効果が生じない電池技術を有しているのかなのと思っていた。ところが2年もたずにおしゃか。ついでに消耗品扱いで、たとえ保証期間内であっても劣化で処理されるという。おいおい、一般消費者はよらしむべからずか?まあ、前回にも指摘したが、サポートセンターの担当がメモリ効果を知らないのに電池の劣化という位だから、いかにも「電池は消耗品」で済まされていたのであろう。今回のKのように、
K「マニュアルどおりに使えば2年弱でメモリ効果が生じるなら、そういう風に他社のように記載すべきではないですか?少なくともこのマニュアルどおりに使えば、普段からAC電源を使うユーザであっても電池は入れっぱなしでしょうし、その結果私と同じようにメモリ効果で劣化するユーザが出てくれば、「曽爾井」さんとしてもあんまりよろしくないんじゃないですか」
修理窓口「ありがとうございます!お客様のご意見をありがたく頂戴いたしまして、「曽爾井」全体でよりよい形で反映していきたいと思います」
という風なクレームはあまりなかったのかもしれない。ついでに劣化の原因がメモリ効果によるものがどれ位あったかと聞いてみたところ、統計はとっていないが、あることはあったらしい。Kも前回掲載後、同じように「VAOI」のバッテリが昇天したというお便りを頂戴していた(chaghatai様です。ありがとうございますm(__)m。1999年使用開始、2001年で昇天ということから、ほぼ私と同じく2年弱です。)ため、世間の「VAOI」ユーザでメモリ効果によるバッテリ劣化がかなりあるものと想像する。
確かにバッテリを入れっぱなしにしておいた方が、不意の事故に対応できるし、いざというときAC電源を切り離して使え便利である。しかし、そもそもデスクトップパソコンは無停電電源装置(UPS、バッテリですね)をつけない限り、同じように停電やプラグが外れる事故が生じる可能性はあるのであるから、ノートだけ特別電池をつけていなければならないわけでもない。Kのようにほとんどモバイルせずにデスクトップと同じ使い方をしているならば、外しておいた方がメモリ効果が生じない分だけましである。そう考えると、マニュアルにメモリ効果について記載があれば、ユーザの方で勝手に選択するであろう。それも、継ぎ足し充電を繰り返すとバッテリの劣化が激しくなるので、何度か完全に充放電をした方がよいというような表記を1行でもいいからほしいところである。
まあ、Kにとって幸いなことは予想通りメモリ効果によるもので、本体の故障でなかったことであり、不幸なことは予想通りメモリ効果によって完全に充電池が死んでしまったことである。取り外さなかったことが原因という不作為の犯罪を思い起こすメモリ効果、2万も3万もするバッテリを買い換える気は、今のところない。多分、今度は新しい電池が死ぬ前に本体が時代に追いつけなくなっているだろうから…
いずれにせよ、今回の「曽爾井」の対応は、早さといい、修理持ち込み見積無料といい、なかなかのものである。後はも少し一般消費者にも技術的情報を載せたマニュアルがほしいところである。
そんなこんなで緊急特番の続報をお届けしました。これをご覧の皆様がノートタイプユーザであれば、一度充電池をフルに使いきって長持ちさせた方がいいらしいです...ρ(..、)
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