kr_ryo 徒然日誌 <2002年9月8日分>

自己責任…の範囲??

先週大慌てでアップした「メルベース」ですが、これまた大慌てで作成したReadMeに、決まり文句を入れていました。曰く「このプログラムによって生じたいかなる損害も作者は一切責任を負いません。自己の責任で使用してください。プログラムを使用する前に、大切なデータは必ず保存してください。」

いつもの定型表現で、他にフリーソフト等をご使用の皆様も、これに近い表現をご覧になられたことは一度はあるはずです。

これに対して、疑問であるという意見が「窓の杜」に以前掲載されていました。

ひぐち たかし氏の「【ひぐちたかしのオンラインソフトよもやま話】第34回:オンラインソフト社会の構造改革」です。氏の意見は原文をご覧いただくとして、私なりに要約すると、「フリー」ソフトであり、免責条項を掲げていたとしても絶対無問責ではなく、最低限の作者責任は負うべきであり、その責任は、もしそのソフトを使うことによって生じる危険性を認識しているならば、その危険性を公開し、またソフトの公開を停止すべき、というものです。

さてこれに対し、月刊アスキーのコラムで反論も掲載されていました。何年何号だったか失念したうえ内容もあんまりはっきり覚えていないんですが(^^;無料で使用を解放されている井戸を利用して損害が発生したからといって、井戸の所有者に損害を請求できるのか、という内容だったと思います。さらに、無問責を認めないと萎縮効果が発生して誰もフリーソフトを公開しなくなり、結論として、意図的に害意(ウィルスを仕込むとか、無関係のデータを破壊するとか)ある仕様となっていない限り、無問責でもよいのではないか、とされていました。そして、ソフト制作者でもある筆者は、抗議的ソフト公開停止を行ったようです。

これらの意見に対して私も考えました(^^;A私が思いますに、オンラインソフトは、田舎の無人販売がモデルとして適切であると考えます。無人販売でなくとも、「ご自由にどうぞ」とあって何か置かれているというのが一番ぴったりくるとおもいます。

ただし、販売等されている物が、野菜など未加工品と、手作りお菓子など加工品とでは異なります。未加工品は一般人が傷んでいるかどうかが判断できるとされています。従って1個100円でも「ご自由にどうぞ」であっても、傷んでいるものを食べて損害を負っても、「自己責任」なのです。販売者設置者が悪意をもってわざと傷んでいるものを置いていたとしても、一般人が傷んでいると「判断できる」から「自己責任」なのです。ただし月刊アスキーのコラムの「井戸水」の場合は問題で、おそらく無料であっても水質管理等を法的行政的に検査が必要なはずです。それを経ないで勝手に「ご自由にどうぞ」とすることは違法等の疑いがあります。これは水は未加工品とはいえ、一般人がその水質を容易に判断できないからです。

これに対し、加工品は、一般人が傷んでいるかどうか「判断できない」ことが前提です。明らかに判断できる、たとえばハエがたかっているお菓子を食べたならたとえ損害を負ったとしても「阿呆」といわれるだけです。一般人がその品質、危険性を容易に判断できない加工品を食べたり使用したりした場合が、オンラインソフトの場合と最も似通っています。どちらも中身や製造過程、品質、安全性といった事項が一般人は必ずしも認識できません。

さて、無人販売のお菓子を食べた人が下痢をしました。この時、

(1)お菓子を作った人が、悪意をもって傷んだ材料でお菓子を作った。

(2)お菓子を作った人が、誤って通常なら行わない手順でお菓子を作った。

(3)お菓子を作った人が、正しくお菓子を作ったものの、わざと炎天下にそのまま放置していたため結果としてお菓子が傷んだ。

(4)お菓子を作った人が、正しくお菓子を作ったものの、常温保存を超える温度となったため 結果としてお菓子が傷んだ。

(5)お菓子を買った人が、1日しか持たないのを知らずに5日ほどおいていたため結果としてお菓子が傷んだ。

(6)お菓子を買った人が、1日しか持たないのを知らされていたが、5日ほどおいておいたため結果としてお菓子が傷んだ。

これ位の事情が考えられます。(1)と(3)はお菓子を作った人を非難してもよいでしょう。この場合であっても食べた人の「自己責任」だ、ともいえます。しかし、作った人に対して、損害発生の可能性を知りながら回避しなかったことを強く非難できるため、その責任は免れえないでしょう。もし金銭に換算できる損害であれば、損害賠償の対象になるともいえます。これを「故意」の事例と呼びます。

(2)と(4)は、お菓子を作る人であれば当然知っておき、実行すべきだったのにそれを怠ったことを非難できると思います。これまた作った人に対して損害賠償の対象になるといえますが、食べた人が明らかにおかしい匂いがするとか((2)、(4))、炎天下になっていたことを知っていた((4))場合など、食べた人についてもわざわざ食べるなよ〜気づけよ〜という事情があれば、非難の度合は打ち消しあえそうです。これを「過失」の事例と呼びます。

(6)の場合はまったく食べた人の「自己責任」といえます。

ここまで見ていくと、問題は(5)の場合だといえましょう。お菓子の場合は1日しか持たないかどうかは必ずしも明らかではありません。後で1日しか持たないよ、と張り紙をしたとしても必ずしももって帰った人が見るとは限りません。見知った人でもなければ連絡のとりようもありません。これが後でバグが見つかったオンラインソフトに一番あてはまりそうでしょう。

事前に知っていて悪意で…という故意の事例や、いやしくもソフトを作っていてこの程度の危険性も認識せず危険な命令を使用して…という過失の事例であるならば、ユーザの「自己責任」を主張することはできないでしょう。たとえ主張したとしてもユーザの「自己責任」を超える強い責任追及が制作者に及ぶため、たとえ「自己責任で使用してね。責任負わないから」といったとしても責任は免れませんし、追及すべきです。もっとも過失の場合は、どこまでプログラマーが知っておいたり、作っておかねばならないかは事例によるんでしょうね。おそらく月刊アスキーのコラムの筆者はこの点を主張したかったんだと思います。特にOSからして不完全な現在のPC事情では、ソフトは不完全なものであって、どこまでも完全なものを作らなければならないとしたら何も作れなくなります。この辺は有体物とプログラムなどの無体物の違いでしょう。人間の言語による創作物はそもそも完全という概念から外れているといえるかもしれません。

これに対し(5)の場合。特にひぐち氏の文からは、ユーザに知識の無い者が増えたうえ、そういった人でもオンラインソフトにアクセスしやすくなったため、危険性が増しているという危機感が現れています。つまり、昔なら手作りお菓子の賞味期限はその日だけとみんなが知っていたため、作った人もわざわざ書いていなかったところ、振興住宅地となって、それを知らない人が増えてきたため、賞味期限切れのお菓子を食べて問題となっているという感じでしょうか。

確かにReadMeすらないオンラインソフトもあります。そこまで極端ではないとしても、不完全なマニュアルというのはよくあります。私の場合もそうですが、書きすぎで肝心な点が埋もれるというものも見受けられます(^^;Aまた、後で見つかったバグ、というのも、たとえ公開停止や広告を掲載したとしても、すでにダウンロードした人にとっては知らない情報に含まれましょう。何も知らなくても、何も見なくても使える、その上バグもなく、安定稼働する、といったソフトが作れれば理想でしょう。日夜制作者はそういったソフトを作っているが、残念ながらいまだ及ばず、といったところでしょうか(多分…(^^;A)。

プログラム製作には時間と手間が膨大にかかる割りには、時間と手間以外の資本はそれほどかかりません。作家の仕事と通じるものもありますね。常に不完全さを抱えている以上、免責条項がなければ、とりあえず公開してバグを探してもらうというベータ版や、バグレポートの依頼などのための公開もできなくなります。ソフトの製作は使いながら不完全な点を治していくのが一般的である以上、無事使えれば継続的な利用ができることと引き換えに、動かなかったとしても免責してくださいね、というところでしょうか。

結局、プログラマーはウィルスなど害意あるプログラムや、不安定なことが明らかであるようなプログラムを公開しないことを前提に、可能な限り安定稼働するプログラムを作れば免責されるべきであり、もし後で不安定な点が発見されたならば、不安定な版の公開を停止し、これまた可能な限りユーザに広告する、という義務は負っている、というべきなんでしょう。

追伸:MSWindows9X/Meは、構造上、OSと一般アプリケーションの使用するメモリ領域が混在、共通使用しているため、アプリがいかれて混在領域がいかれるとOSもいかれ、他のアプリも結局使えなくなります。MSWindowsNT/2000/XPはOSとアプリの混在領域がないため、アプリがいかれてもOSがいかれることはほとんどありません。そのため、MSWindows9X/Meでは不安定なオンラインソフトを使うとOSごといかれて他のアプリも巻き込まれ、他のアプリで作っていたデータ、たとえばワード文書などが消えてしまって損害が拡大します(T-T)が、MSWindowsNT/2000/XPではそんなことはなく、その不安定なアプリが終了するだけです。もし損害賠償を認めるという世界なら、ユーザのOSがMSWindows9X/Meであることが「過失」になるかもしれませんね(^^;Aメモリが高価でOSと混在させてでもメモリ消費量を抑えようとしていたWindows95の時代ならともかく、256M512M当たり前の今では、MSもWindowsXPで9X文化をストップさせたことは評価できます…しかし中途半端なMeや2000を重くしただけのXPという現状を見ると、Meを出さずに2000をより洗練させ、ごてつかない「Windows2001」を作っていた方がより世のため人のためであったような…

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