kr_ryo 徒然日誌 <2002年9月22日分>

お金と仕事の相互リンク

最近堯帝春秋(中村隆資著、講談社)という本を読みました。中国太古の伝説上の帝である堯帝の物語です。この物語の最大のエピソードが、商氏(後代殷=商の国を興す氏族…のはず)と堯帝との対決です。物々交換が中心の社会に、商氏特産の塩をもって交換の中心とし、やがては塩を制している商氏が帝位を狙うという陰謀を堯帝が見破るという話ですが…なかなか考えさせるものがありました。

まず、塩は結局現在の貨幣と同じく兌換物、それ自身を実際の用がある以上に所有することには直接の必要があるわけではないけれども、他の実用物と交換ができるという役割を付与することで、実際の必要以上に所有することを人々が求めてしまうとされます。現在の兌換物たる紙幣も、それ自身にほとんど実用価値はないですが、実用物以上に人々は欲しがります。交換価値が高いこと、将来何かと交換できるという、その何かの質や量が高いことが大事になり、さらに交換対象である物も、値段=兌換物の数量で評価できる「商品」であることが大事になっていきます。これにより、人々の働きは交換価値が高い「商品」をつくることに向けられ、交換価値の基準である「塩」を求めていくよう仕向けられていく…この辺りの話は、現在の市場主義経済に対する痛烈な皮肉となり、読んでいて痛快感がありますが、やや読みづらいきらいがありますね(^^;

さて、私を含めて多くの人々がフリーソフトウェアを制作して対価を求めず公表しています。それなりの費用や労力がかかっているものの、対価を求めません。一方、シェアウェアや市販品だけでなく、ソフト制作会社のソフトについては、もちろん使用者に対価を求めるでしょう。場合によっては、同じ内容で同じレベルのソフトで、一方では無料、一方では有料であったりすることもあります。無料のソフトをつくる人は、宣伝目的でないのならば、純粋に対価を求めない働きをしていることになります。

これに対し、狭い意味での市場取引、株式や商品先物取引や、最近では日経平均の上げ下げに対する取引(オプション?)では、実際ほとんど何もしていないのにお金が儲かったり損したりします。市場の動きの勉強や調査をすることはあるんでしょうが、下手すると、朝「買う」といって、昼「売る」といっただけで、大金が手に入ったりする人もいるんでしょう。株や商品ならともかく、日経平均の上げ下げに対する取引にいたっては、いったい何を取引しているのかよくわかりませんね。こういった取引をしている人は、働かないのに対価を得ています(もちろん証券会社の社員の人などは、仕事でこういった取引をしているんでしょうが、自分の取引でなく、会社の取引です。そう、会社は自ら働いてないのに、従業員である社員を働かせて儲かってるんですよね)。

今週私は仕事が忙しく、しかも予算の分捕りというお金絡みの仕事をしていましたが、この数字をいらう仕事というやつは、どこまでいってもキリがない感じがしますね。この仕事、お金という対価をもらってやっています。私の働きはお金で取引されています。取引の一方の主体は私です。厭になって働かなければお金はもらえません。一生懸命働けば、普通は多くお金をもらえることもあります(評価ってやつがからむもので(^^;;;)。

この3つ、お金をもらわない働き、働かずにお金をもらう取引、お金をもらうために働く仕事、並べてみると、働きとお金は必ずしもリンクしていないんですよね。そうそう、市場主義とならぶ資本主義というやつ、株主は自らは働かずに、資本としてお金を出すだけで、従業員が働き、儲かった利益を得るんですよ。働かないでお金をもらうというのが成り立ち、お金をもらわないで働くというのも成り立ちます。こう考えていくと、お金をもらうための仕事は、型にはまる、「売れる商品」としての働きが必要になり、お金をもらわない働きは、型にはまらない「売れない商品」であっても問題はないんですよね。どうりで就職活動はみんな規格どおりのリクルートルックだと思いました。制服というのも規格ですね。

こう考えていくと、働き、というのが何のために行っているのが不思議な気がしてきます。お金のために働くとよく言われ、そうでないとしても嫌な仕事をお金のために行う人も多いでしょう。お金をもらうため、仕事をやめられない人もいるでしょう。一方、私もそうですが、お金にならないのにフリーソフトウェアをつくる人もいます。よくよく考えると、日曜更新のこのページもお金になりませんね(^^;宣伝?フリーソフトウェアはいくら皆さん利用されても私は1銭も儲かりません。

堯帝春秋では、商氏を罰したあと、堯帝、舜帝のもとで再び理想の世界が築かれることになります。必要なものを必要なだけ作る世界、働きの結果がお金(塩)によっては評価されない世界です。すっかり市場主義資本主義経済に慣らされた私の頭には新鮮な驚きです。自給自足、独立独歩、できる限りで相互扶助する世界。おや、プログラムの世界ではよく見かける世界ではないですか。達人が初心者の質問に答え、みんながプログラムや便利なアプリ、ライブラリを対価を求めず公開しています。そうでした、こういう世界は現在でもあるんですね。どうりでやめられないわけだ(^^;

働きはまず、自分のため、余裕があれば他人のために行うもので、自分が満足、余裕があれば他人が満足すればそれでいいんですね。お金がないと生きていけない=自分が満足できない=お金のために働くという図式は、出だしのお金がないと生きていけないという「虚構」に騙されているのかもしれません。いや、現在の世界は、お金がないと生きていけない世界に作りかえていく過程にあるため、騙されたくなくとも、そう考えざるを得ないのかもしれません。何もかもがお金によって評価され取引される世界、食べ物を自然や働きから直接得るのではなく、働きでお金を得、それを食べ物と交換して、というワンクッションおかないといけない世界に、現在はあります。制度としてそうあります。お金のために苦労して働き、その現在の苦労を将来に引き続きもたらさないために必要以上にお金を儲け、そのために苦労して働き・・・というメリーゴーランドをぐるぐる回り続けるだけで、満足という目的地にたどりつけない世界。やですね〜(*_*)

逆に、お金を使うことができる、ということもお金がないと生きていけない世界の裏からみた「虚構」でしょう。お金があればなんでも買えるように「思えます」。全てはお金により交換できます。食べ物も、車も、家も、人の働きも、、、そう、逆をとれば、「お金がなければ何もできない」。そうですか?私のパソコンにはフリーソフトウェアがたくさん入っています。お金のかかるソフトがなくてもある程度のことはできます。パソコン本体はともかく、お金を使わなくてもつくれるフリーソフトウェアを私はつくっています。社会生活でも、昔は住み込みで働くということもあったそうですね。ただ、どちらももっと大きなことをしようと思えば、お金が必要だったりしますが(^^;A少なくとも最低限、お金がなくても生きていくことも、何かすることもできます。

堯帝春秋では、商氏の塩による交換制度により、経済が大きく発展する様が描かれています。 お金(塩)が、将来の交換価値を有すると人々が思うことで、現在実物を持たなくともよいと思え、さらには実物を現在に持っていなくても将来持っているということ(信用)で何かができたりし、将来持っているということで、現在持っていることでできること以上に何かができるという力になったりします。この世界では実物だけでなく、信用=虚物が見かけ上物の代わりとなるので、物が増え、経済が発展したように見えます。実際は回転が速くなっているだけなのですが、信用で増えたように見え、それに触発されて実体の技術や産業が発達するという面もあります。お金のある世界は、実際より大きくなる世界、発展する世界です。お金があることでできること、持てるものが増えるのは確かです。そういう世界なんですから。

けれども、お金が全てではないことは間違いありません。お金による交換価値に見合う、交換価値がある物ばかりでないことも描かれていました。実用はできるが不細工な机、実用としてはみない道端の石ころ、その他諸々。お金の世界に入ると、交換できないものは見えなくなります。そうそう、自分や人の満足も、お金で交換できないはずですよ。贈り物がお金であった場合、なんとも嫌な、俺の気持ちは金で買えんぞ、と思ったことはないですか?え、満足ですって?すっかりお金の世界の人ですね。それとも欲しい物でもあったんでしょうか?たいていの贈り物は、お金で買えないものの方が喜ばれる気はします。交換価値がないものの方が「価値」があるのかもしれません。その価値の源泉は、自分の「満足」でしょうね、きっと。

さて、ここまで考えていくと、お金のために働くということが当たり前とされる世界に疑問がわきます。お金のためでない働きもあります。働かないでお金を儲けられます。お金のために働く=仕事もしています。けれどもお金を儲けるためだけに働く気はおこりません。儲ける=最小負担で最大効果をめざすお金の世界の思考でいくと、働かずにお金を儲けることができる以上、逆にお金のために働くことは極大に馬鹿らしくなるはずです。何のために働くか?自分や人の満足のためなんでしょうね。

今までしっかり働くことが美徳とされていましたが、何のためにしっかり働くんでしょう。昔は世間様にはずかしくないようにとか、世のため人のためとかいわれていました。今やお金のためです。そして、しっかり働くということすら放棄され、お金のためになんでもするようになってきました。怖い世の中ですね。お金なんざ交換できるもんにしか役に立ちまへん。交換できへんもんもぎょうさんおまんねん。お金の世界に取り込まれたら、交換できるもんしか見えへんようになりまっせ。金儲けは金儲け、仕事は仕事。仕事は世のため、働きは満足のため・・・お金と仕事は、固くリンクしているように思い込んでいますが、実は、切れてます。

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