kr_ryo 徒然日誌 <2004年2月1日分>

三國志製作記47〜月日は過ぎ去り…〜

月並みな、お正月気分が…なんていう程近年はお正月気分も盛り上がっていないような気がしますが、それでもやはり1月は特別な月という気がします(^-^)ところが!なんと気がつけばもう2月です(^^;月日がたつのは早いもので、しかもなんだかんだで時間がとられてなかなかプログラムが進みません…そういえば最近本も雑誌もちゃんと読めてないや…なにしてたんだろう??(--;こういう所だけお正月気分?(^^;

特に困ったことが、どうも三國志製作に身が入らないところです(~_~;)久々更新したSWGだと、雑誌掲載依頼やらアンケートやらで、あれもしたい、これもしたい!と機能強化案が目白押しなんですけども(^-^)とにかくまずは三國志!(~_~;)しかしながら、やっぱり大作病にかかっています。困った!やらないといけないことが多いのに、逆にどれも大したことに見えないという状況です。

とにかく順番に進めていこうと、プレイヤーコマンド終了後の処理を書いていますが、どんどんどんどん膨らんでいきます。なんだかプレイヤーが関与しなくてもほとんど自動で終わってしまいます(~_~;)かといって、コマンドなどプレイヤーの関与部分を作ると、これまた流れが止まりややこしいことが生じてきそうです(--;)

ただ、いろんなパラメータの上げ下げやらチェックやらとは別に、どうも根本的なことを忘れていた気がします。そう、月日は過ぎ去り、どうなるか、です。明日はきっと今日よりもよくなる、という高度成長は終わり、バブルも崩れさり、今やデフレの下で、明日はきっと今日より悪くなります(;_;)いやあ社会も人で構成されているためか、老化してますね(^^;世代交代が必要なんでしょうか?

いや、現代の話ではありませんね(^^;三國志の時代です。ちょうど漢の成長期、爛熟期を経て、時代が急激に崩壊に向かっていた時ですね。まあ春秋戦国といい、魏晉南北朝といい、分裂と混乱の時代は、逆にいろんな新しい発想や文化が現れ、かえっていきいきした時代なのかもしれません。が、為政者にとっては治めにくい時代です。無為に過ごせば、民は逃げ去り、盗賊ははびこり、他国から攻められます。もちろん英雄たちにとっては、安定した時代には発揮できない能力の見せ場になります。

さて、そんな混乱した時代、普通に太守をやっていたからといって、よくもならなければ、かえって悪くなっていくばかりだったんでしょう。そのためか、民の反乱やら盗賊やら悪くなることは思いつくんですが、よくなることが思いつかない(^^;常識的に考えれば生産力=税収の向上ですが、生産値パラメータをとらない三國志では、何がよくなるかいまいち見えない。これが、プログラムを書きづらい原因かもしれません。悪くなる方ばっかり思いつくんですから、書いてて暗くなったり、つまらなくなります(~_~;

では、統治の結果よくなるとはどういうことをさすんでしょう?混乱した時代、民は何を求めているか、これが問題です。逆に、どうして混乱したのか、ということも問題になります。

「中国の歴史」など歴史の本によれば、民は重税に悩まされますが、なかでも銭納税が最も問題で、銭が足りない上、豪族など金持ちが銭を出し惜しみし、市内に流通していない。物はあるのに買えないし、売れないというデフレ状態。なんだか現代日本みたいですね〜(^^;銭納税ができない民は逃亡し、流浪します。豪族の荘園に入るか、太平道に入るか、いずれにせよ国家支配から外れます。太平道は暴発しますが、豪族の荘園は発展し、後の晉以来貴族制に発展します。曹操の屯田制のように、国家自体が荘園経営を行うようにまでなります。五公五民の50%納ですが、生産物納なので銭で払えなくなるおそれはなくなります。曹操は公民が逃亡した後の土地を没収して屯田し、場合によっては公民を無理やり屯田に向けた可能性もあるらしいですね(^^;まあ曹操がそういう命令を出したのではなく、そうしてはいけない、という命令があった、ということですから、そういう実体はあったんでしょう(^^;A

さて、こんな時代ですから、そもそも銭納をやめるとか、税を軽減するとか、それよりも経済活動が活発にならないことにはなんともしようがありません。うむ、まさしく現代日本を見ているような(^^;A銭納廃止などの構造上の問題は、月日が解決するのではなく、構造改革が必要です(^^;;;K首相ではないですが、曹操は結局漢という国の構造改革を行っていったわけです。劉備はそのアンチテーゼとして守旧派として暗躍?し、最後は亡命政権風に国を興し、孫策孫権はそのどちらでもない、新たな国作りを模索した、というところでしょうか。

そしてこれが、三國志という時代の複雑さなんですけれども、曹丕が漢から禅譲を受けるまで、どの英雄たちも漢帝国という制度の中で活躍しているわけです。漢帝国400年の伝統の重みは、曹操が一番感じていたんでしょうね。曹操は漢に取って代わることを意図したわけではなく、漢という国の構造改革「だけ」を行おうとしていたという見方があります。孫権や劉備などはあくまで政敵で、国対国という意識はなかった…

しかし、混乱の中で、漢帝国の統治制度は守られなくなっていきます。徐々に曹操支配下、孫権支配下といった各地の英雄たち独自の統治が行われていきます。その中で、民は漢帝国ではなく各地の英雄たちの統治の下で生活や納税を行います。もはや旧来の統治ではなくなっている以上、独自の統治も行われたことでしょう…

さて。民は、盗賊より怖い税の取り立てがなくなり、盗賊も取り締まられ、普通に安心して生活が行われれば、結局それでいいんです。さらに不作のときはお上が援助してくれれば安心できる。安定期の漢帝国、だけではないですが、普通に生活している分に国家が介入してこなければ、それで平和なんでしょう。なまじ国家が大事業なんぞを行えば、労働税として忙しいときに駆り出されます。さらに頻繁にお布令が変わらないなど、安定した統治が行われていれば、民は評判を聞きつけ、やってくるでしょう。経済成長を求めてではなく、安定を求めて、でしょうね。

ということは。おかしなことをしなければ放っておいても人口が増えて、それにより生産力が増える、ということなんでしょう。生産値向上型のように目に見えて経済が発展した、というような派手な内政は、やはりこの時代にはそぐわない気がします。したがって、今までの感覚からすれば、こう色々書いている割に、なんだか物足りない気がしていますが(^^;Aいや、物足りないからこそ今日みたいな文章になるんですが(^^;いずれにせよ、内政は、おかしなことをせず、地味ながら堅実な政治を行えば徐々に、それこそ月日が過ぎ去るだけで、徐々に徐々によくなっていく、これでいいのかもしれません…多分(^^;A

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