前回、お正月気分…なんて書いていたのが、もう逃げる2月もはや中旬、月日が経つのは早いもので…(^^;
ところが早くないのが三國志製作(*_*)月日が経つことにどういう意義があるのか見いだせず、実際の時間も過ぎていきます…(^^;
というのは、これまで何度も、数値上げ形式にはしないというふうに書いてきました。ところがふと気づくと、太守の官吏管理やら、民衆の不満やらが月ごとに向上するものになってきています(*_*)たとえば官吏の管理なら、最大値があり、毎月太守の能力に応じて上がったり下がったりします。ある程度の幅があるので、一気に上がることも、過って下がることもありますが、原則として少しずつ上がっていきます。ん?ということは数値上げぢゃないくわっ!( ̄□ ̄;)
まあ、かわってきたところの太守が一気に官吏を掌握できないということを表現しようとしているものの、これだと結局は数値上げになっているんですよね〜(*_*)それもユーザーが行っているわけではなく、内部処理として行っているだけで、結局何が行われているのかは、いまいちよくわからない。
さらに、数値上げ系のコマンドを廃しようとしたために、作っている私のモチベーションが下がってしまいました(--;A色々考えてパラメータを上げたり下げたりしてるんですが、プレイしていて全然見えません。「内政値が4ポイント上がりました!」という風な派手なことがなく、表面上は何も起きているように見えず淡々と月日だけが過ぎていきます。これではなんだか面白くない!ということが、予想していたこととはいえ、やはりそうでした(^^;
ううむ、抜きがたく数値上げ型のシミュレーションゲームに影響されているのかしらん?と思っていたんですが、やはり何かが違う。放っておいても、何かがんばろうとしても、月日がたつことにほとんど意味がないことが問題のような気がしてきました。確かにシミュレーション性も大事ですが、プレイしていて面白いというゲーム性も大事です(@_@)この辺の兼ね合いが問題ですね…
しかし、シミュレーション性の観点から言っても、政治や生活は突然よくなったりするんではなく、徐々によくなっていくというのが自然な気がします。とすると、これは数値上げの方が実状にあっているとも思えます…ううむ、だんだん反数値上げの旗色が悪くなってきました(^^;A
これまで何度も何度も内政については検討してきましたが、ベースとしてあるのは数値上げ型内政からの脱却でした。マタイチカラヤリオシカ…?まずここは一度ひっくり返して考えてみましょうか。数値上げの何がよくて何が悪いか、です。
数値上げ型は、成長を表現しています。基本的に何らかの行動によって少しずつ数値が上がり、アクシデントによって下がります。何らかの行動は、それによって数値が上がることが前提で、能力などによってその早い遅いにはあるものの、基本的に下がりません。まあ、上げようとしているんだから当然なんですけど、歴史上、上がる=よくなることより、下がる=悪くなることの方が多かったと思います。ところが数値上げ型ではこれを表現できません。最大値10だとして、1が悪政で8が善政というわけではありません。来月にはそれが2と9になっていれば、どちらも今日より明日がよくなっており、成長期にあるのです。来月には1が0になり、8が5になれば、アクシデントでもなければ悪政が起こっていると思えます。4が5になり、8が5になれば、どちらも現在値は5ですが前者より後者の方が悪政に思えます。ところが、数値上げ型では、右肩上がりしかなく、下がりません。ユーザーがプレイしている以上、わざわざ数値を下げるコマンドを実施するはずはなく、そうだとすれば、コンピュータだけに数値を下げるコマンドを実施させるわけにもいかず、結局どの地方も右肩上がりになり、終盤には国力も資金もインフレ状態になりますね(^^;A
そう、これまでいろいろゲームをプレイしてきたなかで、どうも一面だけのような気がするとか、物足りない気がしたのは、不況や失政が表現できていないということです。常により早く、成長させることが勝利への近道であり、それ以外に方法はないという高度成長期かバブルのようなプレイばっかりなところです。もちろんそれはそれで面白いんですが(^^;Aやっぱり何か物足りない。経済性合理性の追及ばかりだからでしょうか?その昔、koeiの信長の野望の古い版で、あまりに多くのプレイヤーが全国統一より茶器収集に走ったため、以後の版からその手のことができなくなってしまい、茶器やアイテムにも意味やら実質的効果があるようにした、という話がありました。しかしまあ、実際の信長の時代も、信長配下の佐久間親子が茶の湯にはまりすぎだと信長にいいがかり?をつけられて高野山に追放になった位、茶の湯が流行になっていましたから、かえって茶器収集の方が実状に合ってたのかもしれません(^^;
それはともかく、ゲーム、なのに(^^;;;無駄なことや失政ができない、というのも不自然です。しかし、これまたゲームなのに(^^;;ユーザーが無駄なことやマイナスになることはしません(^^;A無駄なことにも失政にも、それをすること自体にユーザーになんのメリットもないからでしょう。いや、それよりも、ユーザーはより効果的によりうまく天下統一することを目的としているのに、失政コマンドはその目的に反し、プレイするためにプレイしなくなるようなもの、山に登ろうとして下向きに歩きだすようなもので矛盾するからでしょうか。天下統一が目的ではなく、その世界を味わうようなゲームであればまた違ってくるんでしょうねえ。
直接自分が天下を統一することが目的でないゲームもありました。koeiの三國志7・8です。これらをプレイしていて思ったのが、非常に物足りなかったことです。初めて一般武将プレイもできるゲームでしたが、コンピュータの下にいては非常に効率が悪い。かと思えば、何もしないまま主君が天下を統一したり、怒濤の勢いで進攻する相手に捕らえられ、そのままその新たな主君が天下を統一することもあります。どちらも天下統一によってゲームが終了しますが、はたしてそれでよかったのか…?(--;
ところが、自分のプレイで天下を統一しようとするには、強引に後を継ぐとか、下克上を行うとか、いずれにせよ一般武将のイメージに合わない。同じように一般提督でプレイできたボーテックの銀河英雄伝説4との違いは、三國志7が一般武将ではほとんど国政に参加できないのに対し、銀英伝4は意見を言うことが(たいてい相手にされないものの)できたというところでしょう。三國志8ではかなり自由度が増したとはいえ、いずれにせよ国政に意見を言ったり左右できることはありません。銀英伝4では、おかしなコンピュータの行為を是正する意見を言うことが面白いという変わった雰囲気があっておもしろかった(^^;ことと、それによって銀河を統一することにもっていくことが基本としてできました。そこがかなり違います。
状況が単純な銀英伝の世界と、複雑な三國志の世界の違いもありましょうが、三國志7・8が物足りなかった原因の最大の理由は、本来ゲームの目的が、様々な状況の中(それが一武将の立場であったりするわけです)で最善の方法によって、天下なりを統一することにあるのに、君主でなければ取りうる手段がなかったことにあるように思えます。早い話が、取りうるコマンドは単なる数値上げでしかなく、確かに国力を増強させて天下を統一する手助けになったんでしょうが、別にそんなことをプレイしたかったわけではありません(--;かといって三國志7ではコンピュータの命ずることと違うこともできず、三國志8では違うこともできましたが、まさしく違うだけです。
結局、様々な状況を克服し、最後は天下を統一することが目的であって、それをできないプレイはかえってストレスがたまりました。銀英伝4ではそれができましたが、三國志7・8では実はできなかったのです。
おっと、ずいぶん話がずれてきてますが(^^;いずれにせよゲームのプレイの中に、失政を行うコマンドは必要ありません。一般武将であったとしても、そんなことはしません。結局はどんな立場であってもどんな状況であっても天下を統一する最善の方法を考えて行うことがプレイの大綱としてあるからです。逆に、ゲームの目的が天下を統一することにあるのに、それを左右することのできるコマンドがなければ、ゲームとしてはプレイする気が起きません。一般武将のプレイで自分のコマンドで天下を統一することのできるつくりでなければ、何をしているのかわからないからです。同じように、自分のコマンドでわざわざ天下を統一する方向から外れるようなものも必要ありません。何をしているのかわからないことにかけては同じだからです。虚しいというかなんというか…(^^;ワナとして準備するならともかく、そんなことにひっかからないでしょう(^^;間違った方法、とか、よくない方法、として準備しておくというのはあるとしても、苛政やら略奪やら、わざわざ行うとも思えません。
しかし、最初に述べたように、だからといって常に全ての行動がよい方向に進む、というプレイも実際としてはおかしい。ところが戦争はそうでない。弱いのに出兵するとか、負け戦など、確かに悪いことながら、強いから出兵するとか、(まぐれであっても)勝ち戦であればよかったわけで、同じ行為でも純粋にプレイヤーの判断が問われています。単なるコマンドではなく内容が問われるのです。
むむ、見えてきました(@_@)要するに、内政においても、単に実行すれば数値が上がる、というのではなく、戦争のようにプレイヤーの判断によって結果が変わる、そういうゲームがしたい、とこういうことですね〜(^O^)ようやくわかった気がします(^^;A数値上げが悪いのではなく、コマンド実行イコール数値が上がるしかない、と、こういうプレイが嫌だったみたいです(^ー^)
ふむー!ということは、数値上げでなかったとしても、現状のように、プレイヤーの関係ないところでよくなったり悪くなったり、挙げ句の果てに数値上げコマンド自体はないものの内部で数値上げになっている、こういうゲームなら急に作りたくなくなった、そりゃあわかりますわ〜結局一面的で、プレイヤーが参画できないという点ではいっしょですもん(^^;;;
要するに、内政も戦争同様、ただ、やればよくなる、時間が過ぎればよくなる、と、こういうことはやりたくないのであって、同様に、数値上げではないものの、プレイヤーの関係ないところやプレイヤーが関与できないところで結果が決まってしまうというのもおもしろくない…プレイしている意味がありませんからね(^^;A
よくSWGのランダムなイベント&結果にご批判がありますが、プレイヤーの関与できないところで状況が変わる、というところで不満が生じる、という面ではおっしゃるとおりですm(__)mしかし、これまで述べていた思考に影響されていたことが含まれていたりします(^^;A実はあのSWGの内政も、まったくの単なる数値上げではないのです!って、ほとんど単なる数値上げではありますが(^^;なんと、プレイヤーの判断の誤りで、同じ内政コマンドの実行が失政につながることもあるのです!単にランダムに失敗してお金が減るだけではないんですよ(^^;Aというのは…
実はマニュアルにも書いてたりしますが(^^;不穏状態で開発を行うと、かなりの確率で妨害どころか反乱が起きやすかったりするのです!(*_*)さあ、皆様、一度確認してみましょう(^^;不穏状態だとイベントでもかなり反乱が起きやすいため、治安維持はかなり早くなされていることが多いので、不穏状態での開発というのは実行されることは少ないんでしょうが…(^^;単に内政も行えばいいのではなく、やりようによっては悪いことが起きることもある、そんなところを表現していました。これと内政も失敗することといい、単なる数値上げとは異なることを表現したかった、ようです(^^;
ううむ、数値上げも、それはそれでよかったんですね…(^^;A上がるだけ、というのが問題なのですねえ。かといって下がるコマンドも使えない。しかも戦争のように戦術や準備で結果が変わるというのも毎月行うことですからあまりに煩雑でしょう。いちいち訴訟審理や行政指導なんぞをしていかないといけないというプレイは本来の目的から大きくずれましょう。だいたい、内政では何をしていたのか、結局の所よくわかりません(^^;A
ううううむ、困りましたが、とりあえず数値上げがよくないんでなく、数値が上がるにいたる方法を考えないといけない、とこういうことなんでしょう。やりようによってはうまくいくとは限らない、そういうことですねえ。うううううううむううう(*_*)
という感じで、認識を新たにできたところで、これまた新たに考えないといけませんねえ(@_@)さてさて、どういうことになるのやら…(--;)
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