kr_ryo 徒然日誌 <2004年2月22日分>

三國志製作記49〜失敗する内政〜

ここ数日妙にあったかいな、と思っていたところ、とうとうやってきました花粉症の季節です( ̄□ ̄;)くしゃみ鼻水倦怠感!風邪と同じ症状ですねえ〜抗原抗体反応として、熱っぽくなったり眠くなったり。バイ菌相手の体の防衛反応が出ています。一瞬風邪かな?と思ったんですが、これは花粉症でしょう。はい(ToT)

ということで、これから数カ月間は鼻の痛い季節です。そんななか、あいかわらず進まない三國志製作にも先週新しい発見がありました(^^;;内政の数値上げはかまわないが、単に数値を上げるだけでなく、失敗することもありなのではないか、ということです。

そういえば、この手のシミュレーションゲームで、内政に失敗することってほとんどないですね〜我田引水ですが(^^;;;SWGは失敗することもあります(^^;Aが、これはそう意識していたわけではありません。不穏時の内政で反対運動が起きるのは、××建設反対!という住民反対運動がモデルです。また、内政で常に成功しないのは、いわゆる三セク失敗の社会状況をモデルにしています。資金が無駄になるだけですけどね(^^;まあそのせいでほかにできたことができなくなる、ということで影響はあります。

しかしながら、イメージやらモデルやらをSWG製作に反映はしていましたが、失敗する内政、という概念があったわけではありません。おかげで長い間内政からみで色々検討してましたねえ〜(^^;ようやく呉下の阿蒙にあらずというか(^^;

さて、内政も失敗することがあるとして、どういうことをしてどういう失敗が考えられるか、ここからはそれが問題です(^^;

まず、内政の目的。住みよい街づくり、というのは現代の話。この時代の内政は富国強兵、とにかく国力増大が目的です。内戦状態ですから、商業よりも農業生産重視で、兵にも農民にもなる人を増やすことが大事です。孫権は遠く台湾まで人狩りにいき、曹操は中原の無主の土地を大量に国有化して屯田したように、人、これを確保しないといけません。現代のように土地は増えないのに人が増えると、今度は土地が重視されますが、三國志の時代は土地よりも人です。

これまで何度か書いてきたように、悪政により人民は土地を捨て、豪族の荘園に入ります。一度戸籍を捨てれば、もう国家は使役することも兵役に取ることも税を徴収することもできません。漢から晉に移り、人口が6千万から3千万に減ったのも、もちろん戦争で死ぬことも多かったでしょうが、多くは逃亡して国家が把握できなくなったためでしょう。そうです。内政は失敗することの方が多いのです。失敗すれば、人口減少と税収減少が同時にやってきます。

これに対し善政の評判によって人がやってきて、それによって人口向上と税収向上が期待できます。もちろん実際に善政であることが必要でしょうが(^^;したがって、内政コマンドを実行すればただちに税収が増えるわけではないのです。それなのにいわゆる内政コマンドって、いったい何を増やしてるんでしょうねえ??(^^;善政をする、というコマンドなのかしら?(^^;A

ところがいくら悪政でも、住み慣れた土地や生活を捨ててまで逃亡することが、それ程簡単ではないのは感覚としてわかりますね。董卓が洛陽中の人民を無理やり連れて行くまでは、少なくともみな洛陽に住んでいたのです。悪代官ではないですが、太守やその手下が税を払えない民の家に乗り込んでいって強制徴収したからといって、いや、その話にもあるように、逃亡せずにまだ住んでいるのです。強制徴収は逃亡の原因にはなりません。

逃亡しなきゃならない原因は、始皇帝の秦のように、人民を直接使役する、兵役や強制労働につかせる、それだけでなく、その結果生きて帰ってこれないことがほとんどな場合、これなら逃げ出したくなります。万里の長城や阿房宮を作るために連れていかれ、期日に遅れると全員殺される、それ位なら逃げたり反乱を起こしたりしたくなります。しかし、三國志の時代はそうではない。そこまで強引で全国的な過酷な使役はありません。

むしろ、太守など国家権力の悪政が、というよりも、国家権力が強制徴収する税額が過大になるか、実状に合わないため、生活が苦しくなった人民が、地元の豪族に助けを求め、土地を担保に金を借り、それが返せなくなって、借金取りから逃れるように夜逃げしたり、土地を取られたりして、路頭に迷うという方が事実としてありえそうです。必ずしも太守の徴税が過酷なものでなかったとしても、その代行機関としての豪族が過酷な徴税を行ったり、様々な手法で良民から収奪していくことも考えられそうです。それを太守が取り締まれなければ、結局悪政と同じことになります。

というように、太守がどれだけ、民が住みよいかどうか郡全体を見て判断できているか、民が払えないだけの収税を行っているのかどうか、豪族が横暴していないかどうか、これらを訴訟や報告や実地調査などを通じて理解できているか、足りないところを補い、悪いところを改められるかどうかが、よい内政が行われているかどうかのキーとなります。やはりコマンドで向上したり減少したりするものではないようですねえ。太守の仕事そのもの、太守であること自体で良い内政か悪い内政か決まります。「善政コマンド」があるわけではなく、いわんや「悪政コマンド」があるわけでもなく、ただ太守として、そこにいてるだけで決まってくる、そういうものなのでしょう。

太守としていてるだけでどうなるか。現時点で善政であるか悪政であるかは、小さい県なんぞ一朝一夕に善政にもっていけるだけの龐統のような実力者ならともかく、ひたすらがんばってもじりじり悪くなっていったり、がんばらないためにどんどん悪くなったり、はたまた積極的に私腹を肥やしていく奴もいるでしょう。逆に着任からどんどんよい統治を実行する者もいれば、ある程度はよくなるものの、どうしても管理がうまくいかずどこかでひずみが起こるような太守もいるでしょう。ここから、よい政治を行おうと思うかどうかという資質と、実際によい政治が行えるかどうかという能力と、現状はどうか、という3点はそれぞれ異なる要素だと考えられます。

諸葛亮がだんどりよく治めて、法も整い訴訟も解決し、しばらくして官吏も人民も感化されているような土地は、積極的に悪いことをしようと思う太守が積極的に悪いことをしたり、怠惰で無能な太守がしばらく治めて悪いことをする人物が現れ始めたりしない限り、太守が変わってもよい政治は続くでしょう。この意味での内政値には意味があります。以前にもお話した官吏管理に似た話ですが、もっと広い意味での治まり具合という意味での内政値です。よく治まった土地は、平均的な人物が平均的なことをしているだけで問題は勝手に解決されるなど、状態が悪化する要素は少ないでしょう。

これに対し治まり具合があまりよくない土地では、法や制度が整備されていないなどによって様々な問題が起きる確率が高いでしょう。それを太守が解決しないといけないことは増え、その結果無能な人物ならば失敗する確率も高くなるでしょう。そのため優秀な人物が太守でなければ、問題解決の失敗によって状態が悪化する可能性は高まります。

また、法を整備するなど積極的によくしようと思っても、無能な人物であれば見当外れなことをしてしまい、状態を悪化させたりすることは十分考えられます。資質のない人物であれば、よく整った官僚機構や統治制度を破壊し、私腹を肥やす制度作りをはじまるかもしれません。そういう人物が有能である場合、ということはあまり想像がつきませんが(^^;司馬懿のように密かに国家のためでなく自分のために制度を作り替えていっているのかもしれませんが。

このように、内政値が法制度や官僚機構の整備、人民教化などによる統治の完成度を表すならば、数値の向上であってもなんらおかしくはありません。また、太守がいけてないために、どんどん悪化することも考えられます。そして、こういう内政値は基本的に一朝一夕で上がるものではなく、能力と資質で上げようとして上る、かどうか決まったり、悪い資質の持ち主が下げようとして下がったり、下げようとしてると前太守によく治められた官吏が君主に訴えられたりすることもあるでしょう。

さらに普段の内政として、内政値が低ければ各種問題が(ランダムに(^^;)生じ、太守がそれを的確に処理するのか、失敗してこじらせるのか、はなから相手をする気もなく放置して民心を悪化させるのか、色々起こる可能性があります。それによって国力が下がる可能性もあるでしょう。もちろん内政の整っていない土地はそれだけで国力が維持されれば結構、それどころか下がる可能性の方が高いでしょう。逆によく治まった土地は問題が生じにくいため、国力は維持されやすいでしょうし、場合によっては評判を聞きつけて人がやってきて国力が向上していっている可能性もあります。少なくとも江南のように、華北のように戦乱がないというだけで人がやってきて国力が向上する場合もありましょう。もちろんそれでも悪政であれば人は逃げ出すでしょうけども。

こう考えていくと、内政値と人口を中心とした国力という数値は別に必要になりそうです。人口が中心とはいえ、人口そのものではなく、どれだけ税を治めるだけの資力があり、どれだけいざというとき兵になることができ、どれだけ田を増やし子を増やしていくことができるか、民の安定した生活そのものも含めた抽象的な数値とでも考えられましょうか。内政値は上でお話してきたように、法制度であったり官僚機構であったりの統治度合いを指しています。内政値が高く国力が低い発展途上の土地もあれば、内政値が減少し、国力は高いもののやがて下がる可能性のある董卓統治下の洛陽、ということも考えられます。そして、太守なり君主が関わることができるのは、国力ではなく内政値となります。

おお、なんだか今度こそ(^^;A見えてきましたね〜(@_@)内政コマンドが直接国力を増大(そう、減少がなく増大だけ)させる、というところの批判からはじまって、太守の内政ぶりで内政値が増減し、内政値によって国力が増減する、こうすれば内政も単なる数値上げではなく、実力ある人物を乱れた土地に配置しないとより一層混乱するというところにまで進みました(^O^)人材も初期ではぎりぎりでしょう。優れた人物を手元に残すかわりに、ぎりぎりの能力の持ち主でなんとか地方をまかなわなければならないが、誰が適任か、その人材登用といういう楽しみ方?もできます(^^;いくら人材が不足しているからといって、内地に無能だったり強欲だったりする人物を配置すれば、たちまち内政が悪化して反乱、という事態を招くかもしれません。

そう、システムソフトの三国志英雄伝で、どんな武将でも相性次第で戦場でめざましい働きをするようになる!というフレーズに込められている意味のとおり、数多い三下無能武将達の処遇には困る面もあるんですが(^^;;;下手に処遇するとろくなことにならない、いやそれ以上に、三下無能武将達にもユーザー様に内政を失敗していただくためにいてるんだという重大な意味があるのかもしれません…(^^;;;

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