kr_ryo 徒然日誌 <2004年3月7日分>

三國志製作記50〜決算!〜

世間では、梅香り花粉襲来の春、のはずでなんですが?(^^;先々週の更新の日の1回こっきりで、20年来花粉症の私に、なんと実はほとんど症状が出ていません(?_?)明らかにすっかり花粉症モードの人もいるので、やっぱり始まってるはずなんですけども、どうしたわけでしょう(^ー^)いやあ、苦しくないと、全然春っていい感じ!ですねえ〜(^O^)って、今日は雪降ってましたが(^^;ただ、後でまとめて症状が出たりして( ̄□ ̄;)とおびえてたりもしますが…(T_T)

さて、ちと何かとヤボ用が続いて三國志製作がなかなかはかどりませんm(__)mややまとまった時間があった時に作ろうとしても、まだ、内政がつまりません。ちゅうか、につまってしまいます(--;紙に色々書いたりして考えてるんですが、いいアイデアが浮かびません。そして、実は意外にも考えをまとめる最適な方法は、この製作記だったりします…(^^;私は話ながら考えをまとめていくタイプの人のようなので、ひとりがたり風のこの製作記で結構色々 困ったことが解決できてるのかもしれませんねえ〜(^-^)

ということで、とうとうこの三國志製作記もなんと50回!(^^;いやあ、よく続いた、というか、なんというか(^^;;本体製作がはかどっていない証拠、なのかもしれませんなあ(T-T)

さてさて。今回問題となるのは、今まで同様月ごと内政の積み上げ問題です。そう、第50回のお題は決戦!ではなく、決算!なのです。いや、本業がこのシーズンだから、ちゅうわけではなく…(T-T)

決算。つまりですね、いかに太守が無能だったとしても、董卓みたいなことをするんでなければ、一月二月で人口が激減するほどの悪政を実行できるはずはありません。しかしやっぱり下降線は描くはずなんです。そのため、1年を通してみれば、去年より悪くなっている、明らかに悪くなっている、逆によくなっている、とってもよくなっている、ということがわかるんだと思います。また、実際にもそうで、よくない統治の下では、だんだんぽつぽつと逃亡する人民が出だしたりして、1年とかまとまった時期を通してみれば、減っている、と、こういう感じになってるんだと思います。

しかし、少しずつ減っていく、増えていく、ということを表現するためには、本来実体数で表す必要が出ます。つまり、10人ずつ減っていくなら、10人単位で人口を表してなくっちゃあいけない。む、なんだか邪魔くさそうな香りがしますね(--;

さらに、突発事項、災害やら一揆やら盗賊やらが発生すれば、今度は1月であったとしても大幅に減少します。まあ、こっちはわかりやすい。ところがこういう風なことでもなければ、月に少しずつ人が亡命していく、という事態も考えようによっちゃあすごい悪政、という気がします(~_~;それに、10人単位で増減を管理するなんて、やっぱりおかしい…増減要因は悪政ばかりではないでしょうから。

と、こういう風に考えていくと、人口を実際の数字でもつ、ということはやはりよろしくない。また、直接悪政の影響が人口に反映する、というやり方もまずい。政治の結果の表現として、直接人口値が増減する、というのはやはり風が吹けば桶屋がもうかるくさい(^^;増減理由はやっぱり色々あるでしょうから、それを反映しないで、政治の結果のみが人口を左右するとすると、一面だけ見ているようで、細かく人口を管理している割に、かえって本物くさくなくなります(~_~;

前回お話した内政値と国力値との分離の話のように、国力値には人口も含む、指数的表現の方がゲームでは有効でしょう。人口3,608,921人、うち成人男性1,922,549人という風に、色々な要素を細かい単位で詳細に数値で管理しても、それに対する影響をもつ要素をすべて持つことができなければ、かえって実際のシミュレーションをしているようには見えません。1対1で原因と結果が結びつく、そんな単純な話じゃないだろう、って(^^;数値を細かくすればリアルか、というとそうではない。

しかし、この話は無能な太守の小さな悪政の影響、からスタートしていました。少しずつ悪政が積み重なれば、1年を通してみると、結局結構悪くなっている、ということを表現するためにデータを詳細化しようという話(^^;これを細かくせず指数とするならば、小さな悪政の結果は反映されないため、今度は逆に、災害など突発事項でもなければ、どんな無能な太守でも、大過なく治めてしまえることになります。これまでのありがちな内政システム同様、とりあえず常に右肩上がり、というやつです。横ばいか、上るか、しかない。大きく下がるのはもちろん、小さく下がるを表現したい。

今までのシミュレーションゲームの内政モデルでは、生産力と人口とがわかれ、内政コマンドによって生産力を直接向上させることができる、ということが多かったと思います。そして両方、原則右肩上がり(~_~;微増、はあっても、微減、はない。何かすればよくなることが前提ですが、現実の政治では、そんなことは、ない(--;)

ただ、悪くなっている、よくなっている、ということを表現したいけれども、月ごとの施政ですぐに生産力が減少するとか、向上するとかに結びつく、というのは、これまたやはり数値上げ風で現実っぽくない。ううむ、どうしよう…少し具体的に考えてみます。

コマンド→生産値増減、というシステムが短絡的だ、ということからスタートしましたが、方針→実施→生産値増減なら、それ程変わりません。そこで実施から生産値増減に至る間として、当初、生産値は人口によるから、実施→人口増減→生産値(力)増減という風に考えていました。しかし、先程お話しましたように、そうそう簡単に人口移動が生じるわけもなく、ややつながりが悪い。

結局、悪政であっても直ちに生産力にまで影響を与えないが、小さな悪政が積み重なれば生産力に影響を及ぼすこともある、ということを表現するんであるから、その内容ずばりでよいと思われます。

前回お話した内政値は、何も組織化されていない0から高度に有機的組織化が進んだ状態の高レベル状態、たとえば10まで、ちゃんとすれば上がり、悪いことをすれば徐々に下がる積み上げ型のイメージでした。ところがこうすると、これから整備を始めようとしている生産値1と、下がりに下がった生産値1とが同じ状態に見えてしまうので、あえて悪政というわけにもいきません。いい状態ではない、ということまでしか言えません。積み上げ型では状態を表現することができますが、現状の流れ自体をとらえにくい面があります。

ということで、政策値のようなものを考えてみましょうか。政治として、良いこともすれば悪いこともする、この両者を足した数値なのか、別とした方がよいか。一定程度たまった場合に生産値増減が生じるとするという風に、生産値に直接影響するとするか、月ごと現在の政策値で影響チェックを行い、失敗すれば生産値が減少するという風に、悪政だが必ずしも生産値に影響すると限らない場合をもつとか。まずは、政策値の意味から考えていきましょう。

まず、政策値は何を表しているのかというと、政策の実施から実際の生産値への影響への橋渡しです。生産値の増減は、政府が直接田を耕すわけでない以上、民が増えて新田を耕すとか、逆に逃げ出してしまって田が荒れる、ということが基本です。これに対し、災害で全体としての生産力が変わる場合は政策によって変わるわけではないので、直接生産値を増減させる方がいいでしょう。とすると、政策値は人為的な要素による住みやすさ、や、政治の有効性といったものの総合値であってもかまいませんね。

さて、悪政だからといって必ず生産値が減少するとも言えません。先祖代々の田畑を捨て去るのは余程のことがない限り普通はしないことから見てもこれはわかります。悪いことをすればすぐさま結果が出る、とまではいえないのは、良いことをすればすぐさま結果が出る、ということの裏返しで、先程の短絡的、という批判と同じことが言えるからです。

ただ、ひどい悪政であれば、耐えきれなくなって逃げ出す人民が増え、もしくは盗賊に家財を奪われ田畑を荒らされたり殺される人民も増えるでしょう。その結果大きく生産値が下がるレベルにまでいたってしまいやすくなるとは思います。ひどい悪政が続くのであれば、毎月生産値が下がることもありえましょう。軽い悪政ならば、もしかすると下がってしまう、というレベルでしょう。逆もしかり。とすると、政策値に基づき、月ごと生産値に影響が出るかどうかをチェックすることにより、耐えきれなくなる人民が出れば政策値が下がる、というスタイルになります。ひどい悪政でも、もしかすると人民は耐え続けるかもしれませんし、軽い悪政でも簡単に人民が離反する可能性はありますが、通常ひどい悪政の方が生産値が減少しやすい、という違いがあります。まあ、自然な感じですね。

これに対し、悪政値、いやマイナスの政策値が増えていき、一定数に達すると生産値が下がるというロジックだと、結局政策値の積み上げが生産値になる可能性があります。これには悪政値が10だと1下がり、20だとさらに1下がるというスタイルと、10だと常に1下がり、20だと一度に2下がる、というスタイルの2つが考えられます。

いずれのスタイルでも、ある程度の無能な太守であればゆるやかに、ひどい太守であればあっと言う間に、政策値の減少もしくは悪政値(仮(^^;)の増加によって急速に生産値が悪くなっていきます。ただし、前者では、悪政値が10の段階で止まれば、それ以上生産値は下がりません。耐えきれなくなった人民はもういなくなったのでしょう。後者だと、下がり続けます。太守が考えを改めて政治がよくならない限りひどい取り立ては続くので、最初は耐えれた人民も、数か月もすれば耐えきれなくなる、という感じです。

ただ、まずここが問題なんですが、悪政値9と10の差が大きすぎます。ひとたび閾値である10に至れば下がりますが、9で踏みとどまれば何も変わりません。10が人民の耐えきれなくなるレベルだとすれば、数か月そんな悪政にさらされている人民は、いずれ耐えきれなくなるはずです。

前者は閾値10に至れば、耐えきれない人民が出てくる何かをした、という一過性の悪政なんでしょう。だとすると次に下がるレベルである20にまで、数値をため続ける、ということが、次に耐えきれなくなる人が出てくるまで新規なり継続なり悪政をし続ける、という印象ですね。新たな悪行を行った、というならともかく、同じよくないことをし続けている、ということであれば、本来最初は耐えても次第に耐えきれなくなるような人民も出てくるはずなので、悪政値が増え続けることが悪政の継続です。

しかし、悪政値が閾値10のままであれば何も起きません。あの時の悪政で終わった、という感じですね。だとすれば、悪政値とは悪政の履歴であり、現在悪政をしているという指標ではありません。0から10へも10から20へも意味は同じですから、その地域の人民の被害の履歴を表しているような感じですね。履歴である以上、悪政値と善政値は別であるべきです。現状を表しているのではないからです。また、悪政値の0から10に至るまでの各値は、生産値が1下がるというレベルの数値ではないものの、亡命や餓死した人民がいた、ということでしょう。いずれにせよ閾値との差が大きいですが、生産値の捉える範囲が大きいということであります。

今度は後者。すなわち、悪政値10とは、生産値が常に1下がるレベルだ、ということであれば、政治を変えない限りあっと言う間に悪くなって0になります。こういう連中は、よい結果をあげずらいため、一度太守としておいておけばすぐにぼろぼろの国にしてしまいます。下降線ですね。しかしこれは、右肩上がりオンリー型内政システムと同じ感じではあります。右肩下がりオンリー型内政ですね。当然善政値が10であれば、右肩上がりになります。良いことにせよ悪いことにせよ、相殺して結果としてどうか、という発想なので、善政値も悪政値もなく、同じ政策値で与えられます。悪政値とは、マイナスの政策値ですね。

そして、これはこれで、究極的にはいずれ生産値が0なり最大になります。もちろんこれが、今までのよくあるシミュレーションの右肩上がり型システムの問題点と同じ問題です。よほど新しいよいことをし続けないことには、そんなによくなるはずがありません。良いことをし続ければよくなるはずではありますが、同じことを続けてたからといって、常によくなったり、悪くなったりする、というのもおかしい。同じことをしていれば、動きはあるというものの、どこかの時点で止まるなり、伸びが鈍化するなりするはずです。悪政続きでも、人民はなんとかして耐えきれるようにするはずです。そうしないと皆死んでしまう、逃げてしまう、というのでは極端にすぎます。

とすると、この発想では、悪政値が上がれば上るほど、上がりにくくしないといけなくなります。悪政値が1から2に上るのと、9から10に上るのとでは、成功率(?)に違いを設けないといけません。ということは、悪政値の向上は新規に悪政をした、ということで、現在の悪政値は現状の悪政状態(^^;を意味します。悪政値10とは、続けていれば月々生産値が1づつ下がる、とっても悪政、ということになります。

だとすれば、当初導入しようとしていた、軽い悪政による生産値悪化の可能性、ということができないと考えられます。10に至れば下がり続けるようなバランスなら、ある程度の連中なら10にできないようにしないと怖すぎますから(~_~;おっと、これだと意味がない!しかも、善政値が10にならないと生産値は全然上らないが、ひとたび10になれば上がり続ける!やっぱり不自然です(~_~;

ということは、政策値は悪政なり善政なりの履歴としての悪政値、善政値とすべきか、政策値としてその影響をチェックして生産値を変化させることもある、とすべきか、ということになります。前者を履歴型政策値、後者をチェック型政策値と呼びましょう。

履歴型政策値では、善政値なり悪政値なりは、定義上さがりません。増える一方です。悪政値99で着任した諸葛亮は、少しのミスで生産値を下げてしまいます。しかも、悪政だという評判は諸葛亮についてしまいます。これはおかしいですね。これを避けるとすると、悪政値善政値は太守の行為や評判とは連結しないか、太守異動で悪政値善政値とも0とすべきです。後者は人民の虐げられた歴史(T-T)であったという定義上からも、太守をどんどん異動し続ければ帳消しになるというゲーム上の裏技(^^;となりえる事情からも、取り得ません。とすると悪政値と太守の行為は連結しないとするべきですが、悪政値の増加は悪政行為の継続である、という意味があったことと矛盾し、もはや破綻していますね(^^;A

ということで、やはり積み上げ型政策値は取り得ません。今度はチェック型政策値を検討しましょう。

チェック型政策値では、太守の性格や能力等から政策値が決められ、その政策値に基づき内政値に影響が出るかどうかがチェックされます。政策値は一度決められれば、誰かが変えようとするまで変わらないようにしましょう。悪政値状態の政策値であれば、生産値が毎月下がることもありえるわけです。まあ、そういう場合は誰かが君主に告げ口するようにしましょうか(^^;Aまあ、これに対して善政値状態なら、生産値が毎月上ることもありえます。悪政値状態で生産値が上がったり、善政値状態で生産値が下がったりしないのか。イベントでもない限り、起こりえないとしましょう。クリティカルなりファンブルなりは…やっぱりイベントでしょうねえ。政策の見直しなら、ありえるかもしれません。なんだかいけそうですね(^-^)

さてさて、なんとかイメージが出だしました(^-^)これと前回の内政値なり官吏管理値との組み合わせですが……同じことを目指している同じもののような気はします、が、おっと、今回は長くなりすぎたような気がしますので(^^;とりあえずこの辺で。。

index

〔TopPage〕

このページへのリンクはフリーです。
このページについてのご意見、ご質問などは、kr_ryo_green@yahoo.co.jpまでお願いします。
Copyright 2004© kr_ryo All rights reserved.
訪問件数