kr_ryo 徒然日誌 <2004年5月23日分>

三國志製作記60〜英雄は何を目指したか?〜

先週プログラム製作が止まるまで、と書いたとたんに止まってしまいました(*_*)というのも久しぶりに信長の野望烈風伝をプレイしてみようと思って武田信玄((^^;)でプレイしてみると、風林火山の旗の下、疾風怒濤の進撃が続き、こりゃおもしろい…(^^;

99年製の烈風伝は、今やコーエーの旧作低価格化リバイバル戦略で2000円程度で売られています(;_;)その前作風雲録とともに日本全体が大戦略のようなマップで表現されているタイプのゲームです。ややコンピュータの思考に難がある、というか、それを狙ってか、城の改修など必要な内政をしないままどんどん攻めていきます。その結果、大勢力ができやすいものの、負けずに押し返せる位の武将数がそろっていれば、こちらもどんどん勢力地を広げることができます。

幸い武田は武将が優秀なので、攻められないように内政をしっかりしておく余裕も攻め込む余裕もあります。まあ何にせよ君主選択からして初心者簡単コースを選んでますね(^^;

さて、このゲーム、というよりコーエーのゲームは委任がほとんどあてにならないので(--;攻める城攻める城どんどんマニュアルで操作しないといけません。そのため(それ以外にも理由がありますが(^^;)異常に時間がかかります。おっと、三國志製作ができないじゃあないか(^^;A

さて、上杉を討伐し、北関東から東北、北陸、中部、北近畿とどんどん攻め、都も押さえて将軍宣下も受けました(T-T)信玄の悲願達成ですね〜各地各方面を別々に同時に進出し、近畿より東は平定したころ、こっからがようやくはたと我に返るときです(--;というのは…

小勢力を除き、日本は近畿から東は武田、西は毛利の二大勢力という状況。毛利は中国四国北九州を押さえていますが、コンピュータ特有の内政不足状況で城の防御度が非常に低い。しかも東西に敵を抱えているのに対し、我が武田は後背地に敵はおらず、将軍(何幕府だろう?(^^;A)でもあり、太政大臣でもあります。客観的にみて、島津やら伊達やらの中央に疎い連中ならともかく、毛利家が和を請わず戦い続けるのはなぜか?

そのため、信玄は将軍のくせに陣頭で今日も敵城を追い詰めていきます……まあわざとそうしているのと、楽しいからだからいいんですけど(^^;Aふと、なんだかおかしいなあ、と。要するに、絶対的優位にたった時点でゲームとしては終わっているのです。秀吉の天下取りも、徳川を配下にした時点で先が見えています。北条やら島津やらを攻めているのは、まあ戦後処理というところで(^^;A

将棋や囲碁でも、プロならば完全に詰みになったり、地が確定するまで続けないものです。勝つ見込みがなくなった時点で負けを認めます。偶然相手が失敗することを期待して戦い続けるのは無様、という思いがあるんでしょう。ただ、この発想は、異民族戦争をほとんど経験していない日本人特有の感性で、異民族戦争を経験している民族は、負ければ奴隷か絶滅かしかないので必死で戦うものだ、という意見もありますね(~_~;しかしだからといって、起死回生、回天を信じてB29に竹槍で戦うのは、どうかと思いませんか(^^;Aまあ、信長の野望の時代にせよ、三國志の時代にせよ、内戦なので勝てないならば必死で戦わなくあっさり降伏してしまうと思います…

つまり。絶対的優位にたった時点で、同じ条件でゲームを続けるのは非常におかしな感じになるんですよね。烈風伝は威信というルールによって、威信値が高い相手に敵将がどんどん寝返るのでかなりその感じが緩和されます。それでも戦い続ける奴はいますが、毛利家ならまるっきり戦わない方を選びそうでしょ(^^;A島津家や北条家が最後の相手なら、決定的に敗北するまで戦い続けるでしょうが(^^;いずれにせよ、勝利条件として全ての城を落としてまわるのはどうもゲームとして蛇足にすぎるということです(^^;

ようやくここで振り返れるんですが(^^;三國志製作。今のままだと敵城をひとつひとつ落としてまわるゲームです(^^;小勢力乱立の時代はそれでもいいです。しかし、大勢力になった段階で、未だ歯向かう地方の田舎侍どもを蹴散らすのは本筋ではない(^^;

曹操が袁紹なき後の華北を平定するために袁譚達を追って遼東まで攻め込むことには意味があります。未だ華北は完全に平定したわけでもなく、後背の劉表や孫権が攻めてくる可能性もあり、対応を間違えば曹操といえども袁紹の二の舞です。勢力の安定化のために正しく征服しなければいけなかったのでしょう。ところが曹操最後の敵が袁紹で、白馬他で打ち破り、残るは袁譚達だけ、という状況ならばどうでしょう?曹操も自ら残党を追ったりすることもないでしょうし、その後の戦争は、勝ったり負けたり、城を取ったり取られたりということがあったとしても、もはや袁譚軍が曹操の地まで攻め込むことができなければ、もはや曹操が負けることはありえません。これが絶対的優位です。後は時間の問題です。

絶対的優位だから残党を攻めとるのが無駄、というわけではありません。劉邦は戦場で当たった矢が原因で死んでしまいますし、その一矢で絶対的優位を跳ね返す可能性も否定できません。気になるのは、自勢力以外の全ての勢力を滅ぼさなければいけないかどうか、です。

信長ならば容赦しなかったでしょうが、そうでなかったとして他勢力も別段必ず敵対したかったわけではないでしょう。けれども戦わず降伏した劉jにせよ、戦って降伏した劉璋にせよ、殺されはしませんでしたが(物語では劉jは殺されたことになってますね(^^;)そのままの地位にとどまることはありえません。徳川家も関東に移されましたね。降伏すればした側にもそれなりのデメリットがあるでしょう。もっとも、攻め殺されるよりはましですが(^^;

今の例は大勢力に敵対できるだけの大勢力を有している場合ですが、そんな力がない場合、実はそれが問題です。小勢力がわざわざ比較的大勢力と戦いますか?関が原の合戦の時のように、きっとあっちへついたりこっちへついたり、極端な話どっちにもついたりするのが普通のような気がします。つまり、あえて戦ったり敵対するんでなく、さっさとどちらかの勢力の味方につく、と。

大勢力であったとしても、下手に相対的優位な勢力と戦うとは限りません。家康がそうであったように大勢力のまま臣下につくこともあったでしょう。三國志では、大勢力ではありませんが、そうです、我等が劉備はよく色んな勢力の臣下になっています。雌伏というか、裏切り者というかは、劉備をどう捉えるかによって変わりますね(^^;この人物は単なる弱小君主とはやはり異なっていたのでしょう。さらに、そうです、孫堅孫策もそうでした。二人とも袁術の部下のはずでしたが、やっぱりスケールが違います。

これに対し、歴史に飲み込まれた弱小君主・太守達、大物でいえば馬超は、特に独立志向はなかったのでしょう。結果論かもしれませんが、やはり英雄は英雄であり、武将は武将であるのかもしれません。英雄ならば配下としたとしてもいつ裏切る(英雄からみれば、独立)かわかりませんし、武将なら君主であってもすぐ英雄の下に馳せ参じるでしょう。みんながみんな英雄ではないし、武将ではないのです。歴史を動かそうとする英雄と、英雄に動かされたがる武将は、素質として違っているのではないか…となると、これを表現した方がシミュレーションとしてはそれっぽくなる…はずです(^^;野心のある奴はどんなところにいっても独立したがるでしょうし、忠義な奴はわざわざ朝廷に(それが丞相曹操に牛耳られていても)逆らってまで独立を維持したいとは思わないはずです。

さらに、弱小勢力は、自分から積極的に大勢力の庇護下に入りたいと思う可能性もあります。大勢力であっても劉璋も最初は曹操の下につこうと思っていたようですし、何も戦乱を広げなくとも…と思う連中は大勢いたことでしょう。というよりも、どうして曹操の下ではみんな納得しなかったんでしょう…(^^;皇帝傀儡は今に始まったことではなく後漢の伝統的弊害でしたし、曹操悪玉論も、かえって悪玉だから、という理由がなければ劉備も孫権も独立の理由を疑われるから登場したのかもしれません。

後漢末の混乱は、やはり漢朝の命運がすでに尽き、新しい政治を時代が要求していたのかもしれません。もはや宦官や外戚の横暴には耐えられない程度に民の生活も国の統治もよどんで腐っていたのでしょう…曹操は古い革袋に新しい酒を入れる政治を目指したようですが、その辺が理解されなかったのかもしれません。袁紹が天下を取っていれば、古い政治が復活したでしょうが、きっとまたどこかで社会矛盾故の内乱がすぐに発生したことでしょう……新しい曹操が表れるまで同じことが繰り返されます(^^;

しかしまあ、ここまでくるとゲームでは表現できないので(^^;Aここまでで、英雄には英雄の素質がある、ということと、英雄の素質がない弱小勢力は抵抗しない、ということをなんとか表現していきたいと思います(^-^)

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