いやあ、嵐の前の暑さです(--;台風です。明日こちらに近づきます。今日にしてくれ〜(~_~;)三國志製作も嵐にあおられる小舟となるか?(T-T)
前回検討してみたポイント制、これまた起死回生のチャンスにはやや外れているような気がします。のっけから困ったことですが、いったいどうしたことでしょう、何が三國志製作をこんなに困難にしているのでしょう?(~_~;)
まず、なんだかんだいって三國志の主人公たち、曹操、劉備、孫権とも、領土獲得を行っています。他人の土地だからと攻め込まない聖人君子ぶりっ子をしていると龐統先生に笑われます。孫策は露骨に領土拡張を図りました。後漢の官僚を自認する王朗や劉繇なんかは侵略を行おうとは思わなかったでしょうが、孫策相手にはがんばって戦いましたね。
しかしまあ、いくら侵略性向100%だったとしても、昨日も今日も似たような野戦に城攻め、明日もその繰り返し…では、そのうちやる気が失せてしまいます(--;)問題はもしかしてここかもしれません。内政の時もそうでしたが、昨日も今日も、明日も明後日も明々後日も同じことを繰り返していれば、早晩あきてきましょう。というよりも、英雄たちも漫然と攻め込んでいるわけではなく、意味のある戦争をしていたはずです。あの都市を攻めるのは、あの都市だからこそ、という…まあ、単なる通り道だったのかもしれませんが(^^;それよりも要地であるとか、敵の本拠地であるとか、攻めるべき意味を持って攻めていたはずです。
三國志の終焉は、蜀にせよ呉にせよ、全土が征服されたわけではなく、首都を落とされて滅亡しています。首都には、首都なりの、要地には要地なりの、意味があるのは当然です。ところがこれまでの検討で新しい内政システムを導入したために、都市の個性がなくなってしまいました(--;内政で変えうると考えられるパラメータが少ないために、都市の都市としての個性を表現するためのパラメータが極端に少なくなってしまいました(*_*)どうやらここに問題があったようですね…
まず、曹操が許昌を、曹丕が洛陽を、孫権が建業を、それぞれ整備した際には、国家的な土木工事を含む大規模開発となっています。ところがこれは普段の内政ではありません。では普段の内政は何かというと、全然物語には表れてきませんね(;_;)諸葛亮にせよ、法正にせよ、内政面での大きな業績は法の整備に見られるように、どちらかというと治安面です。つまり、個々の太守による経済政策は、税を緩やかにするだの無茶な取り立てをしないだの飢饉のときには糧秣を提供するだの、要するに何もなければ放っておくという感じなのです。以前から何度も書いているように、行政が民間のマネをしたりだとか、余計な手出しをするだとか、そういうことは現代ですら失敗するように、当時でもうまくいかなかったのでしょう。もちろん農業指導だとか農業奨励だとか、屯田だとかいったように、積極的に介入することもあったでしょうが、関羽や夏侯淵が鍬の使い方を教えるような内政なんて…と思いますよね(^^;;;
つまり、コマンド的な内政は行えないか、行ったとしてもなんだか何をやっているのかよくわからない内政になるはずです。それを廃する意味で政策とその実行という内政システムを考案しました。ところがそういう内政政策によって左右されることのあるパラメータしか用意しなかったため、今度は都市の個性がはっきりでなくなったと考えられます。つまり、どこでも同じ城に見え、実際にどこでも同じ城になる可能性があるのです。どこでも同じようなパラメータを持ち、同じような内政が可能だとすれば、当然どこでも同じようになります。洛陽だろうが遼東だろうが雲南だろうが、国力最小値0で最大値10ならば、当初が違っていてもいずれは同じになる可能性があります……そんなわけはないですね(^^;;
現在のシステムでしばらくテストをしてみて、どこの都市でもよくなることもあれば悪くなることもあり、いずれは同じ最高値になったりならなかったり…ということをみていると、第一プレイヤーたる私の気分が萎え萎えになってしまったようです(~_~;)これだったら隣の建業を攻めずとも、徐州を守ってればいいじゃん、という気になってきました(^^;Aどうもシステムがコサックスに似てきたようなのです(^^;A
コサックスの必勝法なのかどうかはわかりませんが、今の私のコサックスのプレイでは、自国の守りをしっかり固め、兵力を整え、敵地に一気に攻め込み、あらゆるものを破壊しつくします。その地を守るだけの兵力が惜しいことと、旧敵地を復興させて手に入れる量程度では自国内の供給量には全然かないません。それよりも他国に襲われて奪われるよりは、と、破壊しつくしてしまいます(^^;Aかつてのプレイで敵地を復興させていたことが懐かしく思われます……
という感じのため(^^;A三國志でもそれが微妙に影響するのか、攻め込んで、で?という気になるんですよね〜(~_~;)コサックスのようなどこに都市が築かれてもいいような自由マップだと、逆にどこでも空き地と同じ意味しかなく、土地の占領にはほとんど意味がありません。これに対し、三國志のようにエリアマップだと、占領が大きな意味を持ちます。知らず知らずコサックスのプレイが影響していたのか、三國志製作でも、どうも土地の占領に違和感を覚えるようになっていたようです(^^;つまり、育てた自国の土地だけに価値があり、他の土地は破壊つくすだけ、という感覚です。こういう感覚からは、なぜ全国を統一しなきゃならないのかという気になりますね(^^;Aコサックスのプレイでは、最終自国以外は荒野に戻りますし…(^^;
コサックスでの、栄えている敵地をひたすら破壊してまわるプレイを続けていると、土地の価値が非常に下がります(^^;建物を破壊しつくした後はどこにでもある平地だったりするので、そこを守る意味はありません。なぜ攻めるのか、それはそこに強大な敵がいるからです。しかも、敵地にせよ自国にせよ、分散せずに集中しています。数か国あれば別ですが、そうであったとしてもある一か国としては集中しています。
私のコサックスの初期の頃のプレイスタイルでは、敵地に攻め込むために拠点を点々とつくる感じでした。おかげでその拠点が狙われて防御が大変でした(^^;どちらかというと三國志風なスタイルでコサックスをプレイしていたという感じです。当時のその拠点は建物もある本格的な街スタイルだったので、狙われると大損害です。現在も防御拠点を設定していますが、隘路や高地などに軍団だけを駐屯させる防御拠点でしかありません。
これに対し三國志のようなタイプのゲームでは、都市は守るべきものであり、攻めとる価値あるものです。また、拠点でもあり、その先の街を目指した新たな展開をもたらすことにもなります。こういう風に、攻め落とした都市も後々味方の拠点とするため、徹底的に破壊したりはしません。そんなことをするのは曹操や馬超が怒り狂ってやったり、董卓のように自ら破壊したりするくらいで、普段の戦闘ではそんなに無茶な破壊をして一から再建、ということにはなりません。どうもコサックスのイメージが強いのか、三國志製作においても、攻め落とした都市を破壊しつくして一から再建するような感覚で設計していました(^^;A違いますね、もとからある都市社会はそうそう簡単にお互いつぶさないはずです。
戦争で徹底的に破壊される都市であるならば、都市ごとの個性といっても一度の敗戦で完膚無きまでに破壊されてしまうので、個性があっても意味がない、というイメージになります。ところがそうではなく、都市自体は敗戦で破壊や混乱は起きるものの、個性を喪失するくらいの破壊は行われない、とするならば、都市の個性には意味があります。逆に、都市は戦争や内政など、為政者のコマンドでは変わり得ない個性を持っているべきです。そうすることで、ようやくあの城を落とす!意味が出てきます(^O^)
SWGでもそうでしたが、どうもエリア方式のくせにエリアに個性がない…SWGはもともと無個性を目指していたからともかく、三國志においてもエリアたる都市に個性がないのは考えものです。挙げ句の果てに、そんな個性のない都市を落としても落とす意味があるのか→そんなつまらない戦闘に意味があるのか→その繰り返したる天下統一は本当の目的なのか、おもしろいゲームなのか、という論理になっていったようです。そうかあ、無個性のイメージはコサックスだったんですね(*_*)確かに徹底的に破壊しつくし、何も残らない中、一から再建するイメージならば、都市の個性は都市によって生じるのではなく、内政や地形などにしかよらなくなってしまいますね。その内政を複雑にせず、地形を考慮しないならば、もはや都市の個性などなくなります。
こう考えていくと、シミュレーションの土台としての土地の意味が変わります。都市はコマンドによって変わる部分もあり、変わらぬ部分もあり、それぞれ同じではないのです。地勢的に攻められやすい開けた場所や、そこを通らないと先にいけない拠点や、そういう意味での個性だけではなく、パラメータによって変わるものでもあります。それぞれの都市の意味、それも考慮に入れていけば、見知らぬ土地をめざす魅力がわきます。かといって、中原を抑えた曹操があえて蜀や江南の地にこだわらなかったのもわかる気がします。中原の覇者である曹操にとって、無理に攻める必要がなかったのでしょう。放っておいても力の差が開くばかりであるのだから、とりあえず中原における自らの力を確実にしたかったのでしょう。
ということで、これまで検討していた、国力、というパラメータとは別に、都市としての個性を際立たせるパラメータを考案したいと思います……(^^;
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