kr_ryo 徒然日誌 <2004年7月4日分>

三國志製作記65〜再びゲーム・プレイとシミュレーションの狭間〜

いやあ暑い!(^^;;皆様クーラーがんがんの頃でしょうか?早くも泳ぎに出かけられてるでしょうか?こちらは部屋の温度が再び36度です。25度を超えたら熱帯夜なんて誰が決めたんでしょう?25度なんて寒くて寒くて…(^^;A

さて、以前から何度か触れたことのある、武将の能力が表示されないことが特徴のファミコンゲーム「不如帰」について、ルウムさんからいただいた情報をもとに、各種サイト等確認しました(^^;いやあ、発売後15年以上経っても2ちゃんねるで話題になるゲーム、すさまじい…(@_@)詳細はこちらへ。

★2ちゃんねる「不如帰を語ろうぜ」

★Masakaの部屋(ゲーム解説・全武将解説)

★Hototogisu工房(偽不如帰プロジェクト・NET対戦作成中)

★幻の不如帰(全武将顔グラ収集・データ解析)

★不如帰茶屋(不如帰者達の憩いの場)

私自身はプレイしたことはないんですが(それどころか、ファミコンもスーファミもメガドラもPSもPS2も持ったことがない!(^^;Aいや、借りたことすらない(^^;;;これはこれで珍しいかも…?)上のサイトをご覧いただけば何のことかひじょーによくわかりました(^^;;というよりも、全然ファミコンも持っておらず、プレイしたことがない人間ですら聞いたことがある、しかもいまだに現役でプレイされていたりする、それ自体がすごい(@_@)それにしてもいやー、2ちゃんねる、はじめてまともに見ましたが、圧倒されましたね〜(@_@)さすがに一気に読みきれませんが玉石混淆、歴史も感じられて面白かった!(^^;A

さて、上の「幻の不如帰」サイトで「不如帰」原作者の岡野さんのメールが掲載されています。その中で考えさせられる一文が。『当時の同ジャンルのゲームはそのほとんどが、歴史上の物理的基礎要素の探求とその再現に重点をおいたデザイン思想を主流とした"時代のメカニズムを提供する"というもので、そのメカニズムを駆使する快楽が中枢であったようですが、「不如帰」では、メカニズムを出来る限り後ろに控えさせ、その結果の連続性に意味を持たせるという手法によるゲーム性の違いを感じます。』

がびーん( ̄□ ̄;)いやあ、この文章には衝撃を受けましたねえ〜(@_@)皆様もよろしければ原文を一度ごらんください。実は岡野さんのいう前者、「時代のメカニズムを提供する」ゲームについてはまさにこれまで私も縷々述べてきた「シミュレーション」ゲームそのものをさします。いかに精緻に、舞台や状況を史実通りに再現できるか。史実通りの状況から史実通りのプレイを行えば史実通りの結果となるゲーム。また、そこから逸脱することによりはじめて歴史のifを表現できる…その発想こそシミュレーションゲームの面白さの原点だと思っていました。

しかし、そうではないと。後者、「不如帰」でとられた思想についての表現では実は私にもよくわからない部分がありますが(T-T)明らかに違っている、よう、です(*_*)

私もまた誤解を恐れずに言いますと(^^;A「時代のメカニズムを提供する」ゲーム=メカニズムを駆使する=歴史状況そのものを見て感じて楽しむ≒リアルな歴史博物館体験、ではないか、と。これに対し、「不如帰」=歴史ドラマの主人公としてドラマティックな流れを創り出すゲーム=一個の人格が判断、決断したその状況とその瞬間の存在こそが大事あり、そこに焦点を当てたゲーム≒与えられた歴史状況で歴史上の人物を演じるゲーム、なのではないか、と。キャラを演じるゲームといえばロールプレイングゲームがありますね。ボードゲームの時代にシミュレーションゲームからロールプレイングゲームが派生し、シミュレーションゲームはますます精緻に歴史状況を再現することになり、ほとんど歴史状況からの逸脱ができなくなるにいたります。ロールプレイングゲームはますます個性の表現が詳細になり、性格や能力が数値化詳細化され、その上経験値システムが本末転倒化して、(必ずしも望まない)戦闘を繰り返すことによる経験値上げゲームと化していきます。

歴史状況に縛られて硬直化したボードシミュレーションゲームは衰退していきます。どれだけリアルであっても、歴史博物館が意図したとおりのプレイにしかならなければ、何のためにプレイしているのかわからなくなります。ちょうど経験値上げロールプレイングゲームが、何のために戦い続けているのかわからなくなるのと同じように、です。ロールプレイングゲームも、制作者が意図した物語どおりに進行します。紆余曲折も予定されています。もちろん、物語の上を歩むことは最初から想定されています。それを強引な展開なしに、いかに自然に、プレイヤー自体が決断したかのように進められる物語は、実は何度もプレイされることになる名作ロールプレイングゲームなのでしょう。おっと、ロールプレイングゲームの話ではなかったですね(^^;A

「不如帰」が目指したのは、当初のロールプレイングゲームのように、また、シミュレーションゲームがかつてそうであったように、プレイヤーが大名個人として、その状況で取りうる戦略や作戦、だけ(些細な内容は行わないで、という意味)を実行できるようなゲームであることを目指しているのだと思います。むむ、私の表現もよくわからなくなってきましたね(^^;A要するに、歴史状況や歴史内容を重視するのでなく、プレイヤーの意図やプレイヤーの行動結果を重視するということです。むむむ、なるほど、岡野さんの文章でわかりにくかったのは、内容そのものが難しいということですね(@_@)しかし、これもまた「シミュレーション」ゲームか、シミュレーション「ゲーム」なのか、という同じことを意味しているのだと思います。

フライトシミュレーションやら電車でGo!やらは、状況や乗り物を精緻に表現できればできる程リアルで面白くなるとは思います。しかしきっと、飛行計画やら運行表どおりに操縦運転することも求められているでしょう。逸脱しても楽しいのかもしれませんが、実際の操縦士運転士同様決められた通りに結果を出すことに意義がありましょう。それぞれ癖もあるでしょうが、乗客が気持ち悪くなるような操縦運転はしない、といった共通事項もあるはずです。うまい人は誰がやっても実は似たような結果になるとして、そうであったとしても、ほとんどオートパイロットのこの手のゲームはちっとも面白くないでしょう(^^;A

歴史シミュレーションゲームが歴史という運行表にそって動くゲームだとすれば、こないだ書きましたように誰も天下統一をできなかった三國志という時代ではゲームは成立しません。しかも、歴史性を重視すればするほど、シミュレーション性を重視すればするほど、歴史から逸脱することが興ざめの原因となります。歴史博物館で展示内容を勝手に変えれば、おかしい、と思うのと同じように、です。だからといって、ほとんど選択の余地のないゲームは、ゲームたりえません(^^;Aそれでも制作者の意図どおりに動かそうとするゲームは枚挙に暇はないですね…(--;

ただ、歴史性を無視してゲームと割り切るシミュレーションゲームも、それはそれでおもしろくありません。飛行計画に沿わなくてもよいフライトシミュレーション、何時に駅についてもよいトレインシミュレーションみたいなものです。最初の何回か、ならともかく、そればっかりではちっともおもしろくありません。天下統一が目的だからと、どの英雄でも同じ程度に天下統一が可能になってしまえば、これまたおもしろくないのです。少なくとも、信長だから天下を統一してもおかしくはないですが、阿蘇惟将が簡単に武力で天下を統一してしまうことは歴史から逸脱しすぎです。こうであれば楽しくありません。信長の野望全国版でも不如帰でも、この辺の弱小武将プレイはシビアです。1ターン持たない場合もありました(^^;A最近のkoeiのゲームは1ターンで終わるような超弱小プレイはないようになってますね…

このように、不如帰で取られているのは、歴史の結果を求めるのでも、歴史や歴史の流れを感じるのでもなく、かといってただ勝利だけをめざすのでもなく、歴史を舞台に、プレイの過程、状況やプレイヤーに迫る決断、そしてその積み重ねを体感できるゲームであるのだと思います。先例(歴史)をたどるのではなく、その人物なら、私がその人物だったなら、どうするのか、と常にシステムに突きつけられるゲーム、そうであるからこそ、何度も何度もプレイしたくなるゲームなのかもしれません。

歴史も舞台設定も持たなかったSWGの製作者たる私が、三國志となると突然歴史歴史ゝゝと歴史にこだわるのもおかしな気もします(^^;Aそれでもこと細かな内政実施、これまたこと細かな訓練やら装備やらの軍備実施なんかは、歴史状況を体験するにしても、プレイヤーの思いを実現するにしても、やはり不要な気がします……ちょうど魔王を倒すには経験値が必要だとばかり、ひたすら経験値稼ぎ戦闘を繰り返すのと同様、本末転倒なのだと(--;

不如帰が現在でもプレイされ続けているのは、歴史で定められた状況にはあるものの歴史を体感しうるほど歴史要素は露出せず、コマンドの細かさがパラメータの操作ではなく他の大名等に対するものの細かさに向けられ、しかもプレイヤーの大名としての行動結果は消えるのでなく後々まで影響する設定であることも大きいと思います。コマンドひとつにしても、一過性だったり単なる数値上げなだけでなく、及ぼす範囲は場合によっては後々まで影響する、そういうバランスを持っているゲームだと。

さて、ここまで検討してこれをどうやって三國志製作に生かすか?(^^;Aまず、歴史にこだわりすぎるのはよろしくない。歴史状況の再現も、自然にできるならともかく無理に行うべきではないでしょう。だいたいどんなゲームでも歴史通りに進行することはまれですね(^^;A偶然同じ状況に至るとかえって感動したりします(^o^)

さらには歴史の体感のための要素も廃して良いかもしれません。少なくとも、歴史を体感させるためだけに余計な手順をコマンドで求めるのであれば、不要にすべきでしょう。すべてがすべてシミュレーションできるわけではありません。できるところだけでも…とは「時代のメカニズムを提供する」ゲームとしては求めていきたいともいえますが、それがなんらプレイヤーの決断を求めることに寄与しないのであれば、切るべきかもしれません。

「時代のメカニズムを提供する」ゲームは一方で、プレイヤーが時代の状況に応じて段取りを決めてパズルを解くように攻略するゲームともいえます。これに対し、コサックスにせよ不如帰にせよ、時代の、そして他の相手が刻々と変えていく状況がプレイヤーに次々と決断を求めるゲームであるとも言えます。必ずしも自分に都合よく進みません。敵は次々に勢力を広げ、プレイヤーにも挑戦してきます。優位になるまで気を抜けず、優位に立っても隙あらば襲いかかってくる、その間に新たな敵も現れる…そこまではいかないでしょうが(^^;;敵も我が国の発展を指をくわえてだまって見てはいない、露骨に攻撃を加えてくる方がおもしろいでしょう。露骨な攻撃でなくとも、お互いが小競り合いできる、という方法も、単にパズルを解くだけ、敵より豊かになり、敵より多い兵を養い、頃合いを見て攻めかかる、という一本調子のワンパターンを防ぎます。というより、そちらの方が本来現実的ですね(^^;本格的に攻撃はしないが、小競り合い、領土の蚕食というやつです。

こう考えていくと、最善の手順はじっくりゆっくり富国強兵をはかって漁夫の利を得る、というのは、作られた勝利手順なのかもしれません。つまり、本格的戦闘程度しか有効な攻撃を与えられないとすれば、相対的に力の差を生じさせておけば本格的戦闘は起きません。さらに内政すればするほど差は開き、我が国には負けるおそれがなくなるのです。本格的戦闘意外に小規模であっても有効な打撃方法があれば、嫌がらせをかけて我が国の発展を阻害させれます。そうすれば、簡単には力の差が生じません。これがどうもゲームでは、なぜか最も成功しにくいのが計略による他国の内政妨害だったりしますので(--;この点のバランスを考えた方がよいですね。さんざん嫌がらせをかけてくる他国に業を煮やして攻め込む、それを待ち構えていた敵に散々に打ち負かされ…なんで負けてばっかりなんでしょうか?(^^;A

さらにコマンド体系も簡素に、と、こう書くと、なぜか使わない武将が大量に…と思いがいってしまいます(^^;;不如帰では武将は6人までしか増やせません。この辺がバランスでもあり、ゲームでもあり、思想なんでしょうが…SWGの艦艇生産制限ににていません?(^^;Aまたも検討は続きますが、もしかすると三國志、というこだわりでゲームを作らない方がよいのかもしれませんね…(--;)

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