kr_ryo 徒然日誌 <2005年2月27日分>

三國志製作記92〜勢力の野望〜

いやあ、すっかり久しぶりの製作記、2月は逃げるといいますが、はじまったかと思ったとたん、あっと言う間に月末です。恐怖の国民病花粉症が……( ̄π ̄)と思っていたら、この間強烈に寒くなったり雨が降り続いたり、曇ったりしてそうひどくありません(^O^)さあ、3月は一気に来るのか…(TдT)

さてさて久しぶりの製作記(^^;;、前回月初め、…ってえらい前のことのような気がしますが(^^;;検討していたのは、人間集団を派閥と捉え、派閥の中でも自ら最終的に差配する者が長である派閥を勢力と考えようということでした。こうすることで、単に勢力の長がいて、その下に大量に同格武将が並ぶ、という、始皇帝風皇帝思想ならともかく実際にはあまりありえないゲーム的な状況を回避できます。

そう考えていくと、この手のシミュレーションゲームって、自勢力内の登場武将はすべて動かすことができるんですよね……かつて光栄の名作三國志1が初めて登場した時は、信長の野望全国版と異なり、登場武将がいっぱいいる!動かせる!というのがとてつもなく新鮮でした。この基本ルールはkoeiの今のゲームに至るまで変更されていません。命令内容や支配するのは城か土地かは変遷しましたが、勢力内の武将は全員命令対象になるのです。そして、全員動かせる=動かさないと動かない、ということが、武将余り現象の原因になり、初期の武将足らず状態の原因でもあるんでしょう。まさに皇帝思想の体現です。

もちろん官僚制度の例をひくまでもなく、1人で何十人何百人も直属で動かすのは極めてしんどい話でして、同格の中にも先輩後輩、ベテラン新人、主担副担リーダーサブリーダー……と序列ができあがります。要するに、1人でリーダー足り得るだけの能力がある人物は諸葛亮か曹操くらいなもんで──曹操は明らかに優秀な人材がいないともたないと理解していましたが、諸葛亮は他人に不信感を持っていたのか、本当に無能者ばかりだったのか、自分で何もかも決めようとしましたが──たいていの場合、1人のリーダーが把握できるのは数人から多くて十数人、そしてその者がさらに下の数人から十数人を率い、さらにその下の者が…というように、ピラミッド構造を作ります。

その意味で、派閥といいながら、それは結局長と構成員という形のチームであって、その組み合わせで組織が成立します。官僚組織も派閥も作るつもりがなくとも、単なる群衆でなければ、いつの間にかどちらかができあがるのです。そうでなければまとまりません。

こういう人間組織分析から敷衍するに、ゲームにおいても君主1人が把握できる部下はそれ程多くない、ということが導かれます。もちろん、勢力全体を導く、というゲームスタイルもありえます。というより面白ければなんでもありなのですが(^^;その場合、プレイヤーは君主ではないのです。どちらかというと君主や各武将の個々人を超えた、総体なのです。勢力そのものとでもいいましょうか、個々人の自我意識を統合した存在、組織そのものですね。だからこそ、三国動乱の作者さんのいうプレイヤーは君主といいながら軍師をやっているという指摘は、軍師が組織全体の意識を包含する存在であるならば、当たっているのです。諸葛亮であるならまさに実際にそうしようとしていたのでしょうね。もちろん曹操や後期までの劉備のように君主兼軍師であれば、君主は勢力そのものなのです。で、劉備のように忠誠の対象としての君主ならともかく、軍師としてはイマイチな場合、劉備の器量までしか勢力が広がらない(^^;

もちろんほとんどの君主は曹操ではありません。そこに、優れた軍師、考えることだけに特化した人物がいれば勢力は拡大します。これは、手足が各文官武官、頭が参謀や軍師、心が君主という関係なんでしょうねえ。諸葛亮や水滸伝の呉用などは、頭として、実際に勢力そのものをその頭脳に入れていたのでしょう。そんな諸葛亮にとっては、言うことをきかない魏延なんてガン細胞だったのかもしれません(~_~;)

結局ゲームにおいては、プレイヤーは、君主ではなく、ましてや登場する軍師でもなく、諸葛亮が把握しようとしたような勢力そのものを体現しているのでしょう。代替わりしても武将が入れ代わっても、勢力そのものは滅亡するまで同一性がなぜか保たれますし。その意味では、システムソフトの天下統一のように、○○家、というのが一番ゲーム的に正しい表現でしょうね。プレイヤーは決して君主でも軍師でもないのです。○○家そのものなのです。

それを無理に君主を中心としたコマンド体系にするからなんだか意識と実体がかみ合わなくなります。太守や軍団長とかいった身分別コマンド体系にしたとしても、もともとプレイヤーはそんな狭い範囲を表しているのではないのですから、単なる通過点にすぎません。下克上のように、下位派閥たるプレイヤー武将がそのうち上位勢力を喰ってしまって、勢力そのもの=君主とならなければ済まなくなります。そして勢力そのものは他の勢力の存在を認めず、天下統一を目指します。一武将の支配から、城の支配、勢力の支配、全土の支配へと、自我拡大がこの手のゲームのプレイ動機なんでしょう(^^;

もし武将が登場せず、または単なるコマであるならば、矛盾も感じずにプレイヤーは勢力を演じることになるのでしょう。システム的には天下統一や英雄三國志がそうなんでしょう。すべてを支配差配しようとした信長がそうであったように、信長の野望や天下統一ならばそのシステムで十分なんでしょうね。日本の戦国時代はまともに自意識があるのは信長や信玄などの少数の君主と明智光秀(もしかすると秀吉や黒田官兵衞も?)くらいだったんでしょう。後は周囲に反応しているだけといえば言い過ぎでしょうか?(^^;;

けれども各武将の個性が著しく大きい三國志では、武将が登場しないのは論外で、コマ的であっても当然個性が死んでしまいます。日本の戦国時代ならばともかく、各武将が自己主張する三國志では、プレイヤーが勢力そのものを体現しようとすると、各武将の個性が死ぬのです。諸葛亮治下の蜀で目立った存在がいなくなるのも当然です。頭は諸葛亮だけ、後は単なる手足で、早く正確に実行すればよく、長安奇襲なんて言ってはだめなんです(^^;曹操はその点、各武将の個性を大事にしていました。それを入れる度量があった、というと、諸葛亮に酷ですが(^^;;諸葛亮はあくまで軍師、彼を入れる度量があった劉備の下であったからよかったのであり、単なる飾りだった劉禅の下では……(^^;;;

と、考えると、信長の野望が信長プレイが最もすわりがいいのと同様に、三國志では、曹操プレイがもっともすわりがいいのでしょう。信長の野望では信長のごとく、秀吉や光秀をつかってすべてを支配しようとする、三國志では各軍師や武将をつかって、曹操がすべてを差配しようとする。この、勢力と君主の意識がほぼ同じである状態が、ゲームのプレイスタイルと実は最もあっています。

で、あるか、らこそ(^^;;他の三下君主プレイでも突然その三下君主が曹操並にすべてを支配した行動をとれるんでしょうし、天下を狙えたりします。しかし、いろんなことに目が届き、いろんな命令を出せれ、いろんな人を知っている、こういったことは神か諸葛亮か曹操のような人物だからこそ得られた事項である可能性があります。つまり、三下の集まった勢力であれば、勢力そのものを体現しようと、何もわからず何も命令できず、誰がいるのか知らないはずなのです。それは三下君主はもちろん、三下武将全員を集めても同じであり……そういう状況なのにすべてを知ってすべてを差配できるプレイヤーは、その勢力の中の君主でも軍師でも武将でもなく、神かもしれません(^^;だからこそなんだか実感がわかないし、三下君主プレイは難易度が多少上がるだけで、そのうち結局誰であっても同じ、ということになります。

要するにプレイヤーが勢力そのものを体現しているとしても、その勢力の構成員が君主以下無能ばっかりなのに曹操や諸葛亮のごとくすべてを知りすべてを命令できるとするのは、そういうゲームであるから、ということに行き着くのです。さて、この状況は、ゲームとはいえ、一体何をシミュレーションしているのでしょうか?勢力そのものをシミュレーションしていません。どの勢力でも同じ情報も命令ということは、実はそれらが過剰なのです。当然君主や軍師ですらありません。つまり……つまり、シミュレーションゲームといいながら、単なるパズルか陣取りゲームであって、何もシミュレーションしていないのです。信長の野望全国版はパズルのような気がしましたが、その後継も下手すればパズルです。そこまでいかなくとも、舞台が違うだけで、実は陣取りゲームの亜種といえば言い過ぎでしょうか?(~_~;)

シミュレーションゲームという以上、何かをシミュレーションしなければいけません。それぞれの状況は当然違いますし、命令も情報も内容も状況によって違えなければおかしい。シミュレーションゲームから派生したロールプレイングゲームが個人の冒険をシミュレーションしているように、もちろんシミュレーションゲームも勢力の天下統一をシミュレーションするとしてよいのです。その場合、プレイヤーが体現するのは個々人を超えた存在であるので、各武将もコマにすぎません。そのため命令も、開墾だとか酒宴だとか細かいものはいりません。攻めるか内政か外交か、そんな大まかな話だけです。

そして、信長がそうであったため信長の野望だとか、戦術級…バルジ上陸大作戦だとか、アラモ砦の戦いだとか…のゲームだとかでは、それでも個々の武将や部隊などの個性は(もともと少ないから)十分発揮できるのです。しかし、もちろん三國志ではそうはいきません。勢力の勝利を目指すにしても、武将が全然登場しなければゲームとしてまったくおもしろくありません。信長の野望全国版が君主だけ登場していたのに対し、三國志で君主だけが登場していたら、全然売れなかったでしょうね(^^;;今の信長の野望だって、武将が登場しなくなったらもちろん売れないでしょう(^^;;;ただ、絵がきれいだろうが、もともと武将の個性が君主に比べそんなにないため、武将の能力の違いだけでそれで十分個性が表れていたりします。すごい話ですが(^^;

ところで、勢力そのものを表現するにしても、条件はどの勢力も異なります。奥州の勢力は中央の情報を知らなかったりしますし、幽州の勢力は異民族と隣り合わせの危険があります。そういう状況の違いだけでなく、優秀な軍師諜報役がいなければ、天下のことすら正しい情報なんてわかりません。そしてもちろん、自勢力の状態すらわからないのです。自軍を過信することもあれば、敵を過小評価することもあります。敵を知り己を知れば…の本場の世界なのです。当然、勢力の構成員によって、勢力ごと情報の量やらできることが違っていてもいいはずです。まさにそれが個性です。

そして、天下の奇才豪傑が集っていたとしても、組織勢力として生き残れない場合があります。構成員の長、君主がろくでもない場合です。袁紹にせよ呂布にせよ、組織全体の疲労以上に、最後は君主がろくでもなくなることで滅亡します。君主さえしっかりしていれば、劉備のように組織がろくでもなくても生き残れます。これは三國志だけでなく、信長もそうであって、信長がも少し敵対者にも味方にも優しければ、生き残っていたでしょうね。けれども、大きくなるまでに滅亡していたかもしれませんが(^^;

そうこう考えると、やっぱり自立した君主の役割は最も重要です。勢力を演じているとはいえ、やはりそれは君主であることが多いのです。ところが、勢力を演じているのであれば、本来、コマンドは武将への命令伝達だけではなく、実は、命令のあるなしにかかわらず、武将自体の意志行動も表しているのです。命令を与える君主+命令を受けて実行する武将、それら全部を体現しているのです。君主がろくてもなく何もしないとしても、命令を受けないまま、武将が勝手に開墾したり、掠奪をしなかったり、戦争したりもしているかもしれません。その場合、君主の意向ではなく、組織勢力そのものを体現するプレイヤー様の意志が武将を通じて表れているのです(^^;;;プレイヤー様が意志すれば、コマンドを通じて、武将が自分でそうしたくなるのです(^^;;

そういう擬制をしていれば、三下君主であってもなぜか天下統一できることはありえます。とりあえずシミュレーションゲームが破綻していないのはそのためでしょう。しかし、三下君主でプレイすればするほど、なぜこいつが天下統一できるのか不思議な気がしてきます(^^;;そして、三下君主であるはずの君主や勢力と、プレイしているプレイヤーの意志が乖離しだして、そのうちつまらなくなってくるのです。要するに、誰でやっても同じじゃん!と思ってしまうのです(--;

三下君主勢力のくせに、情報は豊富、誰もがちゃんと命令を遂行する、させえる、という状況がすでにシミュレーションしていない(^^;いくら勢力を体現しているといえども、その勢力ができたはずのこと以上にプレイヤー様ができてはいけないのです(^^;もちろん逆に、君主勢力がすさまじく優れていれば、プレイヤー様が思っている以上に情報も上がってきたり、命令も勝手に遂行されたりします。ところが現今のゲームでは、情報はどの勢力であっても収集する意図以上にものすごくあり、逆に命令は事細かいことまで指示してやらないといけないことになっています。当然、敵も己も知っているので、ちゃんと命令すればどんな三下君主でも百戦危うからず、天下統一はできるのです。

……しかし、三下君主の三下勢力なら、得られる情報も少ないと思いませんか?(^^;それだけでなく、三下君主はできることも少ないと思いませんか?(^^;;もちろんそうすると非常に難しくなるはずです。生き残ることすら無理かもしれません。けれども、それこそがシミュレーションゲームのような気がします。どの勢力あっても同じように色々情報があり、命令が出せる、違いは最初にどこの土地で誰が配下か、という位で、そのうちどの土地もどの武将も味方に引き入れられるんだから、結局誰でやっても同じ、というのでは、きちんとシミュレーションゲームしていません(^^;;

派閥の話からずいぶん逸れました(^^;;話を戻しましょう。結局、君主はその器量に応じた武将しか得られないだけでなく、命令もできない、というのが自然です。どんな優れた武将でも、君主に遠ざけられることはあります。結局君主も命令するのが楽な配下にしか命令しないんですよ。それは、古くからいたりだとか、よく知っている奴だとか、優秀(と思っている)でよく人の話を聞いてくれる(と思っている)奴だとかです。名も知らない末端武将には、自分の勢力にいたとしても命令しえません。どんな奴か知らないんですから…!それなのに自勢力の全部の武将を知っていて命令できる、というのはすごいことです。ましてや一から十まで全部自分で指示するなんて諸葛亮並です(^^;;ほとんどの君主はそんなことしません。やっといて!で終わりでしょう(^^;;;

そして、その君主の側にいる武将を中心に派閥ができるのです。とりあえず仕事にありつくにしても、手柄を立てるにしても、君主の側によられなきゃ、君主の側によっている奴に近づかなければ仕方がないのです。これが自然発生的な派閥です。曹操のようにものすごく多くの配下のことをわかっていれば、派閥はできづらいでしょう。たいてい直属するんですから。ここで話がつながりましたね(^^;;三下君主の場合、情報どころか、部下の名前すら知らないのです!いないんじゃなく、君主が知らないのです!そうやって埋もれて殉死した優れた武将もいたでしょうに、名前すら残りません。名前が残らないから、英雄君主の中途半端配下よりも優れた武将がたくさんいたかもしれないのに、英雄君主配下武将ばかり登場します。困ったもんですがこれが歴史です(^^;;

だから無名武将登場…という話になるんでしょうが(^^;;それ以前に、君主が把握できる範囲は実は限定されているということが先です。限定されている、というより、器量によって限界がある、と言う方が正確ですね。そして、当然よく知った少数の側近配下にだけ命令できることになります。その内容はどんなものでしょうか。さあ、その検討は…次回明らかになります!(^^;;;

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