はや11月も最後の週を迎えました。そんな折り、届いたのはDelphi2006へのバージョンアップのお知らせ!(@_@)
そういえば、去年Delphi7を買って早々、Delphi2005バージョンアップのお知らせが届きましたが、はや1年でもうバージョンアップです。マイクロソフトなんのそのの早さ!それにしても要求スペックはとんでもなく高く、ハードディスク以外は我がVAIOではもう追いつきません(*_*)前回のDelphi2005では、とりあえずメモリさえ192メガから256メガにすればなんとかなったんですけど、今回はCPUがPentium!!!1.3Ghz以上です。我がVAIOはPentium!!!ながら600MHz、倍以上、ですか。ハードディスクもギガを要求し、メモリは512メガ以上。こないだ買ったオヤジパソコンなら余裕なんですけどね〜(^^;;それにしてもいったい何にこんなマシンパワーを使っているんでしょう?
値段も7万円代から8万円代にパワーアップ!その代わり、Delphiだけでなく、Delphi.NETにC#だったのが、とうとうC++まで統合されました……って、C++かい!(*_*)定評あるBorlandのJavaでないんですね。最近のJavaは無料ソフトでなんでもできちゃうことから、あえて外した感じはします。撤退でしょうか?それにしてもC++です。.netでは売れんのでしょうね。マイクロソフトもVBユーザーを.NETに移行させるのが難しいようです。だいたいネット関係ソフトならJavaの方がはるかに優れていて、マシンも問わないわけですから、あえて.netなんぞで開発する必然性がないんです。そのうえ、実行速度や表現力からすれば、ネット上で使わないソフトにまでJavaや.net技術を利用すると不利になるわけでして、そうなると昔ながらのC++、ということになったんでしょうね。こんなところからも、ネットはJava、単体アプリはC++はじめWin32APIという図式が見えてきます。私も、VAIOで動かないDelphi2006よりも、動くDelphi7を買っておいてよかった、と思う今日この頃です(^^;;
さてさて、オブジェクト指向さえ学んでいればJavaだろうがC++だろうがDelphiだろうが方言の違い程度で発想まで違わない、しかもデザパタで大量生産が楽になる、というところで、はたと止まるのがいつもの三國志製作(--;)過去の徒然日誌をご覧いただければ一目瞭然、この三國志製作で困っているのは、プログラム上の表現と、三国時代の表現、これです。
三国時代どころか後漢ですら、古代帝国衰退の時代でした。バブルの頂点から以後は失われた10年、衰退の時代ということをイメージしていただければこれと同じでして、前漢武帝の時代を頂点に、だんだん古代帝国のよさが失われていったわけです。そもそも黄巾の乱なんて起こっているのは後漢の統治の腐敗と混乱のせいでして、最初からそれ程いい時代ではありません。むしろ悪い時代からスタートしています。けれども、だからといって戦乱の時代がそれよりよいか、というと、そんなわけはないわけです。そう考えると、だんだん悪くなっていっている、という時代でした。
悪い状態ながら、それでも一番ましで、時期を追うごとに悪くなっていく、そんな状況であれば、単に内政すれば生産力が上がる、というシステムは非常におかしいわけです(^^;;これで言いたいこと、明言していないことはおわかりいただけると思いますが(^^;;;A皆さまおなじみのシステムは、統治者が何かやっていればよくなる、という非常に楽観的なシステムなのです。政府が何かすればよくなる、というのは、今やすっかり地に落ちて、民営化民営化が叫ばれているのと同様、張飛でも曹豹でも、何でもいいからお金をかけて内政ボタンを押せば生産力が上がるというのは、やっぱりおかしいと思うのです。
悪政で混乱したとはいいつつ、戦乱で荒廃するよりはまだましだったかもしれません。それでも劉備が思ったのは、腐敗した宦官を一掃すれば、昔のよい統治が戻る、ということでした。ところが腐敗した宦官の後には腐敗した董卓、腐敗した?曹操が現れ、こういった君側の奸を除くためにひたすら戦うことを選びます。曹操は曹操で、自ら政権を握ったら、腐敗した宦官の収奪政治よりはましになったとはいえ、単なる地方政権である呉や蜀を倒すだけの余力を生み出すまでには至りません。自らの領域の統治で手一杯だったのでしょう。
たとえば諸葛亮なき後の蜀。いくら諸葛亮が優れていても、その死後はどうしようもありません。人材も草創期よりはるかに劣るうえ、国力を超えた出征で国力が蝕まれる小国。劉璋より暗愚、もしくは劉璋並だった劉禅なんてのをいただきながら、国の規模はその劉璋の領域並。それすら結局数十年も攻め滅ぼすことができなかったのが魏です。晋に代わったら晋に代わったで、三つ巴ですらなく7対3で有利な呉をこれまた数十年滅ぼすことができないのです。それだけ中国全体の国力が落ちていたんでしょう。黄巾の乱のような大規模な反乱もないような統治で、領内奥地では戦乱も免れていてさえ、この状態です。1年や2年、いい政治をしたからといって、ちょっとやそっとで国力が最大になる、なんてことはありえないと考えるべきです。
ところがゲームでは、お金をかけさえすれば生産力が上がり、上がったお金をまたかければまた生産力が上がる、という拡大再生産が基本です。まるで戦後日本のようですけど、そうであるなら晋は、統一もあっと言う間にできたはずで、いわんや、異民族にあっと言う間に倒されたりはしません。前漢以前から北方異民族の脅威にさらされてきた中国で、分裂国である魏ですら異民族に滅ぼされなかったのに、統一国である晋は内紛があったにせよ、あまりにも弱すぎます。すなわち、よい統治で統一できたわけでなく、どこもかしこもだんだん悪くなってきて、なし崩し的にもっと悪くなった方(呉)が勝手に倒れたと見るべきでしょうね。
後漢は貿易赤字国で経済もデフレ化していて、不景気だったようですから、公共投資しても今の我が国同様政府の支出が増えるばかりです。だからといって、賄賂など腐敗政治だったらもっと悪くなるわけでして、悪くなるところまで行き着かない限り持ち上がりません。そのしょっぱな辺りが三国時代です。つまり、内政すればよくなる、ということはないのです。
この手のゲームの基本である、内政して戦争して統一という流れは、もっと古代、戦国秦の時代のお話でしょう。おそらく、いくら政府が支出しても好景気になることはなく、むしろ、民に力を蓄えさせる、つまり、税を減らして小さな政府を目指すことの方がよかったはずです。三国が鼎立できるのもこの流れのためでしょう。そうであるならば、小さな政府、できるだけ余計なことはしない、けれども治安や訴訟など最低限の公平さのよりどころであることで済むのです。
あの曹操にせよ諸葛亮にせよ統一できなかったのに、ゲームだとあっさり統一できてしまうのは、ゲームでは大きな政府が有利なためです。ゲームと違って実態は、領土が広がれば広がるほど、政府が大きくなれば大きくなるほど、税収より官吏の給料や民への施しで歳出が増え、国力が落ちていったと考えられます。三国志が生き生きしているのも小地方政権の時代であって、大きくなればなるほど暗く、鈍くなっていきます。これはすなわち、大きくなれば大きくなるほど、歳入の延びより歳出の延びが増え、軽々と動けるだけの力がなくなっていった、贅肉が増えていくのみだと考えられるのです。
ここまで考えれば、我が三國志製作では、お気楽な内政コマンドを搭載できないと言ってもご理解いただけるでしょう(^^;;荒野を開拓して生産力を上げるという西部劇的発想ではいけないのです。むしろ、せっかく作った豊作の白菜を処分してしまい、最後には続けるよりやめた方がまし、というデフレ不景気的発想でないといけないのです。曹操は蜀も呉も攻められなかったこともありましょうが、攻めたくなかったとも考えられるのです。やっぱり東ドイツはお荷物だったというのと同じです。それでも、統一の大義があるから統一しようとした、けども、統一してみれば……!というような(^^;;それを見た韓国はなぜ太陽政策をとって北朝鮮を援助するのか、北朝鮮の政治的安定を望むのはなぜか、これも似ています(^^;;;
けども、大義です。統一の大義です。攻めれば攻めるほど生産力がアップして強くなるんではないのです。攻めれば攻めるほど、鶏肋が増え…あの漢中が鶏肋です。もひとつ人口密度の低い江南なんて本気でほしいとは思っていなかったかもしれません…贅肉が増え費用がかかり、一歩一歩弱りながら、それでも統一しようとする、それが三國志の本質です(*_*)なんて明るくないんでしょう。
黄巾の乱の頃、董卓の乱の頃、腐敗した政治を一掃すればよくなる、そう思って戦っていた劉備には夢がありました。その後、はるかに優れた曹操の政権の元でも一向によくならない。これでは曹操も悪い奴と思わないと夢が崩れるのです。そうやって最後まで明るく夢を持って戦ってきたのが劉備です。劉備は悪い奴さえ倒せば漢は復興すると思っていました。だからこそ分裂指向はなく、漢という統一国家の中の権力争いとしか考えていなかった、領土欲が少なかったというところでしょうか。統一国家という意識の下では、孫権にせよ曹操にせよ、一派閥というレベルでしか見てなかったはずです。
逆に孫権は、兄に評されたように分裂指向です。漢とは別政権を作ろうと考えていたわけで、統一の大義は自らの政権による統一です。そうでなければ独立して、別国家を建てようとする、当時としては実は最も先進的な考えです。なるほど、三国のうち最後まで残ったわけです(^^;;当然兄孫策は統一指向です。けれど、漢の復興というより、自らの政権を建てる勢いでしょう。その意味では兄弟とも先進独立指向です。
曹操は漢を簒奪するつもりがあったのかどうか微妙なところです。それにしても、少なくとも統一の大義には漢の朝廷を立てるのが最も効果的でしょう。そして、一応最も肥沃な中原を抑えたところで、統一どころか、領土が広がれば広がる程費用も手間もかかるわりに実入りが少ないという計算も立てたかもしれません。統一に向けて漢を利用する、最も肥沃な土地でもって最も効率的に政治を行うために簒奪する、どちらか選びかねたかもしれません。曹丕はあっさり禅譲を受けてしまいますが、やはり、もはや三国にわかれている実態に応じて統一より政権維持を計ったのでしょう。
それにしても統一の大義です。現代中国ですら統一の大義を掲げて中台戦争が起きかねない大義です。大義のためには戦争もOKです。それは三国時代でも同じです。大義のために戦争するんです。統一するとよくなるからではなく、大義があっての統一です。ま、その是非はともかくとして、分裂して適正規模で安定し、競争しながら統一をはかるという図式は今も昔も変わりません。とはいえ、分裂しても力を蓄える程度で、分裂した地方独自で急に生産力が上がったり好景気になるわけはありません。せいぜい、統一政権による悪政であまりにもひどい、という状態から、まあ、分裂政権で多少はましになった、という程度でしょう。
そういえば、戦争ばっかりしているはずなのに、三国志は権謀術数の代名詞のように言われます。だから、反三国志のように戦争ばっかり勝ってばっかりではおもしろくないだけでなく、この時代の特徴を無視しているんでしょう。権謀術数はむしろ、自立独立のために使われています。統一より独立です。もはや後漢朝は滅びたと見るか、後漢朝の内紛と見るか、自立して自己の勢力を拡大するか、クーデターとして一気に政権を奪取するか。孫権は前者、劉備は後者です。持久戦争と見るか決戦戦争と見るか、とも言い換えられます。
で、曹操のように、統一の大義を目指しつつ、分裂独立をせざるをえないとする立場もあります。単純に独立、単純にクーデターであれば、武力に訴えるだけで事は簡単ですけど、どちらともいえない、内紛でもあり独立でもあり、ということであれば、内紛として味方に引き入れ、独立として戦い、統一の大義を維持しつつも、かえって分裂に導く勢力拡大を、できるだけ分裂したことが明らかな戦争なしで達成しようとすれば、権謀術数になるんでしょうね。書いててほんとに複雑です(@_@)
話を戻すと、ゲームではほとんど白地図状態の最初の方のシナリオ。これだとまるでフロンティアのようです。ところがあわてて勢力を広げると、人手も金も兵も足りない。だからまずはじっくり内政をしないといけない、というわけですが、ちょっと内政したらすぐ余裕が出る、ということが後漢末らしくない、というわけです。ちょっと内政したら強くなって、独立政権としてやっていけるし周辺も切り取り放題、同じように強大化した周辺勢力と戦って、統一、というシステムでは、三国時代になりようがありません。どういうことか。つまり、これだと数の勝負、量の勝負でしかなく、なぜ鼎立してしまったかという状況のシミュレーションになりません。権謀術数どころか力の勝負で、隋唐や秦、モンゴルや明など、普通の統一国家創設と同じなのです。後漢末から統一を維持できず、三国時代になってしまった。それは、ちょっと内政したら多少余裕が出る、それで周辺に領土を広げるも、維持に手間がかかって実入りは少ない、それでもどんどん広げるも、やがて行き詰まる、そういう時代であると考えられるのです。
つまりですね、多少以上の内政でそこそこまともにはなるも、大きくよくはならない、そんなところばっかりということです。内政ぼろぼろの空白地ばかりで、で、そこに領土を広げても、いいとこそこそこレベルで、下手すればマイナスになる、という場所ばかり。質的拡大も面的拡大もどちらも効果がない、そうであれば、拠点を中心に守る程度で、大きく遠征することが非常に困難である、と。それで、たまに統一の大義のもとに遠征するも本気でないので大きく勝てず、戦争して領土を広げても実入りが少ないから、権謀術数でかすめ取ろうと考える、と。これが非常に実態に近い発想なのかもしれません。こういうつくりであれば、ゲーム上も三国時代を迎えられる、つまり、シミュレーションしている、というイメージなのではないでしょうか。
|index|
このページへのリンクはフリーです。