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平成十三年九月二十五日(火)

 先日ですね、何とか今年の仕事のノルマが折り返し地点を過ぎました。ええ、下訳が終わったのです。それでちょっとばかり一人で自分を褒めてあげようと思い、港へ出かけたのです。

 食事とビールを摂取しながらカラオケ屋さんをハシゴしました。ビールは一本五十バーツ、食事は三十バーツ、カラオケは一曲五バーツほどです。一気に二百バーツ近く使いました。おこづかい帳をつけていた先月には考えられないくらいの散財ぶりです。

 そして調子に乗って三軒目に入って二本目のビールを注文しました。するとお店の中にはどう見てもいわゆる白色人種属性をもった方が一人いらっしゃいました。彼の前腕には素敵に絵が描かれています。

 そこでわたくしは、坂本九、カラバオ、エリック・クラプトンと三曲オーダーしました。日泰英三カ国語攻撃です。自分の国籍はを主張し、さらにお店にいる誰をも疎外することなく楽しめるスペシャルコースです。

 このあたりに軒を連ねるカラオケ店のVCDラインナップは泰歌謡以外基本的にヘタレ切っていて、外国歌謡の選択肢は限られているのですが、その中からそのような曲をチョイスしてマルチリンガル的小ネタを効かせることができるのは、この港町広しといえどもプロの言語藝人(昨年収入五万九百八円)であるわたくししかいません。ええいないです多分。いないと言うことにしていただくわけにはいけないでしょうかここのところは。

 わたくしは立てつづけに三曲歌ったのですが、甚平を着た日本人の歌にオケ屋のお姉ちゃん達は大盛り上がりです。ええ大盛り上がりなのです。たとえ並盛程度の盛り上がりだったとしても大盛にしておいていただくわけにはいきませんでしょうかここのところは。

 しかし、私をのぞいて店内に一人だけの白色属性外国人は、クラプトンを聴いてもピクリともしません。泰歌謡が流れているときの態度とまったく変わらないのです。これではせっかくの日泰英三カ国語攻撃が全くの徒労に終わってしまったと言わざるを得ません。

 わたくしが歌い終わるとそのスキンヘッドで前腕に絵が描いてある外国人は私に話しかけてきました。


 露西亜人でした。

 しかも英語喋れません。

 白石昇一気に脱力です。

 それ故にかまったく会話が噛み合いません。当然わたくし、露語会話などできません。喋れるのはハラショータワラシチと、スパシーバくらいです。

 その露人男性は泰女性と来ていたのでその女性に通訳していただいた結果、彼は船乗りで今停留中だということがわかりました。

 彼は、俺は空手道をやっていて初段だ、とおっしゃいます。あらそうなのあたしもなのよ、とわたくしが答えると、うちのちっちゃい子供を日本に空手道留学させたいから住所をくれすぐくれ今くれ、とおっしゃいました。

 わたくしはとりあえずメールアドレスを渡しました。そしてそのかわりにわたくしの手にはオヤジのアドレスが残されました。





 当然露語です。読めません。


 そしてオヤジは外に出ていったまま帰ってこなくなりました。

 さすが世界を股にぶら下げ、港々に女がいる海の男です。甚平着た日本の藝人が三カ国語で歌おうが最初から最後まで自分のペースでわたくしを押し切ってくれやがりました。

 白石昇ヤラれっぱなしです。言語藝人として完敗です。どこにどんな属性を携えたお客様がわたくしを待ち受けていらっしゃるかわかりません。世界はまだまだ広いです。

 わたくしはこの経験をふまえて、翻訳の折り返し点くらいで一息ついていてはいかんな、と思いました。更に精進せねばなりません。






 いつかあの船乗りに心の底からスパシーバと言わせてやる日まで。

 で、ふと疑問に思ったのですが、彼と一緒にいた港の泰女性なのですが、彼と会話している言語が露語ではないのです。時折泰語や英語が混ざりますがまったくもってわたくしには理解できない言語でした。港の泰女性も奥が深いです。世界はまだまだ奥が深いと言うことなのでしょう。

 というより住み始めて一年以上経つのに未だにこの港町謎だらけです。

 でも地元の人たちから見て見れば、わたくしという存在もかなり大きな謎らしいんですけどね。

 彼からメールは来るのかなあ。来たら楽しいなあ。
  



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