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十年前

〜ten years before SELECTION〜

 今から遡ること10年前。

          ◆

 鑑賞すべきものの全くない研究所を、彼は歩いていた。
 見たところ、青年と少年、どちらが相応しいか悩む年齢か。
 黒髪に喪の色の服をまとい、怪しさの本仕上げにミラーシェードをつけている。
 彼の足は、ある一室の前で止まった。
 扉が開き、彼はすぐに部屋の中へと入った。

 彼は月岡等、永遠に年齢不詳のサイキックである。

 この部屋を訪れるのは2回目だった。
 以前来たときには、この部屋の持ち主に泣かれてしまった。
 あまり訪問するのは嬉しくなかったが、仕方がない。

 ベッドに腰を下ろして天井を見上げていた少女が、はっとこちらに気付いた。
彼女はすぐさまベッドから下りて背を向ける。
 逃げられた……。
 月岡は僅かにショックのようなものを受けたが、勿論表情には出ない。
 が、その考えは違っていた。
 少女、静原真由は本棚に向かって背伸びを繰り返した後……
回れ右をすると、一冊の本を手に月岡に駆け寄った。
 月岡は状況が読めず、ぽかんとなる。
 くいくい。
 上着を引っ張られ、月岡はそちらを見た。
 日常生活に慣れていない彼は、反射的に少女を睨むこととなる。
 ギロ、と音がしそうな程、一瞬の殺気は凄まじかった。
 真由はうるっと目を潤ませると、それでもおずおずと本を差し出した。
 月岡はその本に視線を落とす。
 色調のはっきりした、子供向けの絵本……。
丸っこいゴシック体で、幾つかのタイトルが書かれている。
絵本にしては分厚いのは、数本の童話が入っているからか。
 『シンデレラひめ』『赤ずきんちゃん』『こぶとりじいさん』…………。
(ちょっと待て……)
 月岡はかつてないピンチを感じた。
 快適な部屋の温度にも関わらず、冷や汗さえかいているような気がする。
(……これを、俺に読めと……?)
 柄じゃない。絶対に不似合いだ。
 ハウンドあたりに見られたなら、指を指された上に大笑いされる。
 無意識にきつい目で少女を見ると、
涙を浮かべながらも「駄目?」といわんばかりに見上げてくる。
 ……断れるはずがなかった。
 自分の甘さに嫌気を感じながらも、真由の手から本を取る。
彼女の表情がぱあっと明るくなった。
(…………何をやっているんだ、俺は……)
 悲しくなりながらも、月岡は黙って本を開いた。

          ◆

 ところ変わって、ここは西地区の某幼稚園。
 穏やかな天気の中……

 今日も、喧噪が響き渡っていた。

「うるせー、この男女!」
 男の子が走りながら、後ろの女の子にわめき立てた。
「なんだとぉぉ!? この野郎、さっきからぐちゃぐちゃと……!!」
 女の子は物凄い迫力で男の子を追いかけた末、
男の子の襟首をつかんだ。
「ひいぃ!」
 男の子の恐怖の声。
 その直後、無惨な音と悲鳴が聞こえ……
悲鳴が次第に弱くなり、

 ……そして、何も聞こえなくなった。
「ざまあ見ろ! 正義は勝つ!!」

 野々口勝美、4歳。
 幼稚園の番長の異名を取る、恐怖の児童である。

「何をやってるのかしら、暴力女さん」
 勝美と同じ組の、金髪の少女が現れた。
 外見はとても可愛らしいが、少し意地悪そうに見える。
 余裕ぶってポーズを取っているが、スモック姿では様になっていない。
「また先生に怒られるつもり? それはいい考えね。あなたにしては」

 香川美加、4歳。
 もも組の組長である。

「何だと? 悪口言う方が悪い」
「あら、馬鹿って言った方が馬鹿っていう理屈?
そんなこと言ってるから悪口を言われるのよ」
 火花を散らし、二人はにらみ合った。



「なあなあ、国香ちゃんって、可愛いよなぁ」
「うん、優しいし。大きくなったらあんなお嫁さんが欲しいなぁ」
「だよなー」
 男の子達が走りすぎながら、そんなことを言った。
 その後ろに、話題にされた少女ともう一人が座っている。
男の子達の会話は耳に入っていないようだ。
「何だかいつもより静かだね、時子ちゃん」
「そうですね……嫌な予感がします」
 勝美と香川の喧嘩を見ていたのは、隣のはな組の国香と時子である。
 因みに勝美との面識はまだない。
 国香はマイペースに折り紙で蛙を作っており、
時子は時子で湯飲みを手にしていた。
 時子が緑茶をすする。
 阿鼻叫喚たる幼稚園の、そこだけがほのぼのとした雰囲気で満たされていた。

          ◆

「あ、材料を切らしちまった。
……悪いが、買ってきてくれるか?」
 おじさんと呼ばれる頃であろう、
半端な年齢の男性が傍らにいる少女に声をかけた。
「うん!」
 満面の笑みを披露し、少女は大きく頷く。
 手際よく財布と熊のリュックを用意すると、それを身につける。
「気をつけろよ」
「は〜い! 行ってきまーす!」
 笑顔で貧民街に飛び出したのは、赤い髪の少女だった。
 素早く街を走り抜け、一番安い店へ直行する。
「おじさん、これとこれと、あと、それもねっ!」
 走り込むなり、息を切らせながら品物を指差す。
何が安いかは熟知していた。
「またお使いかい? 偉いね〜」
 少女は謙遜しながらも、さりげなく商品を値切ってみせた。
話をそこそこに済ませて、足取りも軽くたまご亭へと戻る。
年齢相応に、スキップさえしていた。

 瀬野火影、6歳。
 この年にして嫁に行けそうな少女である。

          ◆

(うう、この子……苦手なのよねぇ……)
 看護士は、笑みを浮かべつつもそう思っていた。
 パジャマ姿でベッドに長座をしている少女は、
検温をしながら冷静な目でシーツを見ている。
 看護士はその目を、冷ややかなものとして好んでいなかった。
子供というものはもっと無邪気なものと考えていたのだ。
「絆ちゃん、お加減はどうですか?」
「……普通です」
 言ったっきり、彼女は看護士に注意を払おうとしない。
「…………」
 看護士は言葉に詰まった。
 ふとベッド脇の台を見ると、本が置かれてある。
 しっかりした本で、看護士には理解出来ない文字が書かれている。
(……こ、怖い……深入りしない方がいいわね……)
 検温が住むと、看護士は引きつりつつも笑顔を作ってみせた。
「それじゃあね、また夜になったらご飯持ってくるから」
 パタンと戸が閉められる音。
 そして、外から鍵を閉められる音も。
「…………」
 少女はため息をついた。
(ばれていないって、思ってるのかしら)
 常ならざる者たる彼女は、多少なら人の感情を読める。
 その表情はクールであった。

 西川絆、7歳。
 自然体で人を圧倒することにかけては、
この年齢でも右に出るものはいない。

          ◆

「………………」
 月岡は、絵本を手にしたまま固まっていた。
 その片膝に頭を載せ、真由が心地よさそうに眠っている。
(一体、どうしろと……)
 愛らしい寝姿を見ると、動かすのも可哀想になってしまう。
 だから月岡は、20分あまりも硬直しているのだ。
「…………」
 すうすうと寝息を立てている真由を見る。
 天使のような寝顔。
 これが自分の妹かと思うと信じられない。
「……………………」
 頭を撫でてみよう、と恐る恐る手を伸ばした。
「うぅん……」
 真由が寝返りを打った。
 月岡は手を身体ごと引く。
「…………」
 手を元の位置に戻した。
(何をやっているんだ、俺は……)
 本日2度目の台詞を心中だけで呟くと、月岡は長く息を吐いた。

 彼が真由を撫でられるようになるのは、かなり後になってからだった。



 静原真由、4歳。
 あの月岡を翻弄出来る、ある意味最強の子供である。


後書き
 
 2回目のセレクション小説です。
ショートショート感覚で、とりあえずすっきりした感じにしました。

 「不可視の風の中で(略称:牙専)」にあった、
「月岡氏絵本朗読の似合わなさ」でこの話が出来ることとなりました。
ギャグなのかほのぼのなのか自分でも分かりません(笑)。

 静原やハウンドの過去も書こうかなと思ったのですが、
大して変わっていないだろうなと感じ却下しました。
ハウンドの年齢が分からないし……。
 更にアーサーまでいません。
猫の振りをしてご飯を貰っているのでもよかったのですが、
メインキャラにそれはさせられないので(汗)。

 キャラクタについて。

 勝美嬢。
 相変わらず暴力的です。
でも、彼女のすごむ台詞は思いつかず
(筆者が殴り合いをしたことがないため)、
正義感だけは強そうな感じに。

 香川。
 嫌味さを出せず悶えました。
スモック着用で格好をつけているのは少し可愛らしいかも……。
役員をしていそうな雰囲気なので、この年から組長です。

 国香と時子。
 幼稚園の時から勝美嬢と友人ということはないかなと思って、
隣のクラスにしました。
 難しい本を読んでいるのは時子でも良かったと思います。
 国香は幼稚園でも人気があります。

 火影。
 値切っているのがポイントです。主婦になれます。
「10年前」でなければ西地区での描写も出来たのですが……。

 絆さん。
 「感情を読める」というのは某部長が言っていたので。
彼女がこの能力を持っていたかどうかは分かりません。
 あ、病院でなく鉄格子の中だったかも……。
彼女一人では話が進まないので、見逃して下さい(泣)。

 月岡氏と真由。
 またしても月岡氏が甘いです。
 「くいくい」「ギロ」を書きたかったのです。
(……これを、俺に読めと……?)のモノローグは
Azami様より拝借しました。
「ありうる」と言われたので書いてしまいました。
 これは「牙専」にあった、訪問初回と慣れた後の間の話と思って下さい。
 真由は無意識のうちに月岡氏を手なずけているような……。
妹は可愛いんですよ、きっと(断言)。

 思えば、27日にPP小説を書き上げたばかりなのに、
更に書いてしまいました。
 テスト前で切羽詰まったものになっているかもしれませんが、
寛大に読んで下さい……。

坂上 葵 2003/05/30 9:22 PM