死の恐怖

最終更新日:2006-04-30

生きているといろいろなことがある。
不安や恐怖もある。
人々は気がつくとこの世に誕生している。
そして、生命を維持するためにいろいろな機能が働いている。

危険なことを体験すると、それを記憶し、学習する。
それに対して不安を感じるようになる。
また、直接の体験ではなくても
他者の体験を聞き、それを自分のものとして取り入れることもある。

そうした体験や学習がなくても、
不安や恐怖を感じることもある。

人種、民族、時代、国を超えて
人々は不安を感じる。

例えば。
高台に上る。
下を見下ろすとはるか足元に物が小さくなって見える。
その物は、普通ならば大きいはずである。
足元がぞくぞくする。
血の気が引く。
不安や恐怖を感じる。

多くの人々がこのようなことを感じるのではないだろうか。
過去に危険な体験があっても、なくても。
人には防衛機能が備わっている。

それとは別に。
神経症においても死の恐怖を感じることがある。

突然心臓がどきどきする。
倒れてしまうのではないだろうか。
死んでしまうのではないだろうか。
自分ではどうすることもできない。
そのわけも分からない。

このような現象に対して、いくつか考えてみる。
一つは神経質性格によるもの。
環境の変化に対して敏感に察知する。
人よりもストレスを強く感じてしまう。

ただ、それが普通の不安ではなく、
死の恐怖というとても強いものである。
神経質性格でかたずけられないように思う。

普通、人は日常の生活で死の恐怖を感じることは
少ないだろう。
それを、感じてしまうということは何か理由がある。

安心できない現実がある。
自然な状態ではない。
自分らしくいられる居場所がない。

不安にもわけがある。
しかし、わけも分からずに不安に教われる。
神経症では思考と感情の間で食い違いのような
現実の現象に対して理解や判断がうまくいかないことがある。
だから、不安や恐怖に悩み苦しみ、囚われてしまう。

ときに、あるがままの態度で解決できることもあるかもしれない。
また、その現実を正確に把握し、適切な対処法を行う。
専門医の助けなどを借りる。

神経症の死の恐怖に対して。
それを理解できない人は、間違った意見をする。
気にするなとか、気にしすぎであるとか。
大したことではない。
死ぬ気になって進めとか。
それができていれば苦労はない。

では、神経症の死の恐怖とは。
その患者は死の恐怖を感じている。
これは事実である。
現実の世界でその患者がそう感じている。
それをきちんと正しく受け止めること。
そして、適切な対処法を行うこと。

その患者さんにとっての安全の確保。
安心を感じられる日常。
安心できる居場所。
自分らしくいられる環境。

そのために、どのようなサポートができるのであろうか。
その患者について良く知ること。
一方的な見方、価値観ではいけない。
独断的な考え、判断ではいけない。
それは何の意味もない。

生活の見直し、環境の改善。
専門医による適切な治療。
周囲の協力。
そして、全体としてうまくバランスが維持されていく。

ちょっと、そんなことを感じた。

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