目が見えないということ

最終更新日:2006-07-14

私は、小学5年生の終わり頃に全盲になった。
それまでは弱視で、視力は0.06あった。
そして、弱視学級のある小学校に通っていた。

私は早産による未熟児で生まれた。
保育器の中で酸素が過剰だったために、未熟児網膜症となった。
左目は視力がなく、右目は視力0.06だった。

小学4年生頃目の具合が悪くなり、ときどき学校を休んだ。
その頃、眼底出血をよく起こしていた。
症状は、目の前に赤い点がたくさん見えてしまう。
その頃から体育の授業は休んで見学していた。

小学5年生の終わり頃のこと。
その日の朝のこと、目が覚めて起きると目の前に黒い物がたくさん見えた。
これは普段とは違う。
見え方がおかしいので学校を休んだ。

そして、その日の夕方のこと。
目の前の物は何も見えず、蛍光灯の光が僅かに感じる程度だった。
ついに目が見えなくなったのだと思った。
とてもショックだった。
机の上にある本や教科書は見ることができない。
触ってみてもつるつるした紙の感触だけが伝わってくるだけだった。

それからというもの、学校を休んで大学病院に通った。
いろいろな検査をした結果、目は直らないと言われた。
とてもショックだった。
たぶん、親はもっとショックを受けていたことだろう。

6年生になっても学校は休んで家で安静にしていた。
眼圧が高くなり、手術を受けた。
そして、目の具合にこれといった変化もないので病院にはいかなくなった。

家にいてすることといえばラジオを聴いたり、テレビを見るぐらいだった。
テレビといっても音を聴くことだが。
急に目が見えなくなってしまったので、感が悪い。
家の中でも壁にぶつかったり、物につまずいたりした。

日常生活訓練なども受け手いないので、文字どおりの全盲である。
まだ点字の読み書きなどもできない。
白い杖をついて歩くこともできない。
全盲の人たちと交流もない。
この環境は良いとはいえない。

その後、盲学校へ転入することになった。

今、全盲とか、何かの障害を受けて障害者となってしまった人へ。
とても辛くて苦しいと思う。
不自由で、不幸だと思うだろう。
でも、それだけではない。

同じような障害者と交流するといろいろなことが分かるだろう。
自分だけが辛くて苦しいのではない。
がんばることはない。

まず、誰かの助けを借りて生活すると良い。
少しずつ、自分にできることを繰り返し行うと良い。
日常生活の訓練を少しずつ受けると良い。
何も慌てることはない。
何も焦ることはない。
少しずつで良い。
自分のペースで良い。

そして、自分らしく生きること。

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