意識と無意識

最終更新日:2006-06-16

人の心はおもしろい。
男の子、女の子、男の人、女の人。
子ども、大人、親。
それぞれに心がある。
うれしいとき、楽しいとき、悲しいとき、辛いとき、苦しいとき。
元気なとき、病気で弱ったとき。
それらはみな本当の姿。

自分が知っている自分。
それはまさしく自分。
他人が観察して感じとった他者である自分。
それも自分。

得意なこと、好きなことをしている自分。
苦手なこと、嫌いなことをしている自分。
それらの表情はどこか違う。

人には簡単に意識できる部分、感覚出来る部分、
普段よく表情として表に出している部分がある。

それとは別に、普段表に出さない部分、内に隠している部分、
容易に気が付かない、感覚できない部分がある。
それは無意識。

心には無意識の部分がある・・・、と。
それはちょっとおもしろい。

心は容易に分かるが、複雑で微妙で掴みにくいところもある。
意識して分かる部分、容易に気が付く部分がある。
でも、そうではない部分もある。
それが無意識。

無意識とはなんだろうか。
どんなものがあるのだろうか。
はたして本当にあるのだろうか。

無意識はその言葉から分かるように、自分にも周りにも意識できない、
意識されないもの。
それは抑圧されていて、外に現れていないもの。
コンプレックスである。
人はたくさんのコンプレックスからできている、と。
コンプレックスは感情に彩られた記憶。

誰が、どうして、抑圧しているのだろうか。
それは、人として生きていくために必要があって抑圧しているもの。
また、親のしつけ、教育によって強く抑えられていること。
地域、社会、国家、民族、時代によって抑圧され、
内に隠されていること。

意識でない部分はみな無意識である、と。
それは誰にも容易に分からない、と。

でも、無意識を知る方法はいろいろとある。
昔から今にかけて長い時間語り継がれてきた作品の中に
心の内なる世界を知ることができる。
神話、伝説、昔話など。

私たちの心から生み出され、長い時間忘れることがなく語り継がれ、
今でも心に響く物語。
その物語の中に出てくるいろいろな人物、伝えたいテーマ。

考えてみれば普段なにげなくしていること、当たり前のこと、
容易に感じたり感覚できること、理解できること。

子どもはかわいい。弱くて、素直で、正直で、ときになまいきで、
自分かってで、未熟で、社会性が身についていない。
そして、守ってあげたい存在。

大人、親は強い。自分で判断して、決断して、実行できる。
弱い部分、愚かな部分もある。

男性は女性にあこがれたり、ひかれたりする。
女性もまた異性にあこがれたりひかれたりする。
もちろん、異性のことが恐怖だったり、理解できなかったりするが。

そして、男性の中には女性的なものが存在している。
女性の中には男性的なものが存在している。

そこからも分かるように、心の中は宇宙と同じくらい広くて深い。
ものすごく巨大な無意識の中に、ある一つのはっきりとした意識がある。

無意識の働きの一つにおもしろいものがある。

あるとき、スポーツの大会や重要な試験などがある。
それに備えて十分に勉強や練習を積んできた。
ところが・・・。本番直前に見た夢は。
その当日、失敗してしまうというもの。

これは、無意識が警告を示している。
意識的な面では十分に行えると思っていても、
それが不完全で危ないことを教えている。

意識的な面だけを大切にするのではなく、無意識を無視するのではなく、
抑圧された面、内に隠された面をも大切にして、
全体のバランスを維持しながら対応することが大切である、
そのように分析して、解釈されて、利用される。

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