統合教育

最終更新日:2006-04-27

私は、小さい頃弱視だった。
弱視とは、視力がとっても弱いことらしい。
でも、少しは見えているので普通の生活ができる。

小学校は・・・。
裸眼では教科書の文字が小さくて見えない。
黒板に書かれたものもちょっと見えない。
眼鏡は・・・。
眼質がよくないので、視力矯正がきかない。

ということで、すぐ近くにある地域の小学校には通わなかった。
東京には、弱視児童を受け入れる小学校がいくつかある。
それは、テスト校だったらしい。

小学校の中に、弱視学級が併設されている。
私の学年は1クラス35人前後で、4クラスあった。
そして、同じ学年の中には5人の弱視児童がいた。

私たちは、普通親学級で勉強している。
席は、一番前。
授業中、いつでも黒板のすぐ前に行って見て良い。
でも、これは気を付けないとみんなのじゃまになる。

国語、算数など、基礎教科では弱視学級に移動して勉強して良い。
これは、親学級の担任、弱視学級の先生、本人たちで話し合う。
弱視学級はとても明るい。
大きな机。
補助ライトがある。
教科書の文字が小さいとき、拡大コピーして
見やすくプリントしてもらえる。
特殊なレンズもある。

先生とマンツーマンで勉強したり、
2・3人の友達が先生と勉強したりする。
分からないところを何度でも教えてもらったり、
簡単な問題やプリントを使って勉強したりする。
内容がうまく理解できるようになると
親学級に戻っていく。
そういう、ちょっと特殊な学習方法をとっていた。

1・2年生のときの担任は、この弱視教育に
関心がないらしく、勉強についてこれる人だけを
教えていれば良い・・・と。

弱視学級には、自ら障害者で弱視の先生がいた。
そこで、よく親学級の先生方と話し合いをして、
きちんとした教育を行うこと、しっかりとしたバックアップ体制を作ることを
いっていたらしい。
3年生以後は、わりと若い先生や教育熱心な先生にあたった。
親学級、弱視学級の両方できちんと学べるようにしていただけた。

後で知ったことなのだが、これを統合教育というらしい。
障害があるから障害児学校に通わせる。
それも一つの教育だ。
ただ、なるべく同じ場所で学ぶこと。
お互いが分離しないこと。
お互いがかかわり合うこと。
お互いを理解し合うこと。
お互いが協力し合うこと。
そのような意味あいがあるようだ。
その意味で、私は良い環境で勉強できたと思う。

ただ、ちょっと振り返って思うこと。
普通の人たちと弱視の人たちとの間には何か境目があった。
普通に見える人、目の悪い人。
そして、弱視の人たちが集まってよく遊んだ。
喧嘩もした。
そこで間に入って相談に乗ったり、厳しく叱ったりしてくれたのが
弱視学級の先生方。
障害があるということで、コンプレックスとか、
劣等感のようなものがあったように思う。

夏の補修授業のこと。
夏、プールが始まったとき、弱視の人たちの多くは水が恐くて泳げない。
そこで、放課後に水泳の苦手な児童を集めて授業が行われた。
私もそこに入った。
それまでは水が恐くて、水泳の授業を休んでいた。
ちょっとこれはおかしな話かもしれない。
でも、できない、恐い、休む、という構図がある。
それを見て、ちゃんと授業を受けさせてくれた先生方はすごい。
水は恐くても、水に入り、顔を水につけて、水にもぐって。
息継ぎまではできなかったものの、ばた足で泳げるようになった。
とてもうれしかった。

課外授業のこと。
夏休み、冬休み、春休みのことだったか、
私たちはちょっとおもしろい体験をした。
といっても、学校生活の間で2・3回ぐらい。

私たち弱視の人たちは、数人で弱視学級の先生の家に遊びに行く。
みんなで相談して、予定を決めて。
待ち合わせをして、みんなで先生の家に訪問する。
もちろん、先生の家には何度か電話で連絡を入れる。

先生の家に行くと、今度はみんなで買い物に行く。
買う者を決めて、それをメモして。
先生からお金を預かって。
近くのスーパーでお買いもの。
目的の品物を買ったら、先生の家で料理をする。

みんなで料理をする。
道具の使い方を教えていただく。
そして、できあがったらみんなで食べる。

そして、夕方になり、みんなで帰宅する。
家に着くと、先生のところに連絡をする。
今考えてみると、あれも授業だったんだ。
大変で、不安もあったが、楽しくて良い思い出だ。

上野動物園でのサマースクールというものにも参加した。
動物というのはなんだかちょっと苦手。
でも、実際にそれをよく見て、観察して、触って、
食べ物をあげて・・・。
そんなこともあった。

教育とはなんだろう。
統合教育を受けてみて。

必要なときに必要なことを知ること。
学ぶこと。体験すること。
与えてもらうこともあるし、自分から進んで学ぶこともある。
教科書から学ぶこともあるし、日常の生活の中から学ぶこともある。

お互いを知ること。
お互いを理解すること。
お互いに協力すること。

現代の教育。
高度な知識を詰め込む方法。
人が競争し合って何かを得ること。
そういう方法もあって良いだろう。
でも、何かおかしくないだろうか。
いっぱい知識を持っていて、他人に勝って、
それが何になるのだろうか。

よりよい社会であるために。
自分にとっても、他人にとっても。
できることはちゃんと行い、
助けが必要なところはちゃんと助けていただく。
できる範囲で他者を助けること。
人の痛みや苦しみを知ること。
自分の弱さや痛みを感じること。
お互いがお互いを知って、お互いを生かして、
よりよい社会があるのだと思う。
いろいろな人からそんなことを教えてもらった。

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