自民黨改憲案について思ふ
今度の選擧で再び政權交代、自民黨政權になりました。
多分四年前と同じやうに、また思った事を自由に言へない世の中になると思ひますので、
さうなる前に發言しておく事にします。
自民黨の改憲案ですが、自民黨によれば、「國家の權力を規制し、國民の權利を守る」
といふ現憲法のあり方を全廢し、「國民の規範とする」やうに根本から
趣旨を變へた憲法案ださうです。
東京新聞・筆洗によれば、
明治の大日本帝國憲法の制定される時でさへ、
「第一・君權を制限し、第二・臣民の權利を保護するにあり」の精神を目指したさうですが、
結果的にそのやうには機能しなかったのは周知の通りです。
大日本帝國憲法はその樣に目指しながら、さうはならなかった。ならば、
最初から君權制限を旨とせず、むしろ國民の側を縛る「憲法」にしてしまったら
どんな事になってしまふのでせうか。
想像も絶する怖ろしさを感じてしまふのは、心配のしすぎなのでせうか。
僕には杞憂に濟むとは思へません。
現憲法における人權は、人權同士が衝突しない限り制限されない絶對的な權利ですが、
自民黨改憲案では、人權より「公益」が優先されると明記されてゐます。
つまり「皆のためだと見なされる事」が少しでも阻害されるなら人權は保障されないと
いう事になります。
戰時中、「皆の爲=御國の爲」が何を意味して、その名のもとに何が行はれてゐたのかを
考へれば、人權保障の條文が空文化するのは容易に想像ができます。
憲法「改正」のための第一條件である「國會で2/3の贊成」は、すでに衆議院では自民黨が
ほとんど2/3近くを占めてゐる事で、通過する事になる可能性がかなり大きくなってきました。
そこが通ってしまへば、第二條件の「國民投票で過半數」となりますが、
過半數といふのが投票權を持つ人數の半數でも無ければ投票數の半數でも無く、
有效票の半數を超えてしまへば「成立」になってしまひます。
憲法改正法によれば、選擧の二週間前からテレビ・ラジオによる「コマーシャルは」禁止されるが
「政見放送は」行はれるさうですから、選擧前にはマスコミが「改憲の聲」一色になるとも
危惧する人が居ます。
また、自衞隊初の海外派兵前の時の警察殺害事件や、
自衞隊イラク派兵前の時の日本人外交官射殺事件のやうな、
世論誘導の爲の事件もきっと起こる事でせう。
その頃にはすでに今よりずっと言論が自由に言へない風潮になってゐる事も
豫想できます。(イラク戰爭の時のやうに)
本當に今の自民黨の憲法案への改憲が阻止出來るのか、今からとても不安です。
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