思ふところ
長いものには巻かれろ、とは云ふけれど
長いものには巻かれろ。だから日本はアメリカの云ふ事は全て無条件で従へば良い。
そんな論をよく聞きますが……。
本当に、長いものはアメリカ以外には全く無いのでせうか?
友国としての助言も苦言も無く、只ひたすらに云はれるままに従ふだけが、唯一の巻かれ方なんでせうか?
一番長いものに巻かれてさへゐれば、二番目以降は無碍にしてゐても構はない物なんでせうか?
一番では無いものも、幾つか合わさればそれなりの長さになる事は無いんでせうか?
所謂「資本圏国」に限っても、「長い」ものは世界に幾つもあるのではないでせうか?
長いものに巻かれるなら巻かれるで、巻かれ方と云ふものも少しは考へなければならないと思ふんですけれどね。
本当の資本主義とは何だらう
資本主義とは、市場競争を通じて製品やサービスの優劣を競ひ、より優れたものが残る事により世の中が合理化される。
これは資本主義思想のよく知られた部分です。
資本主義は競争原理を利用する事で世の中全体の合理化を達成化する。故に競争原理は資本主義思想の中核を成す。資本主義では競争は重要で欠かせないものだ。
これ自体は紛れも無い事実なのですが、「競争」と云ふ言葉が一人歩きしてはゐないでせうか。
資本主義は競争原理だ、だから弱肉強食のもと強者が弱者を叩き潰し、搾取するのは正義だ。
世間ではそんな風に云はれてゐますが、これこそ反資本主義に思へて仕方がありません。
何故ならば、資本主義では何の為に競争をするのか、と云ふ根本の議論が忘れ去られてゐるからです。
資本主義の本質は、競争で無駄を無くし高効率化する事により、より良いものをより入手しやすくし、それにより品不足を解消する(=豊かになる)と云ふものです。
より高品質・高機能・高性能の品やサービスを、より安価に、より流通性よく手に入る様にし、また経済が活性化する事により購買能力を高める(=皆の財産を増す)事により、世の中の貧困の解消を目指すのが資本主義なのです。
決して貧困を作り出すのが資本主義の仕事なのではありません。
幾ら競争原理の資本主義といへども、この理念に反する競争は「悪」なのです。
勿論、競争の勝敗を決める、即ち商品の優劣を判定するのは消費者の仕事です。
世の中を良くする為に判定する訳ですから、当然消費者の選択肢を不当に奪ふやうな行為は資本主義に反します。消費者が自分の判断で選べなければなりません。独占・圧力・搾取などもっての他です。
その代はり、消費者には良い物を選ぶ様に努力する責任が発生します。単に安価で高品質であるだけで無く、例へば人道的な方法で供されてゐる(環境保護の努力をしてゐる、不正に過酷な労働をさせてゐない、等)事も選択基準に入れるやうに努めて選ばなければなりません。
勿論、それを行ふ為には、判断のもととなる正しい情報が提供されてゐなければなりません。
正しい資本主義は正しい民主主義の体制下にのみ宿る、と云はれるのもこの為です。
ここで大事なのは、ある物を消費する者は、別の物を生産する者でもあると云ふ事です。つまり全ての人々が消費者(=判定者)であり、また生産者(=被判定者)でもあるのです。
言ひ換えれば、資本主義における競争原理とは、全ての人々が相互に高効率化の努力とチェックを行ふ仕組みであるとも云ふ事が出来るでせう。
「共産主義では搾取は悪徳だ。だから共産主義と正反対の主義である資本主義では搾取こそ正義だ。」と云った論が本当にまかり通ってゐますが、あまりにも短絡的過ぎるでせう。
そもそも「資本主義と共産主義は全ての面で敵対してゐる」と云ふ俗説自体、自分の欲望の為に資本主義を(或は共産主義を)悪用し歪曲するやうな人達により作られた嘘です。(勿論のこと部分部分で見れば相容れない部分も少なからずありますが……)
共産主義の反対を実行してさへゐれば自働的に資本主義になる程、単純ではありません。
どっちの主義が正しくどっちの主義が誤りである、と云ふ問題以前の話です。
資本主義を(或は共産主義を)悪用し歪曲するやうな人達に踊らされてゐませんか?
「愛国心」の不思議
僕は自分の住む町が好きです。だから、隣の町も好きです。
「町が好きだと云ふのなら、隣町を嫌悪する事でその愛を示せ」等と迫られた事は只の一度もありません。
僕は自分の住む市が好きです。だから、隣の市も好きです。
「市が好きだと云ふのなら、隣の市を嫌悪する事でその愛を示せ」等と迫られた事も只の一度もありません。
僕は自分の住む東京都が好きです。だから、隣の県も好きです。
「都が好きだと云ふのなら、隣の県を嫌悪する事でその愛を示せ」等と迫られた事も只の一度もありません。
僕は自分の住む日本が好きです。だから、隣の国も好きです。
なのに、どう云ふ訳か、これだけは「日本が好きだと云ふのなら、なぜ隣の国を嫌悪しないのだ。お前は日本を好きではない」と非難されます。
別に隣国の国家政策をも賛同してゐる訳では無いのですが、単に他国の国民や文化を隣人として親しむだけでも反日的だ左翼だと非難されます。(実際に色々な人に幾度となくされてゐます。)
なぜ「自分の郷は好きだ。だから隣も好きだ」は国に限ってはあてはまらないのでせうか。
「愛国心」とやらは誠に不可解な代物です。
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