好き好んでマイノリティーになる人間はいない
(斜め読み・飛ばし読み厳禁)
舞台は、ある路線の特急電車。
私は関西で毎月開催される研究会の帰りに、憤りを抱えたまま、京都方面行きの特急電車に乗り込んだ。
私がそのときなぜ憤っていたか、今となってはよく分からない。
研究会での盛り上がりに欠ける議論に消化不良を感じて憤慨していたのか、あるいはまた研究会での議論についていけない自分に憤慨していたのか、そのいずれかであろう。
しかし、そのどちらであるかは今は関係ない。
ともかく私は、缶ビールとつまみを持って、電車に乗り込んだ。
もちろん、中であおるためである。
普通の神経の持ち主なら、こんなマナーの悪いことはしないだろう。
ビールもつまみ(おかき)も、閉鎖された空間では臭いが強烈である。
そのときは理性を失うほど、周りが見えなくなるほど憤慨していたようである。
特急列車は既に6割くらい席が埋まっていた。
横に並んで同席せずには、座れない状態だった。
とりあえず座れればよかったので、地味な服を着た男性の隣に座った。
既に白髪の老人だったが、そのいでたちは威圧感を漂わせていた。
傍若無人につまみとビールを暴飲暴食する私。
しばらくすると、隣に座っていたこの老人が話し掛けてきた。
「ビールはいいもんですな」
自分一人の世界に入って飲みたかったので、意外なちょっかいに驚いたが、適当に受け流しながら飲みつづける私。
大阪に何をしに来たのかをお互いに語り、電車内で食事をするのはなかなかいいもんだ、と彼は語る。
彼と話をするうちに、私の中の憤慨は次第にぼやけてゆき、なぜか汗が出てくる。
若い人はいいねえ、という話を始めた彼は、私のことに話を移した。
色が白いことを指摘され、もてるんでしょう、と言われた私がそれを否定すると、もっときわどいことを尋ねられた。
さらにどっと汗が出る。
なぜそんな話を?
当惑する私に対して、彼は、私が好みだと言い、突然思わぬ告白をした。
自分は女よりも男の方が好きなのだと。
私:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しばらく私は何も言葉が出なかった。
それを見た彼は、もっとこっちに寄ってくれと言いながら、私の左腿を手で触り始めた。
今度は全身から汗が出てきた。
恐怖感のようなものを覚えたのは確かである。
そんな状態の中で、私が言えたのは一つの質問だった。
「昔からそうだったんですか?」
昔から、女よりも男の方が好きだったのか、という質問である。
体は凍り付いていながらも、探究心だけは生きていた。
彼は、少しとまどった風な間を取り、答えてはくれなかった。
私はもう一度、同じ質問を繰り返した。
「昔から、女性よりも男性の方がお好きだったんですか?」
彼は私の質問にストレートには答えず、自分が母子家庭で育ったこと、その生活は楽ではなかったことを語った。
私にはそれ以上聞けなかった。
同性愛に対して、奇異の目しか向けてこなかった自分が恥ずかしくてならなかった。
彼は結局のところ、私の知りたい答えそのものをくれたわけではない。
しかし、彼の答えには私を気付かせるものがあった。
同性愛が、マイノリティー(社会の中の少数派)であることは、おそらく否定できないだろう。
マイノリティーは人々に奇異の目で見られ、ときには笑いの種にされ、堂々と日々を暮らすのは容易ではないだろう。
そんなマイノリティーに、好き好んで敢えてなる人がいるだろうか?
彼らは、何がしかの、そうならざるをえない事情を抱えているのではないか?
同性愛を否定すること、馬鹿にすることは、彼らの人生そのものを否定すること、馬鹿にすることにほかならない。
目的地の駅に着いたときには、私の体は全身汗びっしょりだった。
しかし、降りるときに私は自然と彼に向かって頭を下げて言った。
「ありがとうございました」
それは、私にマイノリティーの事情を気付かせてくれたことに対する感謝と、見ず知らずの人間に、しかも電車の中という、多くの人の耳目がある中で、自分の極めて個人的な事情を話してくれたことに対する感謝の気持ちだった。
最後に。
この話はノンフィクションです。
この舞台となった路線の詮索はしないでください。
私がこの話を書いた意図は、マイノリティーに対して我々がいかに理解不足であるかを明らかにするためです。
私も同性愛については知識がありませんが、何の知識も持たずに彼らを見ることがいかに愚かであるか、分かっていただきたいと思います。
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