秋野雅臣 Masaomi Akino Web Site
プロフィール
戸籍上の名前 |
井伊 一 ( イイ ハジメ ) |
作家名 |
秋野雅臣 |
出身地 |
滋賀県(関西で京都と岐阜の間の県、琵琶湖があるところ) |
趣味 |
麻雀、散歩、趣味と実益を兼ねて英語の小説や文献に目を通すこと |
好きな本 |
孫子、論語、戦争論、君主論 |
居住地 |
東京都中野区中央2丁目(最寄り駅地下鉄中野坂上) |
性格 |
本来的には見切り発車型だが、経験上慎重な性格に変化している |
血液型 |
O型 |
略歴 |
滋賀の片田舎に生まれる。
なんだかニヒルなガキで自分の内面に多くの興味をもつ。そのわりにはフレンドリーな性格だった。
小学生一年の時に人間の不信性を覆す為と、周囲の人間の人間性の確認のため、 自殺を試み、周囲の同級生達が信用できる存在ではないことを確認。 勉強もスポーツもあまり力をいれない小学生時代を過ごす。 しかし、自分が興味のある勉強だけはキチンとした。
中学生時代に不登校になる。 なんだか受験戦争が、受験のための勉強が、競争が、馬鹿らしかった。 将来のための、内申書の影響を考えておとなしくなった同級生達にたいするどうしようもない脱力感もあった。 ただ学校にいかないのもつまらないので、京都や奈良、大阪などを遊び歩いた。 日に焼けた不登校時代を過ごす。 物理学や、君主論、論語、孫子等はこのときはじめて勉強したといえるだけ目を通したと思う。 学校には行かないが、図書館にはわりと通ったと思う。 有意義な時間だったが、胸が痛くなる時期だった。 もし、もう一度同じ時間を与えられたら、正直うれしくない。
大学入学資格検定を取る。 その間に多少の飲食業のアルバイトを経験。 結構たちっぱなしっというのはつらいものだと経験、 あとお皿をいっぱいもつのも地味に大変だと切実に認識した。
東京の専門学校へソフトウェア関連の技術習得のため上京する 上京した専門学校が倒産w、いやマジで! 多少びっくりしたが、他の専門学校へ編入できた。 決断をすぐに下さずにすんで助かった、これにつきる。 この時期にゲームセンターの店員を経験した。 このことに関しては残念ながら、特に得るものはなかった。
新しい専門学校の事務長とソリが合わない。 なんだか、編入してきた人間が気に入らないらしい。 専門学校の理事長が決定したらしく、彼個人は反対だったようだ。 その彼こと事務長は教師も兼ねていたのだが、彼の講義の単位がとれなかった。 プライベートで様々なトラブルが重なっていたことも影響したと思う。 精神的にまいっていた。、結局その専門学校は卒業できていない。
以前の編入前の学校の運営の方に卒業という形にしておいてあげるといわれたので、 学歴を述べるときには以前の学校を卒業したということのみを書いている。 正直、あの最後の専門学校のことを思い出すと、事務長の彼を思い出してしまう。 まあ、マサチューセッツ、ハーバード、エール、ケンブリッジまでいかなくても、 東京大学や早稲田大学、慶応大学に4年間我慢していっておいたほうが有利だったんだろうとは思う。 僕は、意外と、反骨心と挑戦心が旺盛な人間だから、もし何度人生をやりなおすチャンスを与えられても、同じ選択をしただろう。 僕自身はかえられない、只、己を鍛え、準備を怠らないことはできる、ベストは尽くそう。 結果がどうであったかに関わりなく、信念の問題っていうことか、我ながら愚かな事だ。
・・・話がそれましたね。本筋に戻します。
それからいろんなツテから仕事をもらったり、 自作ソフトウェアを販売したり、 また友人の手伝いや依頼などをこなして生活している。 たまに経済的に苦しいときは畑違いの仕事でもして急場を凌いでいることあり。 金銭に執着しない方だが、もう少し執着すべきだとは認識はしている。
最近、海外のソフトウェア紹介サイトに登録した。 自分のソフトウェアが人様に役に立ち、そのことで収入を得る事ができれば嬉しく思う。 逆に言えば、公共性や貢献性のない仕事なら、 法律や道徳が特定の人間の利益の為、ねじまげられていることを考えると、 麻薬販売と大してかわらない、いや逆に収入が多いだけ麻薬販売の方がマシだろう。 ちなみに、友人に言わせるとそれは極論なんだそうだ。 大丈夫、それが世間一般からいって極論だということ位は認識している。 |
作者名と戸籍上の名前に関して |
いままで戸籍上の名前は基本的に伏せていましたが、今回、公開することにしました。
作者名を用いて戸籍上の名前を伏した理由はいくつかあります。 理由1: 最も大きな理由は、僕が何者であるかを定義するのは僕自身でありたいと思っているからです。 自分以外の他者が僕の与えた定義(勿論、与えてくださったんではあるとは認識はしております)を受け入れるのは、 僕の信念、信条からいって困難で好ましくないことでした。
理由2: 僕の父方の家柄は”井伊”という徳川遺臣の家柄です。 その武門の名を汚したくないという思いが僕にはありました。 でも自分のやりたいことはやりたかったのです。 だから、”家族や先祖から解放された本来の自分”が僕には必要だったのです。
理由3: 個人情報保護、プライバシー保護の観点
”秋野雅臣”という名前に関して ”秋野”とは、昔の知人(女性)の名であり、”アキヒト”という友人(同性)がいることもありまして、その二人からいただきました。 ”雅” とは ”みやびっていいじゃーん、風流じゃない?”という理由で選択しました。 ”臣”とは、元々ぼくの姓、つまり”井伊”とは”君主”ではなく、”将軍”、”武将”の家柄であるという事から選択しました。 |
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