評価p 書名 著者 出版社
★★★★ 聖書 代々の預言者 色々
 やっとのことで書評30冊目です。書いてる方は結構大変。この30のキリ番には何かすごい本を持って来たいなと思っていたのですが「聖書」なんてどうでしょう。
 エンターティンメントのところに入れたのは僕が宗教的な意図なく紹介しているからです。数々のエピソードが入った物語集です。あらゆる英米の文学が当たり前に引用しますし、時に日本の小説だって結構ディープに引用したりします。旧約の部分はユダヤ教徒にとっても聖典だし、イスラム教徒にとっても聖典で、イエスの肖像画を見て「俺たちも彼を偉大だと思う。」とムスリムたちはいうのです。
 僕のホームページでは英語クイズ編で何度も雑学の出題のソースにさせてもらいました。だって知らないとお話も楽しめないし、ヨーロッパで美術館に行ってもネタがなんなのかわからないんだもの。
 この重要な書物。大那がじっくり解説しましょう。


 ★[どんな本なの]
 そもそもはユダヤ人が古代から信仰しているユダヤ教の聖典です。ユダヤ人の中から出てくる預言者といわれる人たちが神さまから預かった言葉を語って書いたもので、物語を下地に生活の規範を書いてあるため、律法書(トーラ)などと呼ばれることもあります。
 中はたくさんの分冊で構成されています。創世記・出エジプト記・レビ記・申命記などなど、前半の旧約といわれる部分はユダヤ教の預言者たちが少しづつ書き足してきた内容です。創世記だけでも読んでおくと、もはや確かめられない神話の時代の歴史がさっと理解できます。読み物としても面白いです。アダムとイブにエデンの園を与えた後、彼らが放逐され、町が栄え、洪水で人々が滅ぼされ、また栄え、選ばれた民ユダヤ人が約束の地カナンへ、悪徳の町が焼き尽くされたり、善良な人が救われたり。神と人の間のすったもんだがたくさん書いてあります。そしてカナンからエジプトへそして再びエジプトを出て彼らの土地を求め集団で旅を始めるところが出エジプト記です。余裕があれば出エジプト記も。エジプトの書物には一切でてこないモーゼとアロンがファラオの追求を逃れて約束の地へ還る一大叙事詩といっていい物語。ちなみに、吉村作治先生のとある本で読んだところ、紀元前25世紀くらいにエジプトがアジア(<=東からきた民という理解でいいとおもいます。)の異民族ヒクソスに支配を受けたことがあるという記述があるとのこと。これが出エジプト記のいうユダヤ人かもという説は、(もはや立証不能ですが)面白い話だと思います。
 さて、時代が下ってユダヤ人はダビデ、ソロモンの黄金時代を迎え、バビロニアに併合されたり、ローマの支配を受け、長い隷属の時間を味あわされます。ローマの支配下で預言者となったのがイエスです。イエスのはるか前の預言者にイザヤという人が「(救世主は、ユダヤ人でない)異邦人にも福音を述べる。」と預言をしています。(それを知ってか)イエスはローマ人にも布教をして帝国の土台を揺るがします。イエスの弟子は使徒(エバンゲリオン)と呼ばれます。(マンガのエバンゲリオンって変ですね。敵を使徒といって、自分たちをエバンゲリオンっていう。英語にするときどうするんだろ。)使徒たちが書いたのが新約聖書です。(旧約は預言者自らが書いていて一人が書いた部分は分冊1つくらい。)新の方は一気に短期間で書き上げられていてイエスの言葉の現行録と布教活動の記録のようになっていることが違います。


 ★[どんな人が聖典として読んでる本なの]
 旧約の部分はユダヤ教徒も読みます。イエスを救世主と見なさないのが彼らの特徴です。(ヨハネの黙示録はユダヤ教徒も読むそうです。)
 キリスト教徒は皆読みますね。ただし、旧約の分冊に修められている分冊がちょっと違うようです。カソリックの方が多いみたい。(銀座4丁目の教文館という本屋の3階で色々見比べられます。)
 イスラムの人たちも彼らの聖典コーラン(クルアーンといいます)の他、聖書をも聖典とします。彼らはイエスは神でもなければ、神の子でもない、だが偉大な預言者だという立場のようです。彼を神と見なさないのがキリスト教との違いだといいます。(・・・とあるイスラム教徒から聞きました。)
 キリスト教にも色んな宗派があるので、イエスを神などと言わない宗派もあるので、イスラム教徒の上の言は必ずしも真でないです。当たり前ですが、ムハンマド(マホメット)を預言者と見なすかどうかがイスラム教徒と他の宗教の差です。
 キリスト教はもともとユダヤ教のイエス派とでも言えばよかったのでしょう。ローマが乗り出してきて、教会を牛耳りだしてから、全く別のものになってしまったと思われます。各派閥が色んな教義を述べだして、宗教会議の努力空しくバラバラな思想に分かれていきます。ローマカソリックは東と西でまったく違うことを言い出して、まず今のイスタンブール当りを拠点にビザンチン系のギリシア/ロシア正教が西のカソリックから分離しました。時代がさらに下ってプロテスタントが生まれ、アメリカではさらに細かなセクトが出てきました。
 アメリカの変なセクトでキリスト教を自称しているものには聖書とまったく違う書物を聖典としてるものがあります。モルモン教なんか典型的ですね。また韓国の問題セクトの統一教会も自称キリスト教でまったく別の書物を聖典としています。
 まとめるとユダヤ教徒と(普通の)キリスト教徒とイスラム教徒が聖典としています。


 ★[宗教的信条によらず読めるのか]
 あまりにも有名で、世界でもっとも多くの部数出回っている書物。もっとも早く活字になった書物。その中身を知っている人は特に日本では少ないと思うのです。僕は口語と文語であわせて2冊持っています。読むべき書物と思います。
 中学生のときに目を通すように読みました。歴史の授業で旧約はイエスの生まれる前に書かれていた部分、新約はイエスが生まれた後に書かれた部分と習いましたが、友達の一人が「旧約が旧教(カソリック)の読む部分、新約が新教(プロテスタント)の読む部分」と言い張って、「違う」と何度言っても聞きません。彼にとってはどうでもいい知識でなるべく簡単に「理解」したかったのでしょう。得られたものは「誤解」ですが。
 個人的な意見として僕は(聖書が面白いかどうかを別にして)、聖書と世界中に散らばる人たちの関係は理解しておくに値すると思うのです。これをこころのよりどころとして読むことはないでしょうが、文化の受け皿を広くするために有効です。一読をお奨めします。

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