評価p 書名 著者 出版社
★★★★ 中国史 宮崎市定 岩波全書
 京大の東洋史学科の重鎮中の重鎮だった大先生の書き下ろした「中国史」です。その道では熱烈なファンがいまでもいる先生で、分厚い何冊もの全集がでています。しかしここでお奨めの本書はコンパクトで門外漢にも読めるサイズ。
 「総論」という部分と「古代・中世・・」とつづく部分で相当趣が異なります。総論は(良くも悪くも)、結構物語チックに先生の歴史哲学というか、私的見解が、事実と区別しずらい形で織り込まれていることが特徴。(理系の人間には耐えられないかもしれない記述。)小説の一種だと思えば面白く読めるのかも。(他の歴史学者の本を真剣に読んだことないですがみんなこんな書き方をするのか?)
 例えばですが、各時代の記述に入る前の「総論」という部分に次のようなくだりがあります。
 ある歴史的事件が発生するためには、無数の原因があった筈だと考えているが、その原因を結びつけて一つの結果に達するためには時間が必要であった。例えば人類が火の使用を知る以前、どれほど長い間、どれほど多くの人間が自然による発火、燃焼の状態を目撃したであろうか。そのあるものは火に焼けた肉を食い、火に焼けた芋、火に焼けた南瓜を食い、どんなに生よりも甘いと感じたことであろうか。併しその度にそれだけの人が凡て、その火を自分で所有しようと考えたとは限らない。おそらく何千年の間にごく限られた人数の者だけが、この大それた欲望を起したに違いない。幸いに人類は既に燃え棒杭を手に持つだけ指の働きが自由になっていた。またその棒を持って歩けるように、腰を伸して立つことができるようになっていた。またその火を保存するための洞窟を見つけてそこに住んでいた。だからその仕事といえば火を消さぬように、現場から洞窟まで運び、更にそれが消えないように変えず薪を追加するだけの知恵があればよかった。併しこの簡単な仕事も一度で成功する筈はなかった。何べん、何百回、何千回となく、途中で消えて失敗することが繰返されたであろうか。その間に当然何千年、何万年の歳月が過ぎたことは容易に想像される。・・・・中略・・・・・併しもし人類の知恵がある程度進歩しており、最初の火から第二、第三の分家ができていたとすれば、火種が中絶して了うという不幸は防ぐことができた。この火種の分家は、必ずしもそうと意識して実行されたとは限らない。反って敵対する部族がこの魔法の火の存在を知り、スパイを忍びこませ、プロメテウスよろしく、火種を盗み出して自分たちの所有にしていたかもしれない。何れにしても結果は同じで、火の使用の範囲が拡まれば拡みあるほど、火種の絶える心配は少なくなり、やがては人類全体の遺産として子孫の代に引き継がれていくのである。
 この節は世界の文明は一か所に起源を持つという6行程度の結論につづくんですが、あくまで節のタイトルは「時間の評価」。歴史を考える上での時間の意義を説明するのが先生の目的だったようですね。(亡くなられたので聞くこともできませんが)
 僕なら、こんな風に結論を出せません。段落が2つしかない長文(2ページ半)のほとんどの部分は先生の想像。原始人の生活を頭で思い描いただけ。歴史的に意味のある結論はサポートできる事実の見出せない空想で書いたことになります。
 学問の分野ごとにいろんな文化があるものだ・・・とおもいつつ。ただ、この文章に魅力を感じます。「大それた欲望」「プロメテウスよろしく、火種を盗み出して」というくだりなど人間の集団が発展するために何かを求めて新しい行動にでる様がよく表現されているからだと思います。(科学的な語り方でないとも思いますが)
 歴史って、人類集団の欲望の動きのうねりの記録だなと思うことあるんです。そういうことの姿をまじめに想像するにはこの本の「総論」という部分の記述は大いに参考になると思います。真実がどうだったかはわからないことばかり書かれているように思われるのですが、文章はとても魅力的。
 この先生は生前に小説でも書いててくれればよかったのにと思います。

 一方、総論以外の部分はもうちょっと学問的、例えば神話時代と言われている夏王朝は史料の記述から書かれていることは事実とは思われないが、夏王朝があったとされる土地は塩の産地で、古代の一大経済圏の中心をなしたと思われる。・・・などは総論よりはよほど意義のあることを言っていると思います。
 この先生の魅力は想像力豊かな文章の書き方。だけど、事実と意見の境目がまったく見えないので、毒されないようにしないといけないななどと思いつつ推薦ですね。作家目指す人は影響されてもまったくOKだと思います。サラリーマンとか、何かの仕事人なら要注意。本それ自体はとても面白い。
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