このレポートは、交通機関の変遷と社会の変遷の関係について、突然ひらめいたことがあったので、自分の考えをレポート形式でまとめてみたものである。
結論から述べると、交通機関の変化は人々の生活に深い影響を与え、社会を変えることもしばしばである。ここからは、交通機関毎の主役であった時代に分けて、それぞれの時代の特徴を述べていこうと思う。
15世紀以降の、いわゆる大航海時代というものである。帆装が改良され、帆船の航続力が伸び、大洋を渡れるようになった。その結果、国境がのせいで、通れなかったり、通れても通行税を取られたりすることがなくなり、しかも陸上路に比べて大量輸送が可能となった。結果、輸送費が安くなって各国の通商関係は強化され、輸出産業が興ったり、不足した資源は簡単に輸入できるようになった。当然奴隷貿易も船の発達によるものであるし、本国から遠く離れた場所に植民地を建設できるようになったのも船の発達によるものだし、多くの遅れた国家を略奪できるようになったのも船の発達によるものである。
船の時代はまさに海国家の時代でもある。海国家の代表格といえば、ポルトガル、オランダ、イギリスであり、これらの国々が繁栄した時代でもある。陸国家の代表格である、イスラム、トルコ、ロシアは、反対に没落していったのである。
19世紀後半の、蒸気機関車の発明からこの時代は始まる。鉄道の特徴はなんといってもその高速性にある。また、現在の船ほどではないにせよ、大量輸送機関としての側面も持ち合わせている。特に海のない内陸部では独占的な地位を確立した。ただし、鉄道は建設、運行、維持の全てにおいて、巨大な資本を必要とする。しかし、それを考慮してもなお有り余るほどの経済的効果があった。このため、鉄道の時代は巨大資本の時代とも言える。要するに、金を持っているものが、鉄道を使ってさらに金を稼ぐ、という構造である。
この時代の軍隊の移動は主に鉄道であった。当時は戦車も軍用トラックもなかったから、兵員輸送も砲の輸送もすべて鉄道で行っていた。このため、ある地域の鉄道を所有していれば、その地域を軍事的かつ経済的に支配することが可能であった。また、植民地支配の強化にも役立った。
鉄道の登場により、海国家の絶対優位は薄れ、陸国家に有利な情勢となった。しかし、船もある程度は進歩したので、必ずしも陸国家の時代とは言い難い。
鉄道は人々の生活にも大きな影響を与えた。鉄道は電信と共に国家の一体感を形成させ、国家の支配力も大きくし、ナショナリズムが台頭する土台を作った。また鉄道駅から離れた地区と、鉄道駅の周辺地区との利便性の格差が非常に大きくなり、人口が駅周辺に集中し、駅を中心とした都市を発達させた。結果、駅前のデパートや百貨店が登場することになる。
特に日本では、郊外鉄道の発達により、東京・大阪といった、商業施設と住宅が完全に分離した今までにない巨大都市圏を形成させた。
20世紀初頭からこの時代は始まる。ただし、鉄道の時代と近いため、かなりかぶっている。特に日本の都市部においては、未だ鉄道の時代にどっぷりと漬かっており、完全に車時代に突入したのはアメリカだけであろう。
車の特徴は小口輸送とインフラ整備の容易性にある。鉄道という大仰なシステムに比べ、簡易に敷設でき、簡易に利用できるシステムが特徴である。また、24時間いつでも利用できるのもメリットであろう。ただし、これも大量の炭化水素燃料がある場合の話である。つまり、莫大な石油供給の上で成り立っているのが車の時代であり、「炭化水素の時代」と呼んでも過言ではない。
この小回りの効くシステムは、軍隊にうってつけだった。まず戦車の形で導入され、次に軍用トラックが走り始めた。戦車は非常に強力な兵器だったが、同時に大量の砲弾と大量の燃料を必要とし、結果として兵站能力が不足した。その拡充はトラックを以って行われた。当然トラックにしろ戦車にしろ石油が必要なため、また当時の軍艦の燃料が石炭から重油に代わったため、軍隊にとって石油供給は生命線となった。
ただ、車はむしろ市民の生活の方に大きな影響を及ぼしたであろう。今まで鉄道のなかった地区にも道路が敷設されるようになり、田舎の生活水準は著しく向上した。駅周辺部には鉄道の時代は全ての機能が揃っていたが、駅周辺部の道路が混雑して行きづらくなるとそれらが郊外に移転した。結果駅周辺部の機能が低下し、逆に郊外の機能が強化された。デパートのような駅に隣接した店舗が、ショッピングセンターなどの郊外に大きな駐車場を持った店に取って代わったのが、良い例であると言えよう。
物流においても、車は革新的な影響を及ぼした。コンビニの発達には、在庫を極限まで減らすことが可能となるだけの、迅速な小口輸送が不可欠であり、これは車があるからこそ可能となったことである。トヨタのカンバン方式などのコスト削減も、車の小口輸送に拠るところが大きい。(ただし、車の時代がなければ、トヨタは存在し得なかっただろうと言う矛盾もあるが)宅配便も、車がなければ、低廉かつ迅速な配達は不可能だったであろう。
火災予防の面でも車の影響は大きい。強力だが、巨大で、かなりのエネルギーを浪費する、消防装置を、火災現場へ迅速に運ぶ能力がなければ、我々は江戸時代のように、火災におびえた暮らしをしなくてはならなかっただろう。それは、大都市の密集した住宅街、商店街、ビル街の設立を拒み、都市化の妨げや地価の高騰に繋がったかもしれない。もちろん、救急車の存在も重要で、これで日本人の寿命はいくばくか伸びたのだろうと、容易に想像できる。救急車によって救われた人間が、どれほど社会に貢献したのかを算出するのは不可能だが、無視できるほど小さいとはとても思えない。
ただし、車の時代は環境の問題や、SF作家の小松左京氏が、「車などという非人間的物体が、人間を轢き殺しながら、我が物顔で走っている」と表現する問題や、道路整備の財政負担など問題点も多く、完全に車の時代が今後来るかどうかは分からない。日本は未だ車社会が理想社会象となっているようだが、ヨーロッパでは必ずしもそうではないようで、鉄道と車の住み分けが重要視されているようである。
一応第2次世界大戦前期からこの時代は始まるのだが、未だに本格的に突入してはいない。たしかに他の交通機関をはるかに凌ぐ高速性能を持っているが、搭乗前に30分も待たされる上、技術的にまだ未熟で、運賃が高価であることから、社会的な影響を及ぼすほど頻繁には利用しずらいために、少なくとも日本においては、飛行機が社会的な影響を及ぼす段階まで至っていない。結局、経済的な影響の領域を抜け出ていないのである。この領域を抜け出すには、1機あたりの価格を大幅に減らし、また、炭化水素に代わる超低廉な燃料を使用することによって、各々が飛行機(ヘリコプターになるであろうか?)を持つことが可能になる(車の代替になる)か、逆に飛行機を大型化し、多くの人・物が乗れるようになることで低廉化を目指す(船・鉄道の代替になる)かのどちらかの方策が必要である。(もちろん、両方やったって構いはしないのだが)
ただし、外交の面でいえば、飛行機は多大な成果を上げている。首脳会談などといった、各国の重鎮同士の話し合いは、飛行機がなければほとんど不可能であり、各国が外交折衝を行いやすくなった。また、国際連盟や国際連合などといった国際組織は、飛行機がなけば機能しづらいだろう。
また、飛行機は軍隊に大きな影響を与えた。一番大きなものは核兵器と飛行機やロケットを合体させた、戦略級核兵器の存在であろう。まさに「ボタン3つ(※)で」敵国のみならず、地球を滅ぼすほどの能力を、軍事大国は手にした。もちろん、この戦略級核兵器は、その破壊力だけでは、単なる超巨大自爆装置になるだけであり、飛行機やロケットといった輸送手段が不可欠である。また、核を使わずとも、開戦後1時間足らずで目標地点に爆撃できるようになったのも、飛行機の成果である。それ以前は、敵の主力部隊を殲滅させない限り不可能だった破壊行動である。飛行機の発達で、制空権が死活問題になるのは、ある意味当然だろう。それに併せて地対空ミサイルも進歩しているが、それを回避するステルス技術も進化しており、当分制空権の持つ意義は消えそうにない。
※私の記憶が正しければ、アメリカの核ミサイル発射許可は、大統領が3つのボタンを同時に押した時に成立する
これは日本に限っての話だが、日本の新幹線は日常生活にかなり食い込んでおり、社会的な影響を少しばかり与えている。確かに高い運賃から、影響は限定的だが、利用者はかなり多く、無視し得ない。特に新幹線を通勤で利用する人が少なからずおり、また、地方の人間が東京へ行きやすくなった事は、さらなる東京の発展に役立ったのではないか、と想像できる。
さて、未来はどのような交通機関が台頭するのであろうか?未来を予想するのはひどく骨が折れる。たとえノーベル賞を取った著名な科学者でも、伝説のSF作家でも、将来予想が外れることはよくある話である。まして、他人より多少は知識があったり、多少特殊な趣味を持つとはいえ、一般市民の一人である私の予想が当たるとは思えない。しかし、これは技術的なものに限った話である。「この技術が進歩したら、社会はどうなるか?」を予想すし、考えることは有益であり、大きく外れることはないものと考える。よって、ここでは3つの技術進歩のパターンから未来を予想してみたいと思う。
未来は現在の交通機関の改良にとどまり、大きな技術的進歩はなかった…という仮定である。今回は特にヨーロッパ的将来像を描く。近代的路面電車であるLRTが都市部で発達し、郊外列車も時速130〜160kmまで上昇、巨大都市間では時速300km超の高速列車が運行する。極一部では時速500kmのリニアも走り始める。車はエネルギーを炭化水素から水素に変更。環境問題を考慮する必要はなくなった。一部高速道路の高規格化で時速150km運転も始まるが、それ以外に大きな速度向上はない。船は省力化がさらに進行。燃料が新燃料に変わり、さらに燃費が改善される。速度は大きく変化しない。飛行機はさらに大型化が進む一方、裕福層向けにスペースプレーン(超高速旅客機)の運行も始まる。
…多少鉄道びいきだったかもしれないが、それにしても社会的変化を及ぼすのは不可能な程度の性能向上である。ただし、車社会だったものから鉄道が見直され、完全に双方が住み分けを行うものと考えられる。都市機能の都心回帰が少し進み、都心から郊外へ出る必要はなくなる。こうなると、スーパーは小型化し、デパートの復興があるものと予想される。その一方で、高速列車やリニアやスペースプレーンの影響は薄い。なぜなら、運賃が下がらないからである。政府系サイトに「リニアの開通で東京〜大阪は2時間で結ばれ、東京から大阪へ気軽に遊びに行けるようになる」というバラ色の未来を描いた文章があったが、残念ながら、リニアの運賃はただでさえ高い新幹線よりも高いものになると予想され、とてもではないが気軽に利用できないからである。スペースプレーンも同じである。(無論、既存の交通機関と同じ程度のコストで高速化できれば、急速に普及し、社会に巨大な恩恵をもたらすであろう)
所要時間が無視できるほど高速かつ高加速度交通機関が誕生した…という仮定である。それは宇宙戦艦ヤマト(古くて恐縮)のようなワープでもかまわないし、日本中どこへでも10分以内で行ける、安価な家庭用飛行機でもかまわない。とにかく距離を無視できるような交通機関で、しかもそれが低廉であれば良い。
この場合、社会は大きく変化するものと考えられる。まず都市が消える。都市のメリットは、そこへ行けば田舎に比べて多くの機能が集積しているという、その1つに限られる。瞬時に移動できるのであれば、別に1箇所にまとまる必要はない。同時に集落やマンションや団地等は、一箇所に集まるメリットが薄れるため、すべて消えてゆく。日本全体が田舎になる可能性も十分にある。また、コンビニや小型店舗は全て消え、商店は巨大化、寡占化が進む。スーパーの客層は、従来の片道20分圏から、日本全体に広がるので、良い店には全国から人が集まることになる。1円でも安い店には全国から客が集まるから、価格競争も激しくなるだろう。問題なのは、野次馬である。何かしら事件が起こったりすると、日本中、いや、ひょっとしたら世界中から野次馬が集まってくるわけで…。(そのうち刑法に野次馬の罪が追加されるに違いない)
ITが我々の予想以上に進展し、ついには人間が移動する必要性をほとんど奪った…という仮定である。この場合、人間がほとんど移動しなくなり、貨物のみが移動することになる。
人間が移動しなくなると、まず鉄道が大打撃を受ける。特に日本においては鉄道の中心が人であり、その中でも特に私鉄が大打撃を受ける。それどころか、全線廃線もありうる話である。JRはひょっとしたら貨物に特化して生き残るかもしれない。どちらにせよ、道路鉄道の半数程度は閉鎖に追い込まれるであろう。輸送分担比率的に言うと、船の比率が特に高まり、車と飛行機が現状維持、鉄道が激減する。国家は重い道路維持負担からある程度免れ、財政は改善されるであろう。鉄道沿線が過密の現状は相当改善され、日本全体が田舎となる可能性が高い。人間の買い物はすべて通販になるわけであるから、物流拠点の重要性は高まる。特に船の比率が高まると予想されるため、港周辺には一大物流基地ができるだろう。逆に言えば港の無い都市は急速に衰退する。ただし、高速道路も重要な物流ルートになるため、高速道路があれば衰退は軽微で済むだろう。
私の趣味丸出しのお馬鹿なレポートに付き合っていただき、ありがとうございます。もし、このレポートが面白かったという稀有な方がいらっしゃいましたら、メールしていただけると、その気になった作者が、うんざりするぐらいたくさんの追記を行うでしょう。というのも、情報不足で書きたくても書けなかった部分が結構あるのです。