Wort des Buches



kopi ende
 私は草の中に腰掛けて、羽のある人を見つめた。彼は私の視線など感じてないかのように振舞っていたが、飲んでいたグラスが空になると立ち上がり、羽を使わずに、こちらに向かってゆっくり歩き始めた。私は不意に胸のドキドキを感じ、それにとまどい、顔を赤らめた。逃げ出したいような気持ちに駆られ、足がそれを促すかのようにむずむず動いた。そこに座り続けると言う私の決心をゆるがせるほど、ゆっくりと時間は動いた。あとほんの少しでも遅かったら、きっと、私はその場からいなくなっていただろう。気がついたら、すぐ目の前に羽のある人がいて、その服の長いすそが、一瞬私の視界をさえぎり、私は何が起こったのか分からないままに、その服のすそから立ち上る香りに包まれた。その香りに頭がくらくらするのを感じた。次の瞬間には、羽のある人は私のすぐ隣に腰掛けていた。私はさっきの残り香を鼻の奥に感じながら、彼の顔を見た。すると、その顔の上を、昔、好きだった人たちの顔が次々と、スライドを先送りするのかのように、よぎっていった。覚えている顔もあれば忘れてしまっていた顔もあった。そういう顔がまた私の忘れていた思い出を次々よみがえらせ、その激しい奔流に耐えられなくなり、私は目を閉じた。「ずいぶんとまたいろいろ忘れていたものだ」と私は固くつむった目の裏で思った。 いつの間にか人を好きになれなくなって、いつ鏡を見ても、うつろな目をしていた自分を思い出した。そしてとうとう、自分が夢の中でずっと追いかけていたもの、逃げていたものが何だったのかが分かった。「私の顔が見えなかった理由がやっと分かりましたか?」両肩に手がそっと置かれ、「恋をしたら、その時、あなたに私の顔が見えるでしょう」と羽のある人の声が優しくささやかれた。わたしはうなずいた。またいつか、会いましょうと心の中でつぶやいた。

Kluntje NR.15 29-10-04







kopi wald
 階段は1つの扉の前で終わっていた。何故かその向こうにあの部屋があり羽のある人がいると言う確信があった。私はドアをノックして返事を待った。しかし意に反して何の反応も返ってこず、私はおそるおそる扉を開けてみた。部屋の中は湿気と湯気に満ちていて視界が利かなかった。一歩踏み出した途端足元が草地なのに気づいた。絶え間なく流れる水の呟きが聞こえる。もやの向こうから聞こえてくる話し声を耳が捉えた。私はその声をたよりに先へ進んだ。草は露で濡れており、さらにところどころに小川の瀬がいくつもあり、まもなく私は足先を濡らしてしまった。私は靴と靴下を脱いではだしになった。水はぬるく、草は水底では絹のように柔らかく私の足を包み、水のないところでは心地良いくすぐったさで私を満たした。突然もやは途絶え私はそこから抜け出したことを悟った。寒い季節の、とある晴天の日のようなやさしい光が差し込んできて、ここからさほど遠くないところに木の固まりがあり、羽のある人たちが飛び回っているのが、立ち並ぶ幹の間からちらりと見えた。私がたどってきた声もそこから聞こえてくるらしい。 近づくにつれ木の固まりと見えたものは円形の広場の周りに立てられた、見たことないほど背の高いポプラ並木であることが分かった。こじんまりとした広場の真ん中には、私の背丈ぐらいであろう植物が小花をこぼれそうにつけ、群れを成して生えていた。スズの大釜がその上にすえられ、そこから湯気が流れ出ている。足を止め見ていると、羽のある人達はそれぞれ金属の持ち手のついたグラスを持っており、湯気を立てている大釜から液体をグラスに注ぐと、大釜を支えている樹木の、ピンクと紫の小花のびっしり咲いた小枝をぽきりと折り取り、それでグラスの中身を優雅にくるくると混ぜ合わせた。ころあいを見て小枝をすっと持ち上げると、花はすべてグラスの中に落ち手の中に残ったのは枝だけになった。花の取れた枝は、まるで金で出来た細い箸のように、まっすぐできらきらしていて、羽のある人はいとおしそうにそれをちょっとの間眺め、しずくのついた枝を右から左にスッと舐め、きれいになった枝をベルトの間にはさみこんだ。人によってはかなりの数の金の枝がベルトと服の間に差し込まれている。 私はあの部屋で羽のある人に入れてもらったゼリーの味を思い出そうとしたが、記憶はよみがえってこなかった。私はポプラの幹の陰に隠れて、グラスを持ったまま空中を飛び回る羽のある人たちを観察した。皆同じ服を着て同じ髪形をしていて、顔はこれまた同じに見えた。「これでは誰があの人か分からない」と私は思った。違うのはその瞬間瞬間の動作とベルトに差した枝の数ぐらいだ。これは個人で差があり、私は何となく花無しでゼリーを飲む人もいるのかと思った時、脳裏にあの部屋がフラッシュバックし、ゼリーを飲む時にそのままストレートで飲んだことを鮮やかに思い出した。何も入れないゼリーは何の味もしなかった。ただ温かくてドロリとしているだけだった。だから思い出せなかったのだと分かった。私はドキドキしながら羽のある人たちの腰を1人1人調べた。枝の差さっていない人が1人だけいた。その人はポプラの根元に腰を下ろしていて、口元にグラスをゆっくり運んでいるところだった。一瞬間目があったような気がした。

Kluntje NR.14 19-09-04







kopi treppenraum
 私はビルの横にぶら下がる、窓ガラス清掃用のゴンドラの中にいる。周りは見渡す限り同じようなビルの立ち並ぶオフィス街で、前面にそびえ立つビルを見上げると、一面に紺色の夜空と星が映っている。冬が近いのか空は透明感のある濃紺で、そこで輝く星は異様にぴかぴかしている。吹きすさぶ風は冷たく、ゴンドラを不安定に揺らし、私は寒さのあまり両腕で体を抱きしめた。ゴンドラから地上を見下ろしたが、自分以外に動くものは見当たらない。最初は間近に見えた地面も、見る間に遠ざかり他のビルの屋上をはるか下に見下ろすぐらいの高さまで上昇した。どうやらゴンドラが動いているのではなく、ビルそのものが上に伸びているらしい。やがて私が乗り込んでいるゴンドラも雲の中に突入した。 先ほどのオフィス街は飛行機の窓から見る夜の都市のように、下のほうで道路を縁取る光の点の群れとなっている。こうなると怖くて下も見下ろせなくなった。ゴンドラを操作しようにも操作盤が見当たらず、途方にくれた私は伸びていくビルを見上げた。周りは一面、雨雲を思わせるグレーの雲に取り巻かれていたが、ひとつの雲の峰に街灯のような光源が一定間隔を置いてぽつぽつと並んでいるのが見えた。どうやらそこに道路があるようだった。そこはもちろん雲の上なのだけれど、なぜか地面がしっかりしているようで、それにきっと人もいると思われ、私はこの不安定でさびしいゴンドラを脱出して、一刻も早くそこにたどり着きたいと思った。どうやらこのビルの屋上が、都合よくその道路のある雲の峰に接岸しているようだった。巨大な一枚の鏡のように見えていたビルの窓ガラスが、実は外からでも開けられることに気づき、早速私はビルの内部に入り込んだ。中は白で統一された事務所の一室だった。事務所の入り口はわずかに開いており、その先に階段室があるのが見てとれた。 エレベーターもその扉に並んで設置してあったが、完全に停止していたので、私は薄暗いオレンジ色の非常灯の照らす階段室に足を踏み入れ、迷わず上りの階段を選んだ。ある程度まで登ったと思われたがそれらしいドアを見つけることは出来ず、私は疲れを感じて階段に腰掛けた。段はまだまだ上に続いている。ふと、今まで気づかなかったが階段の一段一段にきらきらした金粉のようなものがたくさん落ちている。目を凝らすとそれは段を下に下りていく靴跡なのが分かった。瞬時にして上に行きたかったら下に下りる階段をとらなければならなかったのだと悟った。金色の足跡はくっきりと、もはや見逃せないぐらいの明瞭さでそこにある。しかし私は再び階段を上り始めた。階段室の壁がだんだん迫ってきて、人一人通れるぐらいの幅しかない。天井も階段そのものもぐにゃぐにゃとゆがみ始めた。それでも私は上り続ける自分の足を止められない。階段室の非常灯はいつの間にか血の様な暗い赤になり、視界の利かない中で金色の足跡は燃えるように輝き、逆に向かう私の足を重ねたとたん、 あっという間に緑青色のこげに変わり、もう見つけることが出来なくなった。

Kluntje NR.13 06-09-04







kopi wasserfall
 雨続きのある日夢を見た。 私は例の部屋にいて椅子に腰掛け、雨の音を聞いていた。 室内にいるのに、まるで屋外にいるかのような雨音が私を包み、湿気と冷気で体は冷たかった。突然、自分の後ろにあるはずの壁がないのだということに気づいた。雨音は絶え間なく流れ落ちる水音に変わり、私は後ろを振り向こうとした。その時私の両肩に手が置かれ「後ろを振り向いてはいけませんよ」と言う声が聞こえた。しょうがなく私は正面の壁を見つめた。オレンジ色に照らされるその壁は、よく見るとひび割れだらけだった。こうして見つめている間にも、ひびが増えていくようだった。木の床はいつの間にかむき出しのコンクリになり、水が向こうからこちらへざあざあ流れていた。部屋は長い廊下に変わり、そこを照らす照明は暗くて惨めなものになった。私は足元を流れる水の中、相変わらず椅子に腰掛けており、肩を何者かに押さえられていた。はるか後ろでドオンという音がどこか深いところから響いてきて、その音から想像できる、後ろに広がっているであろう空間の広さと深さを思って心底寒気がした。私は後ろを振り向いて確かめようとした。その時、肩に置かれた手に力が入り、手が触れている部分が暖かくなった。向こう側から金縁の豪華な鏡が、水面に半分顔を出し鏡面をこちらに向けて流れてきた。金縁がとりわけきらきらと光った時、私は鏡を覗き込んでしまいそうになったが「後ろを見てはいけない」のを思い出し踏みとどまった。鏡は流れていった。私は水にじわじわと流されつつあった。つま先で踏ん張ろうと思ったが、その時には、椅子の脚が私の足よりずっと長くなっていて、床に足が届かなくなっていた。 椅子の足は、ものすごく細くて、流れのせいで不安定にゆらゆら揺れ、今にも折れそうだ。もはや私は椅子の上で硬く体をこわばらせているほかない。肩をつかんでいた手の暖かさは微塵も感じられない。流れる水が滝のように落ちていくところ、すなわち廊下の突き当りまで椅子は流された。私が落ちるのも時間の問題だろう。なのに椅子は信じられないほど細い脚一本でバランスを取り流れと重力に逆らっている。流れに翻弄され私の乗っかっている椅子はぎしぎし揺れる。水の落ちていく先はきっと底がない滝つぼだ。その時またドオンと言う重低音が空気を震わせた。その衝撃は私の体を突き抜け、私を支えている椅子の脚にひびを入れるのに充分だった。もう我慢できない、私は自ら椅子を蹴り下に広がる想像できない深みに飛び込んだ。

Kluntje NR.12 27-07-04







kopi spaete 2
 昼間向かいの建物の屋上を眺めるとあの部屋が無表情でそこにある。その扉はまるで壁に書いた絵のようで、開くことなどないように思われ、ぴったりと閉じられた合わせ目は私がそれに目をやることすら拒んでいるようだ。だが夢の中でその扉は確かに開かれた。そしてそこに羽のある人がいるのだ。ある夜気づくと私はすでに夢の中で、いきなりあの部屋の中、羽のある人とテーブルで向かい合わせに座っていた。手元には左右に持ち手の付いたカップが置いてあった。部屋の中はぼやけたオレンジ色でこの前と同じだと私は思った。羽のある人はテーブルの上で軽く両手を重ね合わせていた。私はその手を眺めた。そしてこの前顔が見られなかったことを思い出し今度は手を観察した。女性のような手だった。私はその手をそのように組まれた状態でどこかで見たような気がしてきた。記憶を探っているとその人は口を開いた。「あなたは夢の中で会いたいと思う人がいるのですか」「分かりません、」と咄嗟に言葉が出た。少し考えて次のように答えた。「ただこうして会えたあなたが、私の心の中にいる誰かのような気がしました」羽のある人は少し笑ったように見えた、そしてこう言った。
「残念ですが、私はあなたの記憶の中の誰でもありませんよ」何かすごく失礼なことを言ってしまったことに気づいて謝ろうとした時、 キッチンでやかんがピーッと鳴り出した。羽のある人はその音を聞いてあわてて立ち上がった。「おっといけない、沸騰させてしまった。熱すぎるゼリーなんて飲めたもんじゃない。ちょっと失礼。」

Kluntje NR.11 12-07-04







kopi spaete
 いつものように窓から向かいの建物の屋上にある建物を見ていると、その扉が突然開き、オレンジ色の部屋の明かりが外に漏れ誰かが首を出した。きょろきょろして何かを探している様子だったが、相手がこちらに気づき目が合ってしまった。その人は部屋の中を指差して見せた。私にはその身振りが、こちらに来ないかと言っているように思えた。私はうなずき、相手はドアを開けたまま部屋の中に消えた。普段用心深い私が知らない人の招待を受けるなんて事はありえない。以前羽のある人が空から舞い降りてきた時に横着せずに梯子をきちんと使ったこと、そしてその時の少し疲れたような後ろ姿が、何となくいい印象として残っていた。そして私はこれが夢なんだと分かっていたのだ。次の瞬間私は半開きの部屋のドアの前に立っていた。一応ドアをノックしてから入った。部屋の主はオレンジ色の照明に照らされた部屋の中にいた。そばにあるテーブルと椅子を勧められた。私の前には、持ち手が両脇についたお茶のカップが受け皿と一緒にすでにセットしてあった。
 私はお礼を言って腰掛けると正面の顔をじっと見つめた。 なんとも形容しがたい顔だった。じっと見ているとどんどん違う顔に変わっていきピントもぼけ始めた。私は顔を見るのをあきらめた。「羽があると大変ですよ」とその人は言った。「身だしなみもだけど部屋の掃除が」言われてみれば部屋の床には白い羽毛がちらほら、テーブルの上にものっかっていた。「前に一度あなたを見たことがあります」と私は話した。「あなたが空からゆっくり降りてきて、梯子を使って、ここに入るのを見たんです」羽のある人はうなずきながら目の前においてあったカップに透明の液体のゼリーを注いでくれた。「羽がある代わりに足の力が弱いんです。長いこと立ったり歩いたりはものすごく苦手で、雨が降って羽が濡れたりなんかすると動けなくなるんで大変ですよ。ちょっとだけでも足を鍛えようと思って梯子を取り付けたんですが、なかなか思うようには行きませんね」そう言うと自分のカップに注いだゼリーを飲んだ。

Kluntje NR.10 03-07-04







selbstaendig
 中二の時新しく出来た友人たちは今までのとは違うタイプだった。どちらかと言うと不良に見られてしまいそうな雰囲気を持った、何となく「すすんでる」子たちだった。それまで友人関係というと支配するかされるかだった私だったが、新しい友人たちとの関係は何もかもが驚くほどしっくりいく感じだった。皆私に無いものを持っていて大人っぽくて、見かけも頭の中も子供だった私は夢中になった。そんな憧れの存在が私をグループに入れてくれるという事実が、私を喜びと誇らしさで満たしてくれた。それまでたまに登校拒否をしたりしていた私が、学校生活を心から楽しいと思えたのは彼女たちのおかげだった。 だがその夢のような関係はあっさり崩れた。 夏の行事で2泊3日のキャンプがあった。不安発作をたまに起こす私は参加をためらったが 友人たちと一緒にいたいという気持ちが勝ち参加に踏みきった。キャンプの最初の晩、消灯後に私の不安発作はやって来た。苦しさと恐怖で私は大騒ぎをし一旦消えた照明がそのせいですべて点いた。誰かが先生を呼びに行き、歩くのもままならない私を彼女たちが先生のロッジまで連れて行ってくれた。そこで真夜中だと言うのに数時間も彼女たちは私に付き添い、根気強く私を慰めてくれた。そのおかげで私は徐々に落ち着きを取り戻すことが出来た。彼女たちが周りにいてくれたことで発作がおさまったのだと、私はそれを友情以外の何物でもないと心から思った。キャンプが終わり1日休日をはさんで学校が再開したとたん、彼女たちの無視が始まった。訳が分からないうちに私は絶交の手紙を受け取り、電話で嫌なことをたくさん言われ、孤独に追い詰められた。キャンプでの私の態度が彼女たちを混乱させ、苦しめ、悩ませたのだと今なら分かるが、その時は理解できず、突然の彼女たちの豹変ぶりに胸が張り裂けるかと思うほど悲しく辛く、泣いてばっかりだった。その経験は私に、友情を保つ上で、自分が不安だからといって他人に何を求めても許されるわけではないと言う当たり前の事を学ばせてくれた。 今でも不安発作は時と場所を選ばず突然やってくる。だがその時せめてそばにいる人への配慮を忘れないような自分になりたい。そしていつか不安発作を乗り越えたいと願っている。

Kluntje NR.09 21-06-04







buch
 本を私に教えてくれたのは母の姉である伯母だった。 その伯母が持ってきてくれる本が私の周りに常にあり、従姉から本のお下がりをもらい私は小さな頃から本に囲まれた生活をしていた。伯母と従姉のおかげで私は苦労せずに面白い本を手に入れ、それを読むことが出来た。私はだんだん自分から本を探して読むようなことはしなくなった。今考えるととても受動的な子供だった。 大学生になる前に一年浪人した。その時地元の図書館に通い詰め、昔読んだ児童書に勉強も忘れ没頭した。昔読んだものがなくなると、自分の好みに合うような題のものを探して借りた。初めて自分の主観で選んだ本は内容が期待と違うことが多く、面白くないものもいっぱいあったが、私は読書を止めることはしなかった。そんな中で面白いと思える作家の作品と出会えるとものすごくうれしかった。しかしそれはほとんどが、一度読んでいたのに忘れてしまっていたものや、伯母たちから聞いたことのあるものばかりだったことに気づいたとき、いささかうんざりした。私だけが面白いと思える本を私も見つけ出したいと強く思った。そうして今まで読んだことのなかった本の中に、初めて自分のお勧めだと胸を張って言える本を見つけたときの喜びは今でも忘れられない。 日本を離れてから本への重度のホームシックにかかった。日本語の書籍を扱っている店が国内に2、3軒しかなく、値段は倍近くしたこと、品揃えの悪さが恋しさに拍車をかけた。その結果自分の読むジャンルと全く異なるものでもしぶしぶながら読むようになった。それぐらい母国語で書かれた本に飢えていた。私はこの歳になってようやく、ジャンルは違えど面白いと思える作品もあるのだということを学んだ。今までの決まったジャンル、決まった作家などと、選ぶ本を自ら制限することで面白いものを吸収するチャンスを逃していたのだと思い知った。こちらでの滞在も長くなり、日本からたまに従姉が書籍を郵送してくれるのはとてもありがたい。送ってくれた本の作者名や題名を見て、まだ自分の知らない作家が山ほどいるんだなと実感する。従姉の本に対する眼は確かで大体私の好みに合い、なおかつ面白いものが多い。 今私は生涯2度目の本が読めなくなるという時期にさしかかっている。読みたい本が手元にあるのに何故か集中できない。読もうとする本が私に心を開いてくれず沈黙している。私もまたどうやって今まで本を読んできたのかが思い出せない。以前は新学期に出来た友達がきっかけとなりまた本が読めるようになったのだが、今私はすでに大人でありあの頃よりも多くの本を読んでいて、ちょっとしたことではこの戒めは解けないのではないかと恐れている。ただひたすらこの時期が過ぎるのを待ち続けるしか私に道はないような気がしている。

Kluntje NR.08 13-06-04







woelke
 空を見上げると迫り来る大きな雲。遠くでしか見ることの出来ない雲と言うものは目の前で見たら、どれぐらいの質量や密度なのだろうか。夏場になるとたまに、触って握れるんじゃないかと思うぐらいきゅっと目の詰まった雲を見かける。雲の命は3秒と言うらしい。ぱっと見た感じ分かりにくいが刻々と形を変えているそうだ。羊雲や筋雲の場合ならそれは納得できるのだが、上に大きく膨らんだ入道雲を見ていると、不動で何だか圧倒されてしまいそんな短い時間しか形を保てないなんて、嘘のような気がしてならない。 アニメのナウシカでペジテの飛行船が襲われて、雲の中に逃げ込むシーンがある。 追っ手が「バカめ!雲の中は乱流と電気の地獄だ!」みたいなことを言うのだが、それがずっと記憶に残っていて、雲を見るたび雲の中は雷地獄と言う考えが頭をよぎる。もうひとつ雲といえば、忘れられないシーンがある。モモちゃんという少女の出てくるおはなしの一場面である。モモちゃんがお母さんとけんかをして雲の上に行く特別な電車に独り乗り込んでしまう。そこで雲をちぎっては食べちぎっては食べし、その味はわたあめみたいとかママの味とか表現してあった。子供の頃はそこを何度も読み返し味を舌の上に想像したものだった。もしも遠くに見えるあの雲がそんな味で、一口でも味見できたらたとえ中が電気地獄でもかまわないや…なんて思ってしまうのは私だけではないに違いない。

Kluntje NR.07 05-06-04







aussen
 木々に花が咲く季節になった。どこの家の庭も花盛り、庭のない住居でもベランダに花かごが吊るしてあったり、窓際に花びんが置いてあったりで、町中にかわいらしい色が氾濫する。道の両側に植えてある背の高い街路樹も、真っ白な花の長い房をつけ、花びらを道行く人々の頭上に盛んに降らせる。その花びらの降りしきる中ゆっくり歩くのはとても気持ちいい。太陽は朝早くから夕方遅くまで地上にあり、その光の角度で花の色もまた微妙に変化していく。小鳥はひなを連れあちこち飛び回ってせわしく鳴き、羽虫の大群が黒い固まりとなって頭の高さに浮かび、つい最近まで土しかなかったところに草が芽を出し、地面を緑色に染める。春は誰の元にでも平等に訪れる。我が家も花や緑でいっぱいにしてみたいが残念ながら私は少し花粉症気味である。実のところ毎日散歩に出るだけで、目に見えるほど空中を漂う花粉やちりでのどがちくちくし、くしゃみも出、目には必ずごみが入る。家の中までそんな状態ではたまらないから植物を置かないことにしている。家の中が殺風景なせいで外に出て花や木を見るのが楽しみになっている。やがて花はほとんど散るがそのあとに全盛期を迎える葉っぱの緑も、今から心待ちにしている。

Kluntje NR.06 29-05-04







traum
 夢の風景はなぜか凝視に耐えられない。 手の中にあるもの、相手の顔、壁の模様、看板の文字などじっと見つめて観察しようとすると、みるまにピントがぼやけ、輪郭線が溶けばらばらになったり、時には目が覚めてしまうこともある。だがあるものが自らの存在を主張し、私の目をひきつけるような夢をたまに見る。そういう夢は「感じる」ことの出来る夢だと思う。記憶に残らずただ右から左に流れるような夢をただ「見る」だけの夢とするならば、この「感じる」夢には生命の息吹のようなものがある。何か起こってもどこか他人事的な「見る」夢と違い、自分が当事者であるという実感がある。そして視覚以外の皮膚感覚や聴覚にも何かしら訴えかける強烈な要素を持っていたりする。 私の場合それは鮮やかな色で表現されることが多い。黄色の砂の上を走る紺色の蒸気機関車や闇に浮かぶ真紅の骸骨などがその例である。夢の世界にしては色が強烈過ぎて忘れることが出来ない。 体感できる夢は正直疲れることもある。誰かが死んだり怖いものが出てきたりする。だが起きた後に忘れたり薄れたりしてしまうことなく、記憶や網膜に染みのように残る夢の断片をいとおしいと私は思う。夢というものが自分が自分に宛てたメッセージであるならばそれをより深く知りたいと感じるのはおかしなことだろうか。風景を眺めるように見る夢よりも自分自身が体験出来る方の夢を私は望む。そして一度でいいから夢の中で気が済むまで物事を観察してみたいものである。

Kluntje NR.05 23-05-04







treppen
 昔友達の家で屋根裏部屋に入れてもらったことがある。 それは入り口が押入れ上段の天井にあり木の階段で繋がっていた。 初めて入った天井裏は薄暗く埃っぽく部屋というよりねぐらという感じがした。子供心にとても楽しかったのを覚えている。 当時団地住まいで自分の部屋も無かった私は誰にも邪魔されることのない秘密の隠れ家にものすごく憧れを持っていた。 私は押入れや食卓の下を遊び場に選び、少しでも雰囲気を出そうと 布をかけて薄暗くしてみたり中にスタンドを持ち込んだりしてがんばった。しかし時間になると遊びは中断させられ、ねぐらは解体させられうんざりする事がほとんどだった。 大人になった今でも、何か物語が始まりそうな風景を見つけてしまった瞬間、私の心の中にいる子供の自分が騒ぎ出す。 この先に何があるのか知りたいと思う自分と、そんなことは非常識だと思う自分が一瞬間対立する。高確率で分別が勝利し、子供の自分は未練を残しながらも再び静かになる。 だが何度も目にするたび子供時代がそのつど起き上がってくる。 回数を重ねれば重ねるほど、大人の自分が抑えようとする小さな自分の反発力が大きくなるのだ。 もし気持ちが一人歩きできるならば、それは確実に私の体を離れ、探検しに行ってしまうだろう。むしろそうあればよいと私は願う。 探検したくてたまらない私の気持ちが、きっかけをつかんで眠りの中から起きあがってきた時、気の済むまでその場をさまよわせてやれたらと思う。そしてたくさんの思い出と発見を持って、本体の私のところに戻ってきてくれたら、それはどんなにうれしい事だろう。

Kluntje NR.04 14-05-04







doubutu
 空っぽの檻を見ていると鏡越しに見た部屋の中の様な居心地の悪い気分に襲われることがある。 何もないのに突然鳥肌が立つような、正体不明の嫌な気持ちだ。 だから中身のある鳥かごや檻を見るのは安心できて好きである。 だが檻の中に肉食獣が入っていると私は檻の構造に不安を覚える。 年代が入っているような檻だと不安感は増す。 腐っても野生の動物なわけで、いつ破られないとも限らないと思ってしまう。  一般的に檻は中に入っているものより外にいるものの方が偉いような感じがするが、考えてみると中にいるものが危険で手に負えないため檻に閉じ込めるわけであり、檻の中身を人間は非常に恐れている。 動物園に行くと自分が動物を観察しているような錯覚に陥るが 人間は動物を閉じ込めているのではなく 厄介だから中に入ってもらっていると言う感じもする。 運良く私は動物が檻を破って逃げた場面に出くわさないでいるが、檻に対しての人々の盲目的な安心感に疑問を抱くことがあり、動物にはたまに檻から外に逃げ出したりして、世間を騒がして欲しいと密かに思っている。

Kluntje NR.03 08-05-04







kopi
 これは何のための部屋だろう? 最初はただの階段室かと思っていたが、アンテナと煙突があることから どうやら小さな部屋になっていることが想像される。 特に気になるのは屋上に向かって伸びる梯子。 そこに登るアンテナ修理工や煙突掃除夫を目にしないだけに謎は深まるばかりだ。 向かいの住居の上にあるので窓から外を見れば 否が応でも視界に飛び込んでくる。 気がつけば一日のうち一定の時間はその部屋を眺めてしまっている。 そんなある日夢を見た。 私はいつものように窓からその小さな部屋を見ていた。 突然羽の生えた人がその小さな部屋の屋上に降り立った。 そうっと羽をたたんで梯子を伝ってドアの前に立つ。 ポケットから鍵を出しドアを開けると中から電灯の光が漏れて その中にその人は入っていった。 なるほど羽のある人は屋上から入れたら便利だなと私は一人うなずいた。

Kluntje NR.02 03-05-04







kabe
 とある煙突の煙出し、これが私には鳥箱に見えて仕方ない。特殊な煙突なのかと思ったが同じ建物のほかの煙突にはこんなものが乗っかっていたりしない。 ここだけなのである。 このあたりはこの国の中でもとりわけ自然の少ないところである。 自然遊歩道はあるがお情け程度、そこで見られる鳥の種類は限られている。 そんな居場所の少ない鳥のために大家もしくは住人によって置かれた鳥箱だったらどんなに素敵だろう。 その鳥が時々煙突を通って部屋の中に入ってきたりして日常がわくわくするものになったりはしないだろうか。癒されるものの少ない この都市において数少ない心の休憩所のひとつである。

Kluntje NR.01 26-04-04







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