アダルト・チルドレンの叫び  第10回  区別と差別の違い  兄弟があまりに違うとよく「本当に兄弟なの」と言われたりする。し かし、同じ親から生まれたというだけで似ているに違いないというのは 単なる思い込みではなかろうか。そう、兄弟と言えども違う。そのため に扱いが違うということはあるだろう。しかし、だからといって愛情に 差をつける言い訳にするのはいかがなものだろうか。  もちろん、こんなことをわざとする親というのはめったにいない。た いていの場合、扱いが違う区別のつもりが愛情に差がつく差別になって しまっている。親から見ると区別だが子供から見ると差別だということ だ。いたしかたない場合もあるだろう。しかし、私と4つ違いの弟との 場合は、どうも「いたしかたない場合」ではないような気がする。  私は今年1月、親に内緒でパソコンを買った。それが母親にばれたと きの言葉が許せない。 「弟と共用にするなら(お金を)出してあげてもよかったのにね」 家族共用に、と言うならまだ話はわかる。だが、なぜ弟が使うなら出す という話になるのだ。それなら2人で半分ずつ出し合うのが筋ではない だろうか。親が助けるのは筋違いだ。  弟は高校卒業後、小学校時代からの親友が行くこと以外の理由なしに 私立の工業大学に入った。私みたいにどうしても数学を学びたいだの、 視野を広げたいだのといった理由がない。そのうち、その親友が経済的 理由で退学せざるを得なくなった。そして、弟はレポートを書けなくな った。親友がいなくなって友人の輪から外れ、レポートの情報が来なく なったためだ。弟は昔から友人作りが下手だった。したがって、レポー トの情報が回ってくる友人を改めて探すこともできなかった。そして弟 は退学した。  私は集団付き合いが下手。弟は集団付き合いが上手。これが昔からの 親の評価であった。そもそもここからして実態を把握していない。私は 集団付き合いが下手なのではない。高校卒業の頃までなじめずに、不器 用にぶつかってもめただけだ。また相手の方も私の人格を理解していな かったためにもめたところもある。よくある子供のケンカと大差はない。 なのに、私だけがいつも怒られた。これでは弟はぶつかるのは悪いこと だと思ってしまう。そして弟はもめごとを起こさない事ばかり考えた。 親はそれをほめた。ところが、これは裏を返せばいつまでたっても心か らの付き合い方を覚えない。私の付き合い方のすべてを否定するからこ んなことになったのだという自覚が親にはない。ぶつかって付き合い方 を覚える人も多いのに。  今、弟はどこかの学校に行くつもりもなく、かといって働くつもりも なく、ただただぶらぶらしている。というより閉じこもっている。それ を、親は精神的に大変なんだからと黙認している。ふざけるな。精神的 に大変なのは私の方だと言いたい。毎日神経が弱って動きのにぶい体を 無理して動かし、弱っている神経を使って仕事をして、そのうえ家に帰 ればストレスの嵐。そりゃ、その分癒しには役立っているが。  それを言うと、「あんたは強いからほったらかしておいても大丈夫だ と思っている」なんて言い出すのである。そりゃ、私はほうっておいて もどこからか方法を探し、いつのまにか治している。しかし、その過程 でどうしても起きることがある。それは神経症と、それに伴う不安発作 だ。これに対する親の視線は冷たい。「ほったらかしておいても大丈夫 だと思っている」などと言うなら、冷たい視線を向けるな。発作がます ますひどくなる。しかも、発作など起こすときはたいていとんでもなく 神経が弱っている。確かにほうっておけば収まるが、冷たい視線など向 ければとんでもなく弱った神経に大ダメージを与えることがわからない のだろうか。収まったってダメージは残るぞ。  そのうち、弟が自動車免許を取りたいと言い出した。親が料金を全額 出すというのである。これを聞いて、私はまたやっているなと頭が痛く なった。少なくとも、料金全額出すのはやめなさい。免許の教習料金な んて安いものじゃないんだから、できる範囲でアルバイトなりさせろ。 大学生だってみんな頑張ってアルバイトして取ってるんだぞ。大学生の うちに稼ぎ切れない人は、就職してから夜や休日に頑張って通って取っ てるんだぞ(私の周囲がそういう人ばかりなのかもしれないが)。  しかもそういうことで、いつだって犠牲にさせられるのは私である。 「何で弟をそんなに嫌うの」と言うなら、1日も早く差別をやめなさい。 やめられないなら言うな。私はまだそこまで、回復していない。