アダルト・チルドレンの叫び  第13回  精神科の意外な効用  幼い頃、薬が飲めなかったという人は結構いると思う。実際に聞いた ことはないが、今はそう確信している。昔はそんなのは自分だけだと思 っていたが。もっとも、飲めない形は人によって違うと思う。私の母親 は粉薬が飲めず、オブラートに包んで飲んでいる。父親は錠剤が飲めず に母親に割ってもらっている。  ちなみに、私は錠剤が飲めなかった。それを母親と祖母に怒られ、そ んなんじゃ病気になったらどうするのと脅かされた。そう言われてます ます落ち込んで錠剤嫌いになったものだった。  ところが実際、困ることはなかった。病院行きになるような病気をし たことはあまりなかった。それでも錠剤に関する嫌な思い出はどこかで 忘れられないまま23歳で精神科に通うことになった。  ここまで書くと誰もが先を想像できるだろうが、精神科で錠剤を処方 された。嫌な思い出の話はしたが、すごく小さな錠剤だった。飲めるの ではないかと期待したら、本当に飲めた。幼い頃あんなに苦労したのは 何だったのだろう。怒られ脅かされだったから飲めなかったのかもしれ ない。飲めると言われたから飲めたのかもしれない。  それからというもの、結構いろいろな錠剤を処方されたが、ことごと く飲んでしまった。なぜかだんだん大きな錠剤になっていくのだが、な んてことなくなってしまった。極めつけは前ならこわいだけであった錠 剤タイプの栄養補助食品を平気で飲むようになってしまった。  脅かされはしたが、結局どうということはなかった。飲めると思って 飲んだら、本当に飲めてしまった。飲めなくてもどうってことはないと いうことを学び忘れてしまったが。  19歳で修羅場を抜けてから癒された小さな傷は数え切れない。錠剤 の話はそうとう遅いほうである。  例えば、字に関する傷があった。幼い頃から「あんたは私に似て、字 が汚いから…」と母親に言われ続けてきた。しかも母親は、父親や弟の 字をしつこいくらいほめた。それで悔しくなり、通信教育のボールペン 字講座を終了して硬筆書写検定(いわゆるペン字検定)3級を取ってし まった。そしてわかったことだが、父親や弟の字はそんなにきれいでは ない。私の字もそんなに汚くはなかった。ただ昔は汚かった。それは先 程の薬の話のように、割と誰にでもあることであろう。見ていていけな いなと思うのが、父親や弟がよく字を崩すためか母親も字を崩し、その ために汚い字になってしまっていることである。私はめったに字を崩さ ない。崩したところで教わった崩し方以上に崩さない。下手に崩すと単 なる読みにくい字になってしまうのがよくわかっているからだ。そのた めか字をすぐ崩して自分の字を汚いと言う母親の気持ちがわからない。 正直なところ、字など読めればどうだっていいはずなのだが、どうもそ う思い切れないところがある。  他に、歌が下手だ、音痴だと言われ続けた傷もある。誰が言い出した か忘れたが、なぜか母親や弟はそう思い込んでいた。高校のとき言われ 続けたのは覚えている。それに対して音楽の先生が反論したのも覚えて いる。すっかり癒されて忘れてしまったところも大きいが、大学で合唱 をやりたいと言った時に反対されたことは覚えている。ところが、そう して私は自分の音楽好きを知ることとなった。聞くだけじゃ満足できな いのである。しかし楽器だけではよほど好きな音楽でないとだめなので ある。つまり私は、歌いたいということだ。音痴だと思い込んでいた母 親もそうでないことがわかったらしく、近頃はむしろほめてくれる。こ れほどさっぱりと癒された傷も少ない。  癒された小さな傷は数多いが、「できなくてもよい」とある意味あき らめた傷が少ないことが気にかかる。つまり、多くはあきらめる前に克 服してしまった。いいことのようだが、「できなくてもよい」という大 事なことを学ぶ機会が少ないために完璧主義がなかなか抜けないという 困った点もある。  小さい傷は浅いだけに癒されるのが早い。今となってはほとんど残っ ていない。ところが、大きい傷はそうはいかない。一筋縄ではいかず、 かなり回復が進んでも私を苦しめ続けるのである。もっとも、しだいに 浅くなっていくのだけれど。