アダルト・チルドレンの叫び  第17回  長年私を支えたひと  西武に入団した松坂大輔投手がプロ野球界の話題をさらっている。  東尾監督に200勝ボールを手渡され、お礼は自らの200勝ボール と誓っているそうだ。頑張って欲しい。横浜に入団したかったようだが、 やってみてどうしても入りたかったらFAで移籍すればいいと思う。  確かに彼には200勝まで頑張って欲しい。だが私には彼よりもっと、 200勝まで頑張って欲しい投手がいる。  あれは昭和63年の秋だった。なぜか中学3年の私は新聞のスポーツ 欄を読んでいた。そこには巨人が2連敗していたことをまるで意識せず マウンドに向かって行く斎藤雅樹投手のことが書かれていた。なぜかは よくわからないのだが、その記事がきっかけだった。それ以来私はすっ かり斎藤雅樹投手のファンと化してしまったのである。  何の偶然か、彼はここまで無名の投手だったがこの後大活躍すること になってしまった。見ていればミスター完投などというあだ名をつけら れ、沢村賞やMVPを受賞し、巨人のエースと呼ばれるようになってし まった。そこまでほとんど表舞台に出て来なかったのに、である。  斎藤雅樹投手が好きだという人はよく理由を「あれだけの記録を出し ながら決しておごらない所がいい」と言うが、私の場合は少し違う。  まず、プロに入った直後は「ノミの心臓」「投手は向かない」と言わ れながらも、才能の芽が出てくるまであきらめなかったこと。芽が出て くるまでのいろいろ言われながらの二軍生活はつらかっただろうと思う。 あきらめていたら今のエースはなかっただろう。  それに、私の思い込みかもしれないが他のエースと呼ばれる投手達は 調子の良い悪いがそんなに極端に出ないと思う。言い換えればコンスタ ントによい成績を残す投手が多いと思う。しかし斎藤雅樹投手はそうで はない。1年ごとにころころ成績が変わったりする。調子もころころ変 わる(その証拠に3年連続の受賞はない)。見ていてハラハラすること も多い。ところがそれにも関わらず何とかやってのける。そこがすごい と思う。確かに波は小さい方が扱いやすいかもしれないが、大きくたっ てそんなところを生かすことを考える方が重要だしそれをできる人はす ごいと思う。  そんなこんなで、斎藤雅樹投手はとうとう170勝までいってしまっ た。200勝が現実的になってきた今、彼自身も達成したいと思ってい るようだ。松坂投手には確かに頑張って欲しいが、その前に斎藤雅樹投 手が200勝を達成して欲しい。  あれは平成8年の夏のことだった。帯広の親戚の家に行った帰りにい とこを連れて家族でトマムに一泊した。その時父親が例によって野球の 番組を入れた。そのうち気がついたが、その試合は斎藤雅樹投手の15 0勝がかかっていたのだ。そう知った瞬間私は祈るようにしてテレビを 見つめていた。いつもなら父親はチャンネルを変えてしまうのだが、こ の時は変えなかった。いとこがいたから格好つけたのか、私があまりに 真剣だったからか、父親の嫌がる声の応援をしなかったからか、それは わからないがとにかく変えなかった。  結局その試合は中継の時間が切れてしまい、その後巨人のサヨナラ勝 ちで斎藤雅樹投手の150勝が決まった。それから2年半たち、あいか わらず調子は良くなったり悪くなったりするが着実に勝ち星を重ねてい る。それにしたがって、あいかわらず私の応援の声も止まない。  最近よく思うのだが、私は斎藤雅樹投手を応援しているつもりで(実 際しているのだが)実は自分自身を応援していたのではなかろうか。最 初の不遇、波が大きいというのは私も同じである。  最初が不遇でも、頑張っていれば芽が出てくるということ、波が大き いことは悪いことではないことを教えられたのは思えば斎藤雅樹投手だ ったような気がする。相当幼いころから応援し続け、受けた影響は大き いだろうから。  残念なことだが、もう投手生活の先は長くないだろう。昨年けがで戦 線離脱したときは引退を覚悟した程である。投げ過ぎでかなり負担がか かっているだろうから。  ただ、私の親離れや精神障害に悩む時期も先はそう長くない。それま で、おそらく200勝する時まで、斎藤雅樹投手を応援し続けたいと思 う。