アダルト・チルドレンの叫び  第19回  無意識の愛情の差別  私はよくかの有名な連続ドラマ「ふたりっ子」の家族がうらやましい と思う。つらいことはいろいろあっても、やはりうらやましい。なぜか というと、ふたりの子供とも味方役が家族内にいるからだ。  うらやましいということは、当然の流れだが私の生まれた家族はそう でないということだ。そうでないを通り越して、家族はみな敵だったり するから困ってしまう。  そもそも、私の両親は変な所で似た者同士である。何がというと、視 野が狭く私のような人間を受け入れられないことである。となるといく ら自分の子供とはいえ、人格を認められない、「絶対同じ性格に違いな い」などと性格を間違って認めてしまうということが起こる。そこに弟 のような自分たちに似たような性格の子供が生まれてきたらどうなるだ ろう。想像はつくだろうが、親はそのつもりがなくても無意識のうちに 愛情が片寄ってしまうということが起こる。  ここまで極端でなくても、残念ながら親というのは子供の好き嫌いが あるものだ。ただ両親の好みが同じとは限らないし、昔だと家族が多く てどこかに敵と味方がいたりするので大きな問題にはならなかった。し かし今は家族の数も少なくなり、運が悪くて家庭のどこにも味方がいな いと自分の生きる価値を失って落ち込み過ぎるということにもなりかね ない。逆に家庭がみな味方で反対を知らずに育つと無意識にわがまま放 題ということになる。  私の場合、さらに学校で敵だらけという状況になってしまった。こう いう時子供は親に味方してほしいものだが、私の性格が本当は嫌いな両 親は味方をするどころかあらさがしに走ってしまった。となると、当然 の流れとして自尊心が低く、極端に落ち込む癖がついてしまうというこ とになる。そのことをどうこう言うより、自分たちのせいと知らずなぜ そんなに落ち込むのと言うのがいちばん困る。私がさんざん落ち込み対 策にパワーを使っているというのに、そう言われると誰のせいかと言い たくなってしまう。  おそらく複数の子供をもった時点ではほとんどの親がわけへだてなく 育てたいと思っていることだろう。ところが、親にも好みがあるためな かなかできないことだから、愛情が少なくなりがちなほうの子供に努め て注いであげるべきだと言った人がいる。  私の両親もそうしようとおそらく思っただろう。しかし視野の狭さは どうしても私という人格がわからず、イライラをつのらせてしまった。 そうなると子供は自分が悪いと思ってしまうものだ。いまだにその傾向 があり、放っておくとすぐ私が悪いと思ってしまうため考えを切り替え るのに苦労する。ましてや弟は親に過剰なほどの愛情を注がれていると なると、よけいいじけてしまうことになる。さすがに最近は自分が悪い とは考えないようになってきているし、それに伴って落ち込まなくなっ てきてはいるが。  弟への過剰な愛情も問題である。これは実際にあった話だが、母親が 留守番電話の起動までのベルの鳴る数を減らしたいと言い出した。理由 を聞くと、2階で寝ている弟にうるさいからだと言う。ところが、ベル の数を減らすなどという高等機能(?)を使わなくても留守番機能がつ いているような電話はたいてい音量調節ができる。それはまあともかく、 2階には電話を置いていないというのに(私がコードレス電話を持ち歩 くことはあるが)、昔の音がうるさいことで有名な黒電話ならともかく 今の電話で上の階まで響くわずかな音で寝られないというのはわがまま である。  一事が万事この調子だから困る。例えば弟は家に帰ってくるときリビ ングに誰かがいるとカバンをものすごい勢いで放り投げ、ひどい目付き でにらみ、ただでさえ家中響くような足音なのに威張るように力を入れ て歩き、その場にいてはいけないのかと思ってしまうような行動をしま くる。当然気が参ってしまう。ところが両親はここまで勝手な行動をめ ったに叱らない。私にはその場にいないようにしろという始末である。 ろくに叱りもせずに、私に犠牲を求めないでほしい。  これだから、弟がわがままゆえに損をすると思いやるより「してやっ たり」という気分になる。その間にACの意識のある私は心の落ち込み を克服していき、どんどん精神的に成長していく。  それが私の救いである。