アダルト・チルドレンの叫び  第21回  迷惑潔癖症  むかし、にぎやかなレストランで話しているうちにちょっと大きな声 になってしまったことがあった。その時、こう母親に怒られた。 「みんな聞いてるじゃないの! 迷惑じゃない!!」 瞬間あたりを見渡すと、想像がつくだろうがみんな自分たちのおしゃべ りに熱中して誰も聞いちゃいなかった。当然、迷惑な訳がない。  こんな感じで、昔から私は母親に必要以上の「迷惑」攻撃を受けてき た。誰でもやるじゃないかと言いたくなるようなことまで、いちいち注 意された。頭にしっかり残ってしまうくらいいちいち注意された。しか もちょっとしたことでいちいち注意された。  そうなるとどうなるかというと、何をするにも「迷惑」ということが 頭の片隅にひっかかることになる。しかも他人が「そんなことぐらいで …」と思うようなことで「迷惑をかけた」とくよくよしてしまうことに なる。そしてそのあまりのくよくよさに他の人が疲れてしまうというこ とになるのだ。私も回復が進んできて、「こんなことにくよくよしてい たのか」と驚くことがよくある。  何しろ、他人に迷惑をかけてはいけないならそもそも生きていけない。 迷惑というより支え合いは人生には絶対必要だ。だからこそ世界にはい ろいろな性格や優れた才能をもった人間がいて、いろいろな仕事があっ て、みんなそれぞれ与えられた特性を生かしあって生きているのである。 それに、人間はみな完璧ではないのだから時にして失敗することもある。 特に若い人はその傾向が強い。それをいちいち注意するのはどうだろう かと思うこともある。  そう、私の母親は最初から完璧を求める傾向が強いのである。それだ けならいいができないと責めるからたまらない。  だいたい、最初からなんでもできる人間というのが存在すると思って いるのか。逆に人間は最初は何もできないというのが当たり前である。 生きていくうちにいろいろ覚えていくのではないだろうか。だから、覚 えていっているのに責められる筋合いはない。また、その間に他人に助 けてもらうことは支え合いというものではないだろうか。  私は昔、何でも自分でやらなければならないと思い込み、「何でみん なに協力を求めないの」と誰かに言われたことがある。今だとそんなこ とは考えないが、どうしてそう考えたのかというとこれは明らかに母親 の真似である。  私の母親は何でも一人でやろうとして、そばで見ていると手を出した くなることがよくある。そこまではいいのだが、いざ手を出すとじゃあ 全部やれとか人の「協力」を無視するようなことを言うのである。その 上先程書いたように完璧を求められるから、たいてい手伝う気などなく なってしまう。そのくせ「何で手伝わないの」と愚痴るのである。  繰り返すようだが、人間は一人では生きていけない。だったら、他人 に手を求めず全部一人でやろうとするより、一人でできないときは他人 の手を素直に借りてその分他人が困っているときは手を出すというのが 一番賢いのではなかろうか。  迷惑に関しても同じである。人間は迷惑をかけるものなのだから、迷 惑をかけることに関していちいちピリピリする必要はない。その分他人 の迷惑に鷹揚になるとか、他人に親切になるとかすることを考えた方が よほど賢いと思う。  私は「迷惑をかける人程人間としての価値が低い」と思い込んでいた のだが、それもよく考えると間違いだ。むしろ逆とさえ言えるかもしれ ない。  程度を多少無視すると、「迷惑潔癖症」なのは私の親だけではないら しい。自立という言葉があるが、その意味を勘違いしている人が多い。 何でも一人でやることだと思い込んで、手を貸すといい年なのに自立し ていないと思われるのが嫌で断る話をよく聞く。  その話を聞いたときに「自分一人で手に負えない時は堂々と他人の手 を借りるというのが本当の自立である」みたいなことをいった人がいる が、私も全くその通りだと思う。  親に押し付けられた「迷惑潔癖症」が間違いであったことはよくわか ったが、それを追い出すのに苦労しているのが今の私である。