アダルト・チルドレンの叫び  第23回  自尊心が落ちて行く  かっては大家族という言葉があったように、家の中にはおじいさん、 おばあさん、おじさん、おばさんなどいろいろな人がいるのが普通だっ た。それによるややこしさもあったが、子供にとってはメリットの方が 大きかったのではないかと思われる。いろいろな人がいるから、一般的 に価値観が片寄らないのだ(おもいっきり価値観の片寄った大家族とい うのもあるが)。私の場合も家に祖母がいたから助かったという時が何 度もあった。  ところが、祖母を除いて周囲には両親、教師、クラスメートなど私の 価値観をひたすら否定する人ばかりだった。子供というのは自分の価値 観を誰かに認めてもらいたいものだから、当然悲しくなる。それだけな らいいが、多感な中学生になってもっと悲しい事態になってしまった。  というのは、中学に入学してすぐ身長が急に伸び始めたのである。そ れを見て母親と祖母は悲しい顔をしていた。どうやら、二人ともいわゆ る「小さくてかわいい女の子」を望んでいたようなのである。…といっ ても、冷静に考えれば父親も母親もその時代にしては長身なのだから、 たいてい子供も長身になるということは想像がつくはずである。それな のに「小さくてかわいい女の子」を望むというのは賭けに出るようなも のではないのか。  そして私の独特の「数学的才能」がどんどん芽を出すにつれ、また家 族の顔は曇っていった。女子校の生徒であるというのに、みんなが嫌い な数学に興味があるのは何たることかというのである。そして遅咲きで 波が大きいこと、完璧さを目指さないこと、あと目立ちたがりでにぎや かな所についてもがたがた言われた。…そんなこと言っても、生まれ持 ったものは仕方がない。何とかしろと言われてもどうしようもないので ある。できることなら一つの価値として認めてほしかった。それができ ないのなら、価値を否定するのだけはやめてほしかったのである。  こんなことを書くと、まるで私の人生は価値を否定されっぱなしのよ うな印象を与えるだろう。確かにそういう面もあるのだが、15歳頃か らそうでもなくなってきた。少しずつではあるが、私の価値を肯定する 人があらわれるようになったのである。  第17回に書いたように、遅咲きで波が大きくてもエースになれると いうことを教えてくれたのは斎藤雅樹投手。第14回に書いたように、 完璧さを目指さなくてよいことを教えてくれたのは木田優夫投手と原田 雅彦選手。第1回に書いたように、目立ちたがりでにぎやかな所が立派 な個性だということを教えてくれたのは今田耕司さん。また、大学で今 まで会ったことのないような人にたくさん会い、いろいろな価値観を取 り入れたことは傷ついていた私の心をずいぶん癒してくれた。  そうは言っても、幼い頃に自分の価値観を否定され続けた心の傷とい うのは予想がつくよりかなり深く、今でもその傷の深さに愕然とするこ とがある。  具体的に言うと、家の中で黙っているだけで自尊心が落ちて行くのだ。 今はそこまでひどくないが、家の中で黙っているとバカだのアホだのと いった幻聴が起きるのである。またこれもかなり改善されてきたが、何 か失敗をするとつい必要以上に落ち込んでしまう。それからいまだに強 く残っているのが、男尊女卑の家庭内の雰囲気をいいことに大威張りし ている私の弟にビクビクしてしまう癖である。普段はきちんとある自尊 心はどこかに行ってしまい、ひたすらビクビクしてしまう。  そういう癖を何とかしようとこころに思いっきり言い聞かせていたら、 疲れ果てて寝込んでしまった。こんなところにストレスがかかると、言 い聞かせるパワーもなくまた自尊心が落ちて行くのである。  いまにこんなことに悩む必要はなくなるだろうということはよくわか っている。よくわかっていながら、解決する大変さにパワーを使い果た して疲れ果てながら、何とか解決しようとないパワーを絞っているのが 今の私である。