アダルト・チルドレンの叫び  第24回  傷は時とともに  今年の夏は暑かった。倒れたくらい暑かった。しかし、いつのまにか 秋めいてきて冬を迎えつつある。「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」と いう言葉があるが、まさにその通りだった。本当に暑くてつらかったは ずなのだが、今となってはほとんど覚えていない。  心の傷というのも同じらしい。私の場合も跡形もなくなった心の傷と いうのはいくらでもある。それは何の偶然か身体の傷も一緒だ。という より、心の傷と身体の傷はメカニズムが根本的に一緒だということがあ まりにも知られていない。まだまだ、妙な偏見をもっている人が多い。  だいたい、現在の青年の親の世代というのは、常識や他人の目を唯一 神のように思っている人が多すぎる。だから、常識にはずれたことをす べて悪いと思ってしまう。そして人生の先輩としての感情がからみ、そ のつもりはないが結果的にくだらない常識を押しつけてしまうことにな りがちだ。私の心の傷というのは、ここが原因のものがいちばん多い。  例えば、親は私に「常識」というものを教えようとした。ところが 「みんなと同じようにしなさい」という言い方をするので、私は理解で きなかった。なぜみんなと同じようにしなければならないのか、どう考 えてもわからないのである。そこまでは仕方ないし、別によかった。問 題はその先である。私が「わからない」と言えば「わからないはずがな い」と虐待で教え込もうとしたのである。しかもそういう親の片寄った 考えを指摘する人が周囲にいなかったため、悲劇は大きくなった。  私の親はわからなかったのだ。「みんなと同じようにしなさい」とい う言葉を、理解できない人がいることが。いるどころか、それはれっき としたエニアグラムのタイプの1つである。そんなにはずれた考えでも ないのだ。ところが、それがわからなかったらしい。みんなと同じよう にしなければ絶対に社会からはじかれて生きていけなくなると、信じて 疑わないのだ。それはどこでも通用する考えではないのだが、私の親は そんな考えしか知らなかったらしい。  家事の件も同じである。親は昔の男尊女卑を当然のように思い、他の 考えが頭に入らないようだ。というよりこれについては頭ではわかって いるが、実行に移せないらしい。しかし、それは残念ながら子供には 「それが当然」としか見えない。そういう親の男尊女卑が嫌で嫌で私は 家事になかなか手が付かなかったのだが、当人たちは気づかず「何でな かなかできるようにならないのか」と愚痴る。  それだけなら別にいいが、問題なのは手伝ったときに誰でも一度はや るような失敗をした時に愚痴ることだ。これは相当きつく、今でも「失 敗したらどうしよう」といった感情を必死で押さえることがよくある。  と、いろいろ今回も書いてきたが、実を言うと今までのは傷つきこそ すれ、大きな心の傷を残すような決定打にはなっていない。それでは何 が決定打だったかというと、今まで書いたようなことが不満な私を親が 罵声やら暴力やらで押さえつけ、しかも反省しなかったことである。そ のために弟が親のコピーのようになり、しまいには私を馬鹿にするよう になってしまったのだ。  これは本当にきついものがある。間違ったことをしていないのに馬鹿 にされるのはたまらない。子供は親のコピーではない。なぜ違った考え をするだけで、否定され続けねばならないのか。しかも親の男尊女卑ま でコピーされているから、ほとんど虐待の世界である。おかげで私は毎 日弟の好き勝手に振り回され、それを聞かなければめちゃくちゃに嫌み を言われるのだ。  またこれは、はっきり言うと弟の人格を殺している。しかも弟は私と 違って素直に入っていってしまっているから、よほどのことがない限り 人格が殺されているなどとは考えることができない。  私は親の視野の狭さに強い疑問を持ち、視野を広げるような大学を自 分で選び、見事視野を劇的に広げることに成功し、果てには視野の広さ を保ちながら親の心を理解することを学んだ。このことに関して、親に 当人達の期待とは逆の方向で感謝することがある。要するに、親が反面 教師になってしまったのだ。  連載を書いていくうちに、文章は明らかに変わっていった。私は親を 責めることを目的で書いたのではないのだが、わかってもらえただろう か。おそらくまだ変わるだろうが、「叫び」はもう終わらせていただく。 必死で叫ぶ段階を、私はもう越えてしまったのだ。