アダルト・チルドレンの叫び  第4回  自立を阻む壁  家族のことで困っていることを相談すると、高校までは「どうしたら いいだろうね」と言われた。ところが、大学に入ってからは返ってくる 言葉が違ってきた。  「それじゃあ、家を出ればいいじゃない」  当然と言えば当然である。実際、大学進学のときに実家を出る人は多 い。最初から家を出るつもりでわざと実家から通えないような大学を選 ぶ人さえいる。しかし、この言葉は私の家庭の、自立を阻む病的状態を 無視している。40歳過ぎても結婚もせず、しかも母親と同居している 父親の弟。大学の願書すら自分で出さない私の弟。  その原因は分かっている。父方の祖母と母親の迷惑なまでの世話焼き である。例えばこんな話がある。  郵便が届くと、母親は父親宛の封書まで全部開けてしまう。それが公 共料金の類いなどだけならいいが、あるときはアダルトビデオの広告の 封書(?)まで開けてしまった。さすがに変に思い、母親に問い詰めて みた。するとこう言い返すのである。  「だって、私が開けなきゃいつまでも開けないんだもの」 すかさず私は言い返した。  「当人が開ける前に開けてしまうんじゃないの?」 そうなのである。何かにつけ他の人がやる前に全部やってしまうのであ る。そのうえ、自分よりうまくできないとつつくのである。 確か小学5〜6年のころだったと思うが、いやな思い出がある。私は祖 母と母の指示のもと、炊き上がったご飯の上下を返していた。ところが なかなかうまくいかない。そこで母が飛んできて「こうするのよ」とや ってみせる。そのとおりにしたつもりが、やはりなかなかうまくいかな い。そうすると「よく見てないからでしょ」と怒るのである。そのうえ、 母と祖母は私に聞こえるところでイヤミを言いあった。  「こんなこと、わざわざ教えなくても、見て覚えたものなのにね」  「そしてなんとなく覚えたのにねー」 見ただけで覚えられるとは限らない。よく見たってわからないものはわ からない。なのにどうしてこんなイヤミを言われなければならないのか。 そして私は本を持って来てそのまねをしてみた。そうするとまたイヤミ が飛ぶ。  「本なんか使わなくても覚えたよねー」 ちなみに母親の本棚には料理の本が並んでいる。  うまくできなきゃだめだ。その無意識のプレッシャーは、私を料理嫌 いにしてしまった。料理は自立の第一歩と言える。無意識に、自立を阻 む壁となってしまった。  これではだめだと思い、決心して料理教室に通ったことがある。とこ ろが、料理教室ではできることが家ではできない。キッチンに立ったと たん、具合悪くなってしまうのである。  母親が作る家庭の料理は、いつだって男どもの好み優先だ。というよ り、男どもが食べられるようなものしか作らない。母親や私の好みはい つだって無視である。家事のひとつひとつに虐待の跡が見える。母親は ほとんど全部自分で抱え込もうとする。そのうえ前に書いたように余計 な世話を焼く。それを見ていると、家事は虐待かと思ってしまう。それ で具合悪くなるのである。精神的にも肉体的にもよっぽどよい状態でな いと耐えられない。そのうえ、母親は私がつらい顔をしていると「そん ならやんなくていい」と怒るのである。  私は母親のような世話焼きはまっぴらである。ところが、家事をして いるとそうでなくてはならないような錯覚に襲われるのである。そうじ ゃない。世話焼きでない人なんてたくさんいるではないか。それは頭で はわかっている。わかっているけどそれだけでは錯覚は消えない。身勝 手な男どもの世話なんてまっぴらだ。ところが、家事をしていると自分 はそのいやな世話を強要されているような気分におちいるのである。  自立していくためには(たとえ精神的な自立、いわゆる「親離れ」で も)この錯覚を取り払わなくてはならない。どうすれば取り払えるのだ ろうか。答えは、まだ見つかっていない。しかし、おそらくここまで書 けただけ半分解決している。後の半分も、おそらく時間の問題だとは思 うが。