アダルト・チルドレンの叫び  第7回  団塊世代の主婦たち  ある日、「踊るさんま御殿」という番組で「自分がイヤな奴だと感じ る時」というテーマだったことがあった。そこで、ある主婦のこんな話 が採用されていた。  「今度の日曜日、ディズニーランドへ行くのよ」という近所の主婦の 話を聞き、「晴れるといいわね」と言っておきながら、当日雨が降ると 娘と一緒に喜んでしまう。  そういう自分がイヤな奴だと感じるという話なのだが、それにもかか わらず私は思わずテレビの前で怒鳴っていた。  「娘と一緒にやるな! やるならひとりでやれ!!」 それを聞いた母親がこう反論した。  「娘が嫌がっているとは限らないでしょ」 それは確かにそうだ。しかし、こういうことを言う人に限って、本当に 娘が嫌がっているときには無神経だったりする。  そうなのである。私は母親のこの手の愚痴をよく聞かされた(今もだ が)。近所の奥さんはこういう嫌な人なの、あの家は母娘そろって嫌が らせをするの、おばあちゃんはこういう嫌なことをするの、などなど私 が嫌な顔をしてもひたすらしゃべり続けた。いくら嫌な顔をしてもやめ るどころか怒るだけ、逃げ出したりすればますます怒るという地獄のよ うな状況であった。  こういう時に母親が決まって出す反論の言葉というのがある。「みん なやってることなんだから」。みんなやってるからやっていいというの か。その前に状況をつかんでいいか悪いかを判断する方が先だろうに。 相手が嫌な顔をしているのに、「みんなやってることなんだから」はな いだろう。  それに、「みんな」とは誰のことだ。類は友を呼ぶという言葉がある が、母親は(父親もだが)はっきり言って接したことのある友人の幅が 狭い。言い換えれば、自分と似たような友人としか接したことがない。 いろんな人がいて「ああ、世の中にはこんな人もいるんだ」と思うよう な環境に接したことはないらしい。ましてや私のように自分と全く違う 考えの集団の中にもまれ、否定され続けて苦しんだという経験などはあ るはずがない。したがって、「みんな」と言ったところでその範囲は知 れている。自分の友人を何人か見て、全員同じような感じだから「みん なやってることなんだから」と言っているだけであろう。  ところが、ここでやっかいなことがある。テレビで同じくらいの年代 の人が、同じようなことを言うのである。同じような境遇の人が多いせ いか、同世代の人たちはまず非難することはない。団塊ジュニア(つま り彼女らの子供)の世代の人が非難しても、軽くいなされるだけである。 いや、否定している人はいるが、本などの逃げようのある方法でしか公 表されないのである。だから自分の考えは間違っているかもしれないな どとは思いもしないのである。  昔からそんなくだらない主婦たちに囲まれ、さんざん傷ついて苦労し ている私の身にもなってほしい。自分で選んで結婚しておきながら、夫 が勝手だとさんざん文句を言う。そしてぐちりながら家事をするくせに、 娘がぶつぶつ顔で家事をすれば怒る上にやらせない。そのくせやらない と文句を言う。自立の邪魔ばかりするくせに自立的な行動は人並みに求 める。それをつつけば「おばあちゃんが甘やかしたからだ」と逃げて、 結局全部私が何とかしなければならなくなるのである。  自分でやったことの責任は自分で取ってほしい。姑のせいにして逃げ ないでほしい。甘やかしちゃいかんと思っていたなら、どうして朝の連 続ドラマ「あぐり」のようにきちんと主張しなかったのか。それを「や っぱり親が育てなきゃねぇ」などとろくに反省もせずに、いいかげんに 後悔されても私はつらいだけだ。  そのために、私がどれだけ傷つき、苦労し、悩んできたか親は知らな いのだろうか。それとも傷ついた事実に直面するのがこわくて逃げてい るのか。  こわくて逃げたいという気持ちはわからないでもない。しかし、アダ ルト・チルドレンというのは放っておくと世代連鎖する。誰かが立ち向 かわなければ、その不幸の連鎖を断ち切ることはできない。  いずれにせよ、私は立ち向かわなければならない運命を背負ってしま った。代わって背負えとは言わないけれど、せめてその重さをわかって ほしいと思うことがある。