『妖花アラウネ』(ALRAUNE、1928年、独) あらすじ(全ネタバレ)  遺伝研究の第一人者である教授は、両親の性格が遺伝的に子供に伝わるのか?を知るために、「絞首刑台の下で大地が死刑囚の精を受けて生えたマンダラゲを、満月の夜に採ると、幸運と災いをもたらす魔力がある」という伝説をヒントに、“死刑囚の男”と“路上の売春婦”という両親を使って子供を作り、自分が父親と偽って育ててみることにして、学生の甥っ子に強引に命令して売春婦を探させ、刑務所に手配して死刑囚の精液を採取し、実験動物よろしく女児をもうける。  出生の事情を知らない娘は(良家の子女が教育を受ける)女子修道院学校で年頃まで育つが、奔放でいたずらであり、近くの銀行員の息子を誘って駆け落ちし、汽車で知り合ったサーカス団に入る。同じ頃、久しぶりに教授を訪問した甥は、教授が書き続けている娘の観察記録を見せられ、激怒して去る。娘はサーカスで半年、舞台の魔術ショーに出る生活をしながらも、男達に色目を使ったり気を引いたりし、魔術師とケンカして、舞台のライオンショーの檻に入り全員の肝を潰させたりするが、とうとう父に発見され、連れ戻される。  騒ぎを知る世間や知人達から逃れて、しばらく過ごすためのリゾートホテルで、リッチなボーイフレンドもできて、父と共に楽しい生活を送る娘の毎日。素直で明るい娘を見て、父=教授は、自説どおり性格は子供に遺伝せず、幸運をもたらすマンダラゲの伝説が本当だと思うようになる。ボーイフレンドからの娘への結婚許可を、教授が拒絶した夜、偶然に観察記録を読んで、自分の出生の秘密と教授の目的を知った娘は、自分は一体何なのか?と悩み、実験動物として自分を作った教授への復讐に目覚める。  娘は教授の前でわざと奔放に、下品に振舞い、教授は自説が誤りだったかと思い愕然とする。娘に呼ばれた甥は、娘に詳しい話をせがまれる。娘は女として教授を誘惑し、ついにその気になったところで拒絶。娘と甥は教授への反発心からか、急速に親密となる。教授は女としての娘にすっかり魅了され、言われるままにカジノで金を使い果たし、キレて娘を殺そうとするが、ちょうど来た甥が教授を止め、娘を連れて行く。災いをもたらすマンダラゲの伝説は本当だったのか? 教授には何も残らなかった 解説  絞首台の下に生えたマンダラゲ(ドイツ語でアルラウネ)に幸運や災いをもたらす魔力があるという伝説をヒントに、姦淫と犯罪の両親の血が子供に遺伝するか? 悪魔の実験をする教授。そして、実験動物として作られた娘アルラウネの物語。映画制作当時、英国を中心にヨーロッパを席巻した“優生学”から着想した作品で、無声映画時代の傑作の一つ。娘=アルラウネ役に『メトロポリス(METROPOLIS、1926年、独)』の“マリア”役で有名なセクシー女優ブリギッテ・ヘルム。 感想  「人間の性格は、一緒に過ごす時間の多い人、特に幼い時に育てた人物の性格と言動に一番影響され、遺伝的な要素はほとんど無い」ことは、現代の常識でしょう。例えば、○○人はこんな性格というのが本当に有るとすれば、○○人の脳自体に遺伝的に備わっている性格ではなく、○○国や○○民族や○○宗教の社会が持っている性格でしょう。人間より大脳新皮質がずっと少ない、本能に支配された部分が大きい犬・猫ですら、幼い時からの育て方一つで性格が全く変わってしまいます。  しかし当時の“優生学”は、研究者自身の思惑とは別に(?)、善人の子は遺伝的に善人/悪人の子は遺伝的に悪人/金持ちは優秀だから金持ち/貧民は無能だから貧民、という、支配層・金主権力者に美味しいネタを捏造する元になったエセ科学の部分が多く、階級社会を作る口実や、アメリカの人種差別、欧州の植民地支配に正当性を与える口実でも有りました。  そして、映画を作っているのは、米国と同じく欧州でもユダヤ系がほとんどでしたが、厄介なことに、自分達は“神に選ばれた民族”だとして、母方の血が繋がっている事が必須のユダヤ教徒にとっても、当時の“優生学”は、とても魅力的だったのです。当時のドイツのユダヤ人は、平均してドイツ人の4倍の収入と相当にリッチで“金持ちは優秀だから金持ち”を当然として受け入れてしまいますし。  で、この映画でも、娘は徹底して明るく素直で優しい“善”な性格に描くか、または、リッチな男親一人の甘やかせた育て方のせいで、わがままに育ったけど“根は思いやりのある良い子”みたいに話を持っていかないと、思い入れのできるドラマにならないところを、“生まれつきの奔放”なのかと思わせるような演出で、微妙にしちゃってます。時流に流されたというより、ユダヤ様ご自身が自分達の宗教や、はっきり言って“特権階級”状態と重ね合わせて、当時の“優生学”を否定できなかったわけです。  古い映画を見て、その周辺を調べると、今宣伝されている当時の世界が、今の金主権力者に都合のイイお話でしかない、というのが見えてしまうことがあります。