ハーロック東京見聞録 その2
アニメーターは大変なのじゃ!


うー、前回「つづく」で終わらせたものの、あれから1年と10ヶ月、記憶が薄らいできたー。それから、昨年(1983年)の4月に再び東京に行き、岡迫さんに会ったので、どっちがどっちのときに話したことか忘れたので、ごちゃまぜにして書きます。

さて、2度目に訪れたとき、アニメのレインボーマンが終わって、ちょうど仕事の区切りだったので、じっくり話ができました。で、まずレインボーマンを終えての一言を聞きました。するとこういう答えが帰ってきました。
「一度も期日に遅れて放送延期になった回がなかったので、ほっとしている。」
恐ろしいですね。作品を1つ作り上げた充実感より、回を落とさなかった安堵感の方が大きいのですね。こんな状態では、いい作品を作りたくても作れませんね。ちょうどその時平行して放送していたマクロスは、期限に間に合わず、総集編をやって、放映カットして、あげくのはてに動画を入れず原画をセルコピーして放映していました。アニメがブームになると、制作者側は陽の目をみるということもあるけど、商業ベースに乗せられて、オートメーションで大量生産しないといけないので、「名作」となる魂の入った作品はできないのかもしれません。
そこで、昔の作品について色々と聞いてみました。やはり、今とはずいぶん違っていたそうです。例えば、声のふきこみ1つにしたってそうです。今はいわゆる「アフレコ」で、4〜5枚の口パクを適当に動かして、声優がそのあとそれに合わせて声を吹き込むわけです。が、昔は先に声とBGMを録音し、アニメータはそれを聞きながら時間を計って作画していったそうです。また、口の形も作画台の前に鏡を置いて自分でセリフをしゃべりながら、描いていったとのことでした。
動画については、今は目を動かすなら目だけ、手を動かすなら手だけを別に描いて動かしますが、昔は体の一部を動かすときでも1枚ずつ全体を描いていたそうです。その方が、ほかの部分も動かせ、より自然な映像が得られるこというまでもありません。
とにかく、今のアニメは手間を省くことを重視して、画面を犠牲にしているのです。かつての「安寿と厨子王」などはすごかったそうです。なんせ名だたる役者を使い、一度実写の完成品といってもいいほどの映画を作り、そのフィルムを1コマ1コマ見ながら作画していったらしいのです。岡迫さんもその時は最高に勉強になったといっておられました。
なにも今、昔と同じことをしろという訳ではありませんが、手間をかけることをいとわない作品づくりというものが現状ではできないということは寂しいことですねぇ。今後のアニメがどうなっていくか不安です。
こういうことも含めて、岡迫さんが現在最も気にかけているのは後継者の育成だそうです。これまでは割と自分のことで手一杯だったらしいのですが、最近アニメの存続ということを考え、後継者の技術、思想等の教育の必要性を痛感しているということです。ブームに乗って、ネコも杓子もアニメータを目指す中で、アニメだけではなく、アニメータ自身の中身がパープリンになる可能性は大変高いのです。アニメーターを目指すあんた、先生を選ばないといけませんゾ。最近の若いアニメーターには、自身がファンであることだけを武器にしてアニメートしているのが目立つような気がします。これだと確かに最初は目新しく面白いのもありますが、すぐにいきづまり、進歩もありません。しかし、そういう人が最近特に多いのが、僕でさえ目につきます。今後のアニメ界はほんと、どうなるのでしょうね。

えー、堅いはなしはこれぐらいにして余談。岡迫さんは今アニメの監督の他に、アニメーターの野球チームの監督もしているそうです。どちらが難しいかをきくと、きっぱりとこう答えていました。
「そらぁ野球だな。アニメの人物は思い通り動くけど、野球では絶対押さえて欲しいときでもポロポロエラーをされるしねぇ。」
ところで、ほかのアニメータからも聞いた話を少々・・。
見学者の多くは仕事をしている後ろからものも言わずにじぃ〜っと見つめているだけだそうで、それが実に無気味だということです。何か話し掛けてくれば、こちらも気晴らしにいろいろ話ができるけど、何も言わずにじろじろみられると気色悪くてしかたがないと言っていました。皆さんも見学に行ったときは、「話し掛けてもよろしいか」と声をかけてから、邪魔にならない程度に話を伺うようにしたらいいのでは。
さて、アニメータの給料は、原画マンは「1秒のカットにつきいくら」で決まり、動画マンは「1枚いくら」・・それが口パクだけであっても、100人の人物が描いてあっても、とにかく1枚いくらだそうです。
・・・以上、消えかかった記憶を必死にかき集めて書きました。またなんか思い出したら、次の機会に書きます。


岡迫さんが十年ぶりに描いてくれた雪ちゃんです。
コスチューム等よく覚えてくれていたものですね。
・・少しおしいけど・・。

なお、岡迫さんは波動の名誉会員になってくれました。
それから、娘さんの弘子ちゃんお手紙ありがとう。